朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

すべての災いから救い出して下さるのだそうです。  あの方が

2014-02-22 23:10:06 | 聖書から
今日、

あなたたちが

神の声を聞くなら、



心を

かたくなにしては

ならない。

ヘブル書3:15

(今週の聖句)
 





主に従う人には

災いが

重なるが、



主は

そのすべてから

救い出して下さる。

詩篇34:20






 私たちは、

四方から苦しめられても

行き詰らず、



途方に暮れても

失望せず、



虐げられても

見捨てられず、



打ち倒されても

滅ぼされない。

Ⅱコリント4:8〜9
  



(ローズンゲン日々の聖句2/23;日)






正しく歩もうとすると、

困難も多くなるのでしょうか。



けれども、

あの方は、

そのすべてから

救い出し、



災いも

私たちににとって有益な出来事に

変えて下さるのだそうです。




だから、

四方から苦しめられても

行き詰ることはなく、



途方に暮れるようなことがありますが、

行き詰り切ることはなく、



虐げにあっても

見捨てられることはなく、



倒されるようなことがあっても、

滅びることはないのだそうです。





立ち上がり、

前進出来るのだそうですね。



今日も。



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苦難の時の避けどころ、私の受ける相続財産

2014-02-21 23:03:50 | 聖書から
主よ、

あなたは

私の避けどころ、



命あるものの地で、

私の分となってくださる方。

詩篇142:6
 





私たちは

主キリストに

結ばれており、



キリストに対する信仰により、

確信をもって、

大胆に

神に

近づくことができます。

エフェソ書3:12





(ローズンゲン日々の聖句2/22;土)







あの方が

私の受け継ぐ相続財産。



私は

あの方のもの。




キリストが

私の内にいて下さり、



私が

キリストの内にいる

存在、



キリストと一つにされている者ゆえに、

キリスト・イエスの義を

私の義として、



イエスと同じ立場で

あの方の前に出て行くことができるように

して下さっているのだそうですね。




私の内から、

どんな

汚いものが出て来ても、



どんな失敗も、

安心して

あの方の前に

広げて、

見ていただけるのだそうです。





全部、

イエスが

責任を取って下さっているのだそうですから。



このままで、

御前に出て行きましょう。



今日も。



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一緒に歩いていて下さるのだそうですね。あの方

2014-02-20 23:24:54 | 聖書から
イスラエルの希望、

苦難の時の救い主よ。



なぜ

あなたは、

この地に身を寄せている人、

宿を求める旅人のように

なっておられるのか。

エレミヤ書14:8






 二人の弟子が

話し合い

論じ合っていると、



イエスが

近づいて来て

一緒に歩き始められた。



しかし

二人の目が

さえぎられていて

イエスだとは

分からなかった。

ルカ24:15〜16
  



(ローズンゲン日々の聖句2/21;金)






私たちの苦難の時に、

あの方は、

まるで

この地に身を寄せているだけの外国人か、

一夜の宿を求めている旅人のように、

見て見ぬふりをし、

関係のない者のように

すげなくされているかのように

思われることがあります。



けれども、

それは

私たちの目がさえぎられているため

気がつかないだけで、

実際は

あの方のほうで近づいて来て下さって、

一緒に歩んでいて下さり、

守り、導き、背負って

運んで下さっているのだそうです。





だから、

こちらはだだ、

バタバタしているだけなのに、

いつしか

通り過ぎさせて下さるのだそうですね。



だから、

向こう岸への道筋は

見通せなくても、



「御言葉ですから」と、

ともかく、

一歩踏み出してみると、

次の一歩分の道が開かれ、

いつしか、

向こう岸にたどり着いているのだそうですね。





あの方が

書き付けて下さる

心の声に

ついて行ってみましょう。



今日も。



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イスラエルの希望、

苦難の時の救い主よ。



なぜ

あなたは、

この地に身を寄せている人、

宿を求める旅人のように

なっておられるのか。

エレミヤ書14:8






 二人の弟子が

話し合い

論じ合っていると、



イエスが

近づいて来て

一緒に歩き始められた。



しかし

二人の目が

さえぎられていて

イエスだとは

分からなかった。

ルカ24:15〜16
  



(ローズンゲン日々の聖句2/21;金)






