朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

新しい、とこしえの契約が、今、私たちにも。

2016-02-15 22:57:11 | 聖書から
わたしはあなたたちと、 

  とこしえの契約を結ぶ。イザヤ書55:3




また、食事の後で、杯も同じようにして、

 「この杯は、わたしの血によって立てられる

   新しい契約である」と言われました。Ⅰコリント11:25




      (ローズンゲン日々の聖句2/16;火)




 とこしえの、新しい契約、

それは、女の子孫として生まれた方、イエスが十字架刑の処刑によって流された血、命によって締結されたのだそうです。




 天の神、主は預言されていたのですね。




「見よ。その日が来る。

――主のみ告げ――

その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。

その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。

わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。

――主のみ告げ――

彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。

――主のみ告げ――

わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

そのようにして、人々はもはや、「主を知れ」と言って、おのおの互いに教えない。

それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。

――主のみ告げ――

わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。(エレミヤ31:31~34新改訳)




 そして、この新しい契約は、「新しい霊」、「聖である霊」と呼ばれる方によって実行されるというのですね。




わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。

わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心と与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。

わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。

あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」(エゼキエル36:25~28)




 十字架に架かり、墓に葬られ、復活されたイエスは、弟子たちに息を吹きかけて言われたのですね。

「聖霊を受けなさい。」(ヨハネ20:22)




 天の父である神の右の座に帰られるとき、イエスは弟子たちに命じられました。

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバブテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバブテスマを受けるからです」(使徒1:4~5)と。




今日も。


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逃れの道も用意していてくださるのですね。あの方。

2016-02-15 07:31:09 | 聖書から
私たちは、神から幸福をいただいたのだから、  

  不幸もいただこうではないか。ヨブ記2:10




神は真実な方です。

あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、

  試練と共に、それに耐えられるよう、

    逃れる道をも備えてくださいます。Ⅰコリント10:13




      (ローズンゲン日々の聖句2/15;火)




 東の人々の中で一番の富豪といわれていたヨブ。

一日のうちに、7人の息子と3人の娘、全部を失い、隣国から攻め込んできた略奪隊に全財産を奪われてしまったのだそうです。

その時、ヨブは、

「私は裸で母の胎を出て来た。

また、裸で私はかしこに帰ろう。

主は与え、主は録られる。

主の御名はほむべきかな」(ヨブ1章)

と言ったのだそうです。




 さらに、今度は、足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物ができたので、ヨブは灰の中に座り、土器のかけらで身をかくようになってしまいました。

その時、彼の妻は、ヨブに言ったのだそうです。

「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。

神を呪って死になさい」と。




 けれども、ヨブは答えたのですね。

「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。

私たちは幸いを神から受けるのだから、

わざわいうをも受けなければならないのではないか」と(ヨブⅡ:1~10新改訳)。




 私たち、自分の何かが原因で困難に遭うことが多いのですが、ヨブのように身に覚えのない困難に出遭うこともあるのでしょうね。

けれども、神は、私たちを耐えられないような試練に遭わせられるような方ではないのだそうです。

試練と共に、逃れる道をも、前もって用意していて下さる方なのだそうですから。




 「足跡」という詩があります。

振り返ると砂浜にずーっと二人分の足跡がついていた。

でも、ところどころ、足跡が一人分しかついていなかった。

思い出してみると、それは、大きな困難にあったときだった。

それで、主に申し上げた。

「なぜ、あなたは私が困難に遭ったとき、一緒にいてくださらなかったのですか」と。

そのとき、主は仰られた。

「あの時の、足跡がひとり分なのは、わたしがあなたを抱いて歩いたからだ」

という内容なのですが。




 せんかた尽きたように思えるときでも、ともかく一歩踏み出してみれば、神は運んで下さり、いつしか通り過ぎさせてくださる方なのだそうですね。

今日も。


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