朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

悪に対しても、善をもって返していけばいいのだそうですね。

2015-07-21 07:48:05 | 聖書から
主は、おのおのに、
その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。サムエル記上26:23

 義のために迫害されている人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。マタイ5:10

      (ローズンゲン日々の聖句7/21;火)
 正しいことをして苦しめられている者を、天の神、主は、そのままにはしておかれないのだそうです。
必ず、その正しさ、忠実さに従って報いて下さるのだそうです。
それで、悪に対して、悪をもって報いるのではなく、善をもって報いていきなさいと勧められているのですね。
 イエスを信じる者だということで、ののしられ、迫害され、ありもしない悪口を浴びせられる時がありますが、天の神、主は、それらをひとつ残らず見ていて下さって報いて下さるのだそうです。
だから、「喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから」とイエスは仰るのだそうです(マタイ5:11~12)。
 私たち、天の神、主と、思いを一つにしていく生き方をしていく者をと願われて造られていながら、その生き方を嫌がり、自らが、神の一人のようになろうとし、自分一人で善悪の判断をしていく生き方を選んだ者の子孫として、その性質を受け継いで生れて来た者(創世記3:22)。
 それで、私たち、天の神、主の招待の言葉も、天の神、主が御子である方を私たちの身代わりに、十字架刑で処刑して用意して下さった義も、
妬むほどに愛し(ヤコブ4:5)、
自分に対する悪口は赦すけれど、この方に対する悪口は赦さないとおっしゃられるほどの大切な方(ルカ12:10)を私たちひとり一人に派遣して、私たちの心に、ご自身の御思いを書き記して下さって、私たちに、ご自身と思いを一つにして生きて欲しいとの懇願も、
気にもかけず、いい加減にあしらってしまう者(マタイ22:1~14)ですが、
そういう者であることを認めて、頭を下げて、この方に呼びかけていけば、答えて下さるのだそうですね。
今日も。



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涙を、そしりを拭い去って下さるのだそうです。この方。

2015-07-20 07:34:56 | 聖書から
主なる神は、
すべての顔から涙をぬぐわれる。イザヤ書25:8

 私たちの主イエス・キリストの父である神、
慈愛に満ちた父、
慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。
神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださいます。Ⅱコリント書1:3~4


      (ローズンゲン日々の聖句7/20;月)

 「万軍の主はこの山の上で万民のために、
あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、
髄の多いあぶらみと
よくこされたぶどう酒の宴会を催される。
この山の上で、
万民の上をおおっている顔おおいと、
万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
永久に死を滅ぼされる。
神である主はすべての顔から涙をぬぐい、
ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。
主が語られたのだ。
その日、人は言う。
『見よ。この方こそ、
私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。
この方こそ、私たちが待ち望んだ主。
その御救いを楽しみ喜ぼう。』」(イザヤ25:6~9)



 天の神、主は、独り子である方を私たちの身代わりに立てて人間イエスとしてこの地上に送り、私たちに代わって十字架刑で処刑し、さらに、三日目、日曜日の早朝、この方を復活させ、天の 元いた御自身の右の座に帰らせ、この方を通して、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を私たちに派遣し、この方の働きで私たちの心にご自身の御思いを置いて下さって、私たちが望むなら、御自身と思いを一つにして歩む者に、として下さるのだそうです。



 こうして、私たちの、「的はずれになった者」「うなじの固い、自分の考えを押し通して、心を一つにしようとしない者」とのそしりを除いてくださり、私たちの顔から涙をぬぐって下さるのだそうです。



 あらゆる苦難を共にして、通り過ぎさせて下さり、
その日、その日の必用をその日、その日に備えて下さるのだそうです(マタイ6:24~34)。

 そして、あの山の上での大宴会に私たちも招待されるというのですね。ヒゼキヤ王の時に再開されたあの過越しの祭りの時のように歴代誌下30:13~22)。


 約束して下さったこの方の、私に関わる御思いを求めて歩みます。
今日も。















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平和を与えていただけるのだそうですね。あの方との間に。

2015-07-19 06:31:06 | 聖書から



あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、神の家族である。エフェソ2:19(今週の聖句)




 主が民を祝福して平和をお与えになるように。詩編29:11





 私たちは信仰によって義とされたのだから、
私たちの主イエス・キリストによって
神との間に平和を得ています。ロマ書5:1




          (ローズンゲン日々の聖句7/19;日)




 私たちは、異邦人であり、無割礼の者、

キリストから離れ、約束の契約については他国人であり、

この世にあって望みもなく、神もない者でした。

しかし、イエスが十字架刑による死刑を受けて下さり、

十字架上で流して下さった血によって、背きの罪を赦され、

イエスによって派遣される聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、

キリスト・イエスの中にある者にしていただき、

神の国の国籍を与えていただき、

神の家族にしていただけるのだそうです(エフェソ2:11~13、19)。


 そして、天の神、主は、私たちを祝福し、
平和を与えて下