朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

尊敬をもって、互いに相手を優れた者と思うようになるのだそうですね。私たち。

2015-10-07 22:13:54 | 聖書から
主は言われた。
 わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、
 神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。ホセア書6:6

愛に偽りがあってはなりません。
 悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、
 尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。ロマ書12:9~10


      (ローズンゲン日々の聖句10/8;木)

 宗教行事を盛んにし、多くのささげ物をしながら、自分の思いのままに生き、貧しい者、弱い者を顧みようとしない。それはわたしの喜ぶところではないと、天の神、主はおっしゃるのですね。

 私たち、「生まれたときからの霊」は、天の神、主と一つになることを厭い、自分の理性の判断を最良にものとし、自分が頭になって、自分の理性で善悪を裁定していこうとする道を選び取った者、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになった者」(創世記3:22)の子孫として生まれ、自分を他の人よりいかにか優れた者に、立派の者に、知恵ある者に、力ある者にするかに血道をあげ、他を引きずりおろし、見下し、自分が優位に立とうとし、良いもののすべてを自分一人で独占しようとしていく者です。

 天の神、主は、そのような、「生まれたときからの私」という霊を、御子イエスの十字架刑での処刑に合わせられたものとし、処刑されたもの、死んだものとしての手続きを完了して下さっているのだそうです。

 そして、この、イエスの処刑の死を、自分の処刑の死と受け取った者の内に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、この方によって、私たちの心に、ご自身の御思いを置いて下さるのだそうです。

それで、私たち、一人一人の心にも、天の神、主の、私たち一人一人に関わる思いが来るので、私たちも、偽りのない愛、悪を憎み、善から離れない心、互いに愛し合い、相手を尊敬し、優れた者と思う思いが来るようにもなるのだそうですね。
今日も。


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