朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

「あなたの口にわたしの言葉を入れたから。」

2015-03-26 07:00:38 | 聖書から
わたしはあなたの口にわたしの言葉を入れ、
わたしの手の陰であなたを覆う。イザヤ書51:16







恐れるな。

語り続けよ。黙っているな。
わたしがあなたと共にいる。使徒18:9〜10





       (ローズンゲン日々の聖句3/26;木)




 天の神、主は、御自分が誰だかに語りたいことを
私たちの心の思いに入れ、
その思いを私たちの口を通して語られるようですね。




 旧い時代は、特定の人を選び、預言者として立て、
その人の口を通して語られたようですが、
聖である霊とよばれるもう一人の方が私たちの内に来られる今は、
私たち一人一人の口を通しても語られ、
互いに励まし合うようにしていてくださるようですね。




 あのペンテコステ(五旬節)の日、
それまで、捕まるのを恐れて、扉には鍵をかけ、
家の奥の方に身をひそめていた弟子たちが、
聖である霊と呼ばれる方が、弟子たち一人一人の内に来られると、 大胆に立ち上がり、

エルサレム中からかけ集まってきた多くの人たちを前に、

イエスによってなされた神様の御業を語りだしたのだそうです。
原稿を準備したわけでもなく、聖書が手元にあるわけでもないのに。




 そして、そのペテロたちの話しを聞いて、
イエスを救い主、主として受け入れ、バブテスマを受けた人が、
成人の男だけで3000人ほどだったのだそうですね(使徒2:41)。




天の神、主は、

聖である霊と呼ばれる方を通して私たちの心において下さる御思いを、

恐れて黙り込んでいないで、大胆に語り続けて欲しいのだそうですね。
語り始めるとき、どのような、あの方の御業が起こってくるのか。
今日も。





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「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。これに聞け」と。

2015-03-25 00:18:31 | 聖書から
ヤコブは眠りから覚めて言った。
「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。
これはまさしく神の家である。
そうだ、ここは天の門だ。」創世記28:17
「これはわたしの愛する子、
わたしの心にかなう者。これに聞け」という声が
雲の中から聞こえた。
弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
イエスは言われた。
「起きなさい。恐れることはない。」マタイ17:5〜7
        (ローズンゲン日々の聖句3/25;水)


 赤いレンズ豆の煮物、一杯で、兄エサウから長子の権利を買い取り、
母リベカの勧めでとはいえ、
父イサクが老齢で目が見えなくなっていることをいいことに、
兄エサウに偽装して祝福(遺産相続)を自分のものにしたヤコブ。
 殺意を抱く兄エサウを避けて、
母リベカの実家、母の兄ラバンのもとへ逃げるヤコブ。
そのヤコブに天の神、主は夢の中で現れられたのですね。
 天からはしごが地に向かって立てられ、
神の使いたちが上り下りしている。
そして、天の神、主がヤコブのかたわらに立っておられて、
おおせられたのだそうです。
「あなたが横たわっているこの地を、
あなたと「あなたの子孫」とに与える。
あなたの子孫は地のちりのように多くなり、
あなたは、西、東、北、南へと広がり、
地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
見よ。わたしはあなたとともにあり、
あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。
わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、
決してあなたを捨てない。」と。

 そして、その時から2000年近く経って、
「その子孫」として人の世に来られた方イエス。
そのイエスの弟子に天の神、主は声をかけられたのですね。
「これ(イエス)はわたしの愛する子、私の心にかなう者。
これに聞け」と。
 私たちも、そのイエスに代わって来られる方、
聖である霊を呼ばれる方によって心に書き付けて下さる、
御父と心を一つにしておられる、御子イエスの御思いに
聞いていかせていただきたいですね。
今日も。
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持ち主の思いに忠実であることなのだそうです。管理者に求められるのは。

2015-03-23 23:00:40 | 聖書から
主なる神は人を連れて来て、

エデンの園に住まわせ、
人がそこを耕し、守るようにされた。創世記2:15


管理者に要求されるのは

忠実であることです。Ⅰコリント4:2

        (ローズンゲン日々の聖句3/24;火)

 管理者に必要なことは、単に仕事熱心とか勤勉ということだけでなく、
主人の思い、願いのとおりを実現することが大事なことなのだそうです。
主人の心を知っていること、
そして主人の思いが実現することを願う心が必要だということなのでしょうね。
 主なる神は、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」人を造ろうと思われたのだそうです。
そして、彼らが、
海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを
支配するように」と(創世記1:26)。

