朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

“霊”のままに、ほかの言葉で話し始めて

2018-02-11 23:11:47 | 聖書から
さまざまな風を伝令とし、
燃える火を御もとに仕えさせられる。詩104:4

 突然、激しい風のような音が天から聞こえ、
彼らの座っていた家中に響いた。
そして炎のような舌が現れ、
一人一人の上にとどまった。
一同は聖霊に満たされ、
“霊”のままに、
ほかの国々の言葉で話し出した。使徒2:2~4

 ルカ13:31~35
 申命記18:9~22(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/12;月)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
風を伝令、ご自分の使いとし、
燃える火、焼き尽くす火をご自分に仕えるもの、召使として用いられる方なのだそうです。

 あの日も、激しい風の音をとどろかせ、
舌のような炎を送られたようですね。
“霊”、〔聖である霊」と呼ばれる方が、約束のとおりに、
イエスの弟子たちのところに来られたことを具体的に表すために。

天の神、主は、モーセを通しても言われました。
「あなたの神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
あなたのうちから、あなたの同胞の中から、
私(モーセ)のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。
彼に聞き従わなければならない」(申命記18:15新改訳)。

「わたし(天の神、主)は、彼らの同胞の内から、
彼らのためにあなた(モーセ)のようなひとりの預言者を起こそう。
わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。
彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。
わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、
わたしが彼に責任を問う」(申命記18:18~19)。と。

 そして、さらに、
「預言者が主の名によって語っても、
そのことが起こらず、実現しないなら、
それは主が語られたことばではない」(申命記18:22)、と。


イエスは、モーセが言っている「あの預言者」(ヨハネ1:21)として来られた方なのだそうです。
イエスは言われました。
「よく見なさい。
わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、
三日目に全うされます。
だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んでいかなければなりません。
預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはありえないからです」(ルカ13:32~33)、と。


そして、そのイエスの言葉はそのとおりに実現したのだそうです。
イエスは、エルサレムで十字架刑での処刑を受けられ、
近くにあった、アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、
三日目の日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
私たちのための救いの御業を全うされたのだそうですから。

 イエスは、天の〔父である神〕の右の座に帰られるとき、
弟子たちに言い残していかれたのだそうです。
「エルサレムを離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒1:4~5)、と。

 そして、それから10日後のペンテコステ(五旬節)の祭りの日、
待ち望んでいた弟子たちに、そのイエスの言葉のとおりに、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られて、
弟子たちは、〔聖である霊〕が心に置かれる
〔父である神〕の御思いのままに語ることを始めたのだそうです。

 エレミヤやエゼキエルが預言していたとおりに(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
そして、2000年を経ている私たちにも。

今日も。

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心に、行き来する思いの一つ一つを、見ていただきながら

2018-02-11 08:57:43 | 聖書から
今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。
人の子について預言者が書いたことは
みな実現する。ルカ18:31(2/11の週の聖句)

 災いだ、
主を避けてその謀(はかりごと)を隠す者は。
彼らの業は闇の中にある。
彼らは言う。
「誰が我らを見るものか。
誰が我らに気づくものか」と。イザヤ書29:15

 イエスの言葉:
真理に属する人は皆、
わたしの声を聞く。ヨハネ18:37

 マルコ8:31~38
 詩31(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/11;Ⅱ日)

 イエスは、これから、
最後のエルサレム上りをしようとされている時、
こう言われたのだそうです。



ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられて、
キリストとしての活動を始められてから三度目のエルサレム上りをしようとされている時。


預言者を立て、予告しておられたそのこと、
「人の子は異邦人に引き渡され、
そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
彼らは人の子をむちで打ってから殺します。
しかし、人の子は三日目によみがえります」(ルカ18:32~33新改訳)。

「人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日目によみがえらなければならない。
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負い
(自分がこれから十字架刑で処刑される者として、
自分が処刑される、その十字架を負って。
イエスの十字架刑の処刑が完了している今は、
自分は十字架刑で処刑された者、死んだもの、と認めて)、
わたしについて来なさい」(マルコ8:31、34)、と。

 このように天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
これからしようとしておられることを、
預言者たちをとおし、
また、それが記録された「聖書」をとおし、
また、内に来てくださっている〔聖である霊〕と呼ばれる方によって
私たちに示し、
私たちの願いとし、こころざしとして、
私たちと思いを一つにしようとなされる方なのだそうです。


しかし、私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって(創世記3:5、22)、
天の神、主に背き、対立、対抗している「的外れ」の者は、
自分の心を、謀(はかりごと)を隠し、
隠れて、暗やみで事を行おうとする性質を持っているようです。
アダムとエバが、自分の裸をいちじくの葉で隠し、
神から隠れようと、木の間に身を隠したように(創世記3:7~8)。


しかし、私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活したイエスのもとに行くなら、
「的外れ」のままの、真実の、本当の、ありのままの思いを差し出し、
見ていただき、知っていただくなら、
光に照らされた、光の中の出来事、
明るい、解放された出来事にしていただけるのだそうです(エペソ5:13~14)。

 私たち、暗闇の者で、自分のダメなところ、失敗を隠していく者ですが、
光である方の前に差し出し、見ていただき、知っていただいて、
光に照らされた、光の中の出来事、
私の思いのすべてが神の中にあるようにしていただいて、
明るみの中を生きるようにしていただけるのだそうです。


ダビデのようにうたいながら。

「主よ。私はあなたに身を避けています。
私が決して恥を見ないようにしてください。
あなたの義によって、私を助け出してください。
私に耳を傾け、早く私を救い出してください。
私の力の岩となり、強い砦となって、私を救ってください。
あなたこそ、私の巌、私の砦です。
あなたの御名のゆえに、私を導き、
私を伴ってください。
私をねらってひそかに張られた網から、
私を引き出してください。
あなたは私の力ですから。」(詩篇31:1~4)、と。
この新しい週も。
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