私たちの苦難の時に、

あの方は、

まるで

この地に身を寄せているだけの外国人か、

一夜の宿を求めている旅人のように、

見て見ぬふりをし、

関係のない者のように

すげなくされているかのように

思われることがあります。



けれども、

それは

私たちの目がさえぎられているため

気がつかないだけで、

実際は

あの方のほうで近づいて来て下さって、

一緒に歩んでいて下さり、

守り、導き、背負って

運んで下さっているのだそうです。





だから、

こちらはだだ、

バタバタしているだけなのに、

いつしか

通り過ぎさせて下さるのだそうですね。



だから、

向こう岸への道筋は

見通せなくても、



「御言葉ですから」と、

ともかく、

一歩踏み出してみると、

次の一歩分の道が開かれ、

いつしか、

向こう岸にたどり着いているのだそうですね。





あの方が

書き付けて下さる

心の声に

ついて行ってみましょう。



今日も。



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守り、持ち運び、役割もあたえてくださるのだそうです。あの方

2014-02-19 23:46:21 | 聖書から
私が


老いて白髪になっても、

神よ、

どうか捨て去らないでください。



御腕の業を、

力強い御業を、

来るべき世代に

語り伝えさせてください。

詩篇71:18
 





ファヌエルの娘、

アンナという女預言者がいた。



彼女は、

その時、



近づいて来て

神を賛美し、

エルサレムの救いを待ち望んでいる人々

皆に

幼子のことを話した。

ルカ2:36、38
 



 (ローズンゲン日々の聖句2/20;木)






若くって元気なときはいいのですが、

歳をとり、

身体も心も

だんだん動かなくなり、

おぼつかなくなって行くとき、

あの方にこう祈れる者は

なんと幸いなことでしょう。


あの方のほうからも、

私たちが

白髪になっても

持ち運び、救うと

おっしゃって下さっているのだそうですね。





そればかりか、

このアンナが

年老いていながら、

救い主を世に紹介するという

役割を与えていて下さったように、

私たちにも

役割をもっていて下さるのだそうです。



私たちを通して

何をしようと思っていらっしゃるのか、



どんな計画を

立てていて下さるのか、

楽しみですね。



今日も。



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悪い野ぶどうとなり果てた私たちを、良いぶどうに戻して下さるのだそうですね。あの方

2014-02-19 00:09:55 | 聖書から
わたしは
あなたを、
甘いぶどうを実らせる、
確かな種として植えたのに、

どうして、
わたしに背いて、
悪い野ぶどうに
変わり果てたのか。
エレミヤ書2:21
 


パウロの手紙:
キリストの恵みへ招いてくださった方から、
あなたがたが
こんなに早く
離れて

他の福音に
乗り換えようとしている事に、

私は
あきれ果てています。
ガラテヤ書1:6 
  

 (ローズンゲン日々の聖句2/19;水)



あの方は、
ご自身と「御子である方」、「聖である霊」と呼ばれる方が
一つ思いになり、一つ行動をとり、存在を一つにしておられるように、

その一つに加わる者をと
願われて、
私たち人間を創造されたのだそうですね
(創世記1:26)。


そして、
その出来栄えはは、
非常に良かったのだそうです
(創世記1:31)。


それなのに、
今の私たちは
あの方と一つになっていません。

どこかでズレてしまったようですね。

私たち人間は、
あの方との一つを嫌って、
自分一人で
善悪を判断する者と
なってしまったのだそうです
(創世記3:22)。


それで、
あの方との分離が起こり、

私たち自身にも
「からだ」と「魂、霊」との分離が入り込み、
私たちは死ぬ者となり、
病が.入って来たのだそうです。

そして、
一人一人が
「私の判断が一番正しい。
みんなは 私の判断に従うべきだ。
私が一番で、
良いものは全部、私が独占するのだ」と
思う者となった結果として、
争い、戦い、支配、被支配、殺人などが
起こって来たのだそうです。


そのような
がん細胞のような存在になってしまった
私たちを、

あの方は、
なお、
惜しみ、憐れんで下さって、
御子である方を人間として
一人の処女から生まれさせて
人間の世界に送り込み、

この方を
十字架刑で代理処刑することによって、
私たちを処刑済み、
刑罰の残っていない者と
みなして下さって、

「聖である霊」と呼ばれている方を
私たちの内に派遣して下さる道を開いて下さり、

私たちが
この方をお迎えするなら、
この方によって
私たちの心に、
あの方の御思いを書きつけて下さって、

あの方と
一つ思いになり、
一つ行動をとり、
存在を一つにする者として下さるのだそうですね
(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26)。


これは
キリスト・イエスによって拓かれた、
恵みのプレゼントなのだそうで、
全ての人に与えて下さっているものなで、
受け取りさえすれば
その人のものになるのだそうです。


だから、
自分の力で戒律を守って、
自分の義であの方の前に立とうとする、
今まで誰一人として合格することのなかった
旧い教えに
逆戻りすることがないように、

この事実を体得するために、
前に向かって前進するよう、
あの方は
願っておられるのだそうですね。

今日も。


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