 主なる神は、人間がすむ場所として、
この自然界、この宇宙を創造されたのだそうですが、
人間が自分でその住まいである自然界を管理することを願われたようですね。
 神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者となった人間は(創世記3:22)、
自分の住まいとして任されたこの自然界を
支配することには熱心であり、勤勉でもあったのですけれど、
自分の判断、自分の思いを実現することには熱心だったのでしょうが、
主なる神の御思いをこの地にもたらそうとはしなかったのですね。

 イスラエルの1500年の歴史をとおして、
主なる神が人間にやって欲しい御思いを示しても、
人間は、自分の力ではこれを行うことが出来ないことがはっきりされた今、
主なる神は、御子である方、イエスを十字架刑で処刑することで、
人間のうちに聖である霊と呼ばれる方を派遣する道を開き、
この方によって、ご自身の思いを人間の心に置き、書きしるして、
私たち人間が主である神と一つ思いになって、
主である神の御思いのとおりにこの地を支配していくように、
私たち人間を創造の目的のとおりに回復しようとしていらっしゃるのだそうです。
 私たちもこの事業に参加するよう招いて下さっているのだそうですね。
今日も。


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弱い者、ダメな者を招き、立たせて下さる方なのですね。あの方。

2015-03-23 15:52:10 | 聖書から
私たちは先祖と同じく罪を犯し、
不正を行い、主に逆らった。詩編106:6

イエスの言葉:
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、...
罪人を招くためである。マルコ2:17

      (ローズンゲン日々の聖句3/23;月)


 自分が罪の存在、
天の神、主の創造の目的から
的外れになっている存在であることを知った者を
招いて下さる方なのですね。

「彼は罪人の家の客となった」と非難されても、
その当時、社会からのけ者にされ、
挨拶もしてもらえないような人たちのところに行って
その人の側に御自身を置き、食事を共にされたのだそうです。

 そればかりか、御自分の方から声をかけ、招いて、
弟子にまでして下さった。


 私たち人間の罪も、病も、
御自身の身に一身に引き受け、背負って下さって、
その上で、
「すべて、疲れた人、重荷を背負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます」と
招いて下さっているのだそうですね。
今日も。
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さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。その小道を歩もう。

2015-03-22 00:34:35 | 聖書から
人の子が、仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。マタイ20:28
       (今週の聖句)




多くの民が来て言う。...
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主は私たちに道を示される。
私たちはその道に歩もう」と。イザヤ書2:3 





人々は、東から西から、
また南から北から来て、
神の国で宴会の席に着く。ルカ13:29




      (ローズンゲン日々の聖句3/22;日)




 イエスの弟子たちにおいてさえも、最大の関心事は、
神の国が実現したとき、誰がイエスの右と左の座に着くのか
ということだったようですね。




 そこで、イエスは言われたのだそうです。
「異邦人の支配者たちは彼らを支配し、
偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
あなたがたの間では、そうではありません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、
みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、
あなたがたのしもべになりなさい」と。




 そして、イエスご自身が人間となって、人の世に来たのは、
人に仕えるため、多くの人の身代金(買い戻しの代金)として
自分の命を与えるためなのだと。




 人は、善悪を知る者となり、神のひとりのようになろうとして、
本性的に、
自分を他よりも少しでも高くしようとする者に なってしまっているのですね。




 イエスは、その逆で、
一番高い所におられたのに、その位に固執することなく、
低く低くなって、人間の世に生れられ、
人間の中でも貧しく、低くなられ、ついには大罪人、反逆者として処刑され、
罪人として地の深いところまで下られたのだそうです。




 イエスが、御自分の命を、私たち人間を罪から買い戻すための
身代金として献げて下さったことにより、
神の民、イスラエル人はもとより、
神なく、望みなく、約束とも縁のないものであった私たち異国人も、
神の国での宴会に招かれるようになっているのだそうです。




 それで、多くの人たちが言うのですね。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう」と。
東から西から、南から北から人々は集まっているのだそうです。
王が出してくれる礼服、「御子イエスの義」という衣を着て。




 さらに、聖である霊と呼ばれる方に覆われ、満たされて、
この方によって心に道を、御父の御思いを書き付けていただき、
その御思いのとおりに歩む者にしていただけるのだそうです。




 私たちも、「さあ、主の山、ヤコブ(イスラエル)の神の家に上ろう。

その小道を歩もう」と声を掛け合うのですね。
今日も。


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