朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

愛は、自発的なのだそうですから。

2016-03-07 21:40:47 | 聖書から
主の言葉:

わたしは恵もうとする者を恵み、

  憐れもうとする者を憐れむ。出エジプト記33:19




 パウロの手紙:

私は主イエスに感謝しています。

主が私を忠実な者とみなして務めに就かせてくださったからです。

以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし憐れみを受けました。Ⅰテモテ1:12~13




      (ローズンゲン日々の聖句3/8;火)




 天の神、主は、「わたしはある」と名のられる方。

あろうと思われるとおりにあるお方。

人間のだれひとりとして、この方に「あなたは何をするのか」と言うことのできない方。

主権は完全にこの方にあるのだそうです。




 その方が御自分の主権において、「恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」とおっしゃるのですね。

「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が御自分に帰って来ることを望んでおられる」(Ⅱペテロ3:9)その方は、すべての人を恵み、憐れもうと思っていらっしゃるのだそうです。




 けれども、愛し合う関係を求めておられるので、機械的になされることでも、「~ねばならないから」するのでもなく、自由意思で、自発的に受け取って欲しいのだそうです。




 この方と同じ心で、パウロも言うのですね。「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからずに命じることができるのですが、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。

~~あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです」(ピレモン8~9、14)。




「神が、和解を受け入れるよう、私たちを通して懇願しておられるようです」(Ⅱコリント5:20)。



個人的な関係を深められるよう、愛を、恵みを、自発的に、自分からすすんで受け取って欲しいのだそうですね。あの方。私たちに。

今日も。


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長く、意味のある生を生きる秘訣、でしょうか。

2016-03-07 07:11:33 | 聖書から
あなたの父母を敬え。出エジプト20:12




 親に恩返しをすることを学ばせるべきです。

それは神に喜ばれることだからです。Ⅰテモテ5:4




       (ローズンゲン日々の聖句3/7;月)




 父母をとおして私たちはこの世に生まれてきました。

そして、父母の労苦によって私たちは育って来たものなのですね。

決して、自分で生まれて来たのでも、自分一人で育ったわけでもない。

「子をもって知る親の恩」という言葉もありますが、産む苦労も、育てる苦労も大変なもの、なのでしょうね。天の神、主は、私たちに、親に恩に報いるよう、特に年をとり、弱って行く親に尊敬と愛をもって接するよう、願っておられるようです。



 そして、親も、自分で子どもを造ったわけではない。

子どもの髪の毛一本、まぶたの一重か二重か、鼻の高さの1ミリにも関与できていないのですから。

 

 詩篇139篇の作者は、

「主よ。あなたが私の内臓を造り、

母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

私は感謝します。

あなたは私に、くすしいことをなさって恐ろしいほどです。

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、

私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。

あなたの目は胎児の私を見られ、

あなたの書物にすべてが、書きしるされました。

私のために作られた日々が、

しかも、その一日もないうちに。」(139:13~16)と謳っています。



 天の神、主は、天地創造の前、世界の基の置かれる前から、私たち一人一人に対する御思いを持っておられ、そのご計画の時が満ちたとき、父母を通して私たち一人一人を産み出してくださったのだそうです。



 私たちの心には、まるで、自分で生まれて来て、自分一人で大きくなったかのような思いがありますが、イエスの十字架刑で処刑をとおして来て下さる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えするとき、その方は、私たちの心に、御思いのとおりの親に対する敬愛の思い、自分の創造者である方への愛と畏敬の念を置いて下さるのだそうです。

今日も。


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