朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

慈しみから出た御業なのだそうですね。あの方の。

2016-02-03 23:56:10 | 聖書から
主の道はことごとく正しく 、

 御業は慈しみを示しています。詩編145:17




主よ、誰があなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。

聖なる方は、あなただけ。

すべての国民が来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。

あなたの正しい裁きが、明らかになったからです。黙示録15:4




      (ローズンゲン日々の聖句2/4;木) 




 天の神、主は、正義と慈しみに満ちておられる方なのですね。

御思いはすべて正しく、その御業は私たち造られたものに対する愛と慈しみから出て来たものなのだそうです。




 私たち人間は多くの神々を考え出しますが、天の神、主は、それらとは全く違う、別なる方。

人間の考えや可能性の延長線上にある方ではなく、造り主の側におられる方。

御思いのままに人間を、天地、宇宙、この自然界を創造された方。




 その方が、一人一人の行いに応じた正しい、公平な裁きをなさる時、すべての舌は「あなたは正しい」と告白し、抗弁をやめ、ひれ伏すのだそうです。




 天の神、主は、私たち人間の中に、

「義人はいない。ひとりもいない。

悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

すべての人は迷い出て、みな、ともに無益な者になった。

善を行う人はいないv。ひとりもいない。

彼らののどは、開いた墓であり、

彼らはその舌であざむく。

彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、

彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。

彼らの足は血を流すのに速く、

彼らの道には破壊と悲惨がある。

また、彼らは平和の道を知らない。

彼らの目の前には、神に対する恐れがない」(ロマ3:10~18)ことをよくご存じのうえで、

人間に期待しても無駄であることを実証したうえで、

最初からのご計画(創世記3:15)のとおりに、

独り子である神と呼ばれる方を人として人間の世に生れさせ、

この方が、およそ、33歳の頃、この方をすべての人間の身代わりとして立て、

十字架刑で処刑して、すべての人間を処刑済みとの手続きを完了していてくださるのだそうです。




 そのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者一人一人のところに派遣してくださって、この方によって、私たちの心に、私たち一人一人に関わる御自身の思いを書き付けて、私たち一人一人が御自身と思いを一つにし、行動を一つにする者にしてくださるのだそうです。




 御前での裁きにおいて問われるのは、このことをどれだけ受け取り、このことにどれだけ歩んだか、なのだそうですね。

イエスの十字架の死による、そむきの罪の赦しを受け取り、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、あの方と思いをj一つにする道を進み、「よくやった。忠実なしもべよ」と言っていただける者にしていただきたいですね。

今日も。


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万軍の主が定められれば、その御手が伸ばされれば、

2016-02-03 07:27:25 | 聖書から
万軍の主が定められれば、

  誰がそれをどどめえよう。

 その御手が伸ばされれば、

   誰が引き戻しえよう。イザヤ書14:27




もし神が私たちの味方であるならば、

  誰が私たちに敵対できますか。ロマ書8:31




      (ローズンゲン日々の聖句2/3;水)




 天使の万軍を従えておられる方。

その方がしようとされることを止めるものは、誰もいないということのようですね。

とすると、問題は、この方がしようとされているのかどうかということなのでしょうか。




それで、当時、不治の病であったツァラアト(ハンセン病)に全身が冒されていた男性は、目の前にいるイエスが、この方、万軍の主であると認めて、「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」と、イエスの前にひれ伏してお願いし、イエスから「わたしの心だ。きよくなれ」とのおことばをいただくと、ツァラアトが消えたのだそうです(ルカ5:12~13)。




 12年の間、長血をわずらい、どの医者にも直してもらえなかった女性は、この方のお着物にさわることでもできればきっと直ると思って、イエスの衣の裾についているふさにさわって、たちどころにいやされたのだそうです(マタイ9:20~22)。




 重んじているひとりのしもべが死にかけていた、ローマ兵の百人隊長も、イエスがこのお方であると認めて、「おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます」とお願いして、イエスからおことばをいただき、そのしもべはよくなったのだそうです(ルカ7:2~10)。




 私たち、人間は、この方と思いを一つにし、心を一つにして、行動を一つにしていく者をと望まれて造られたものなのだそうです(創世記1:22)。




私たちの身代わりになって十字架刑で処刑されてくださり、三日目に墓より復活し、天の御父の右の座に着かれているイエスが派遣してくださる、「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に来る父である神の御思い。

私たちが、万軍の主とも呼ばれるこの方の御思いを受け、この方と一つ思いにしていただき、この方がしようとしておられることをしていくとき(ヨハネ14:12)、これに敵対する者があったとしても、圧倒的な勝利の中を進ませていただけるのだそうです(ロマ8:37)。




 御思いに心を添わせていただきたいですね。

今日も。

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