朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

陰府の手の中から、不滅のいのちの中へと

2018-09-19 22:31:23 | 聖書から
 神は私の魂を贖(あがな)い、
陰府(よみ)の手から取り上げてくださる。詩49:16

 イエス・キリストは死を滅ぼし、
福音を通して
不滅の命を現してくださいました。Ⅱテモテ1:10

 フィリピ書1:19~26
 コヘレト(伝道の書)7:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句;9/20;木)

 天の神、主、
「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方、

〔父である神〕は、
人となられた〔御子である神〕、
イエス・キリストを十字架刑で処刑することによって、
私たちの魂を死から贖い取り、
私たちを死の世界から買い戻してくださったのだそうです。
死を滅ぼし、
不滅の、永遠のいのちの中へと。

 そして、
「生きることはキリスト」、
私が生きることがイエス・キリストが生きることにしてくださるのだそうです。

 私自身の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって
処刑された者、死んだものから出て来た思いとして、
神の御前に差し出し、受け取っていただきながら、

 イエスを通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、

 イエスと同じように、
「自分からは何事もせず、
〔父である神〕がしようと思われることをしていく(ヨハネ6:38、8:28)者に
していただけるのだそうですから。

 そして、「死ぬこともまた益」、
この世を去るならば、
イエスによる救いをいただいている者は、
天の御国(パラダイス)で、
イエスとともにいることになるのだそうですから(ピリピ1:19~26)。

 伝道者(ソロモン王:栄華を極めたソロモンと言われ、やりたいことは全部やった人)は言います。
良い名声は良い香油にまさり、

死の日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。
そこには、すべての人の終わりがあり、
生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。

 悲しみは笑いにまさる。
顔の曇りによって心は良くなる。
知恵のある者の心は喪中の家に向き、
愚かな者の心は楽しみの家に向く。

 知恵のある者の叱責を聞くのは、
愚かな者の歌を聞くのにまさる。
愚かな者の笑いは、
なべの下のいばらがはじける音に似ている。
これもまた、むなしい。

 しいたげは知恵ある者を愚かにし、
まいないは心を滅ぼす。

 ことの終わりは、その初めにまさり、
忍耐は、うぬぼれにまさる。
軽々しく心をいらだててはならない。
いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。

 「どうして、昔のほうが良かったのか」と言ってはならない。
このような問いは、知恵によるのではない。
資産を伴う知恵は良い。
日を見る人の益となる。
知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。
知恵の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。

 神のみわざに目を留めよ。
神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。
順境の日には喜び、
逆境の日には反省せよ。
これもあれも神のなさること。
それは後の事を人にわからせないためである。〔コヘレト(伝道の書)7:1~14新改訳〕
なのだそうですから。

 「生きるはキリスト」。
イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
心に、〔父である神〕の御思いを置いていただき、
その、心に来た
〔父である神〕の御思いによって生きる者にしていただきながら。
永遠のいのちの中を、
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)