朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

聖なる霊を取り上げないでください

2016-02-23 22:30:59 | 聖書から
御前から私を退けず、

  あなたの聖なる霊を取り上げないでください。詩編51:13




神は、私たちを怒りに定められたのではなく、

 私たちの主イエス・キリストによる

  救いにあずからせるように定められたのです。Ⅰテサロニケ5:9




         (ローズンゲン日々の聖句2/24;水)




 「聖である霊」と呼ばれる方を取り上げられることもあるのですね。

 けれども、それは、あの方の側で一方的にされる、ということではなく、

私たち、人間の側で、この聖である方を拒否したために起こることのようです。




 あるとき、イエスのもとに、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られたのだそうです。

イエスが、その人をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになったのだそうです。

人々はこれを見て、驚き、「この人(イエス)は、ダビデの子(ダビデ王の子孫として生まれると預言されているキリスト、救い主)なのだろうか」と言ったのだそうです。

 けれども、当時のユダヤにあって、自分達こそ神の律法に熱心で忠実な者と自負していたパリサイ人たちは、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」と言って、せっかくの天の神、主からの恵みを受け取ろうとせず、無にしてしまったのだそうです。

 それで、イエスは言われたのですね。

「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし御霊に逆らう冒涜は赦されません。

また、人の子(イエス御自身)に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。

しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、赦されません」と。




 天の神、主は、ひとりでも滅びることと望まず、すべての人が、イエスによる「生まれたときからの霊」の死を受け取り、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、新しく生まれた者となり、御自分と思いを一つにし、心を一つにして生きる者になって欲しい、今日、しようと思っていることを、心を一つにして一緒にしていく者になって欲しいと願っておられるのだそうです(Ⅱペテロ3:9)。

今日も。


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恵みと栄誉、慈しみを芽生えさせ、成長させてくださる方

2016-02-23 07:10:59 | 聖書から
大地が草の芽を萌え出でさせ、

  園が蒔かれた種を芽生えさせるように、

 主なる神はすべての民の前で、

   恵みと栄誉を芽生えさせて下さる。イザヤ書61:11




種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、

  あなたがたに種を与えて、それを増やし、

   あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。Ⅱコリント9:10




      (ローズンゲン日々の聖句2/23;火)




 恵みと栄誉、義と賛美、慈しみが結ぶ実を芽生えさせ、成長させてくださるのだそうです。

私たちが、内側にないのに、歯を食いしばって、頑張って、つくりださなくっても、主である神が、芽生えさせ、成長させてくださるのだそうですね。

 種を蒔く者に種を与えてくださる方、種の中に芽生える命、成長する力を備えていてくださる方なのだそうですから。




 私たち自身、「生まれたときからの霊」」と呼ばれる私たち自身から出て来る思いは、「神のひとりのようになり、善悪を知るもの」(創世記3:22)で、自分の理性を神としていくもの相手より自分がまさっていないと落ち着かないもの、良いものは、全部、独占したいもの、人に与えることは惜しみ、全部、溜め込みたいもの、自分の判断したとおりにまわりを動かしたいものなのです。




 天の神、主は、御子イエスを私たちの身代わりにして、十字架刑で処刑し、私たちの「生まれたときからの霊」を処刑済みのもの、処刑され死んだものとしてくださたのだそうです。




 そのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者のうちに派遣してくださって、御自身の性質から来る御思い、相手を大切に思う慈しみ、公正と正義の思いを私たちの心に置いてくださるのだそうです。

ちょうど、種が、種自身の内に芽生える命、成長する力を宿しているように。




 それで、この方を受け入れる者は、よるねて、朝は起き、走行しているうちに、種は目を出し、成長していくのですね(マルコ4:26~29)。

この方を受け入れた者のうちで。

今日も。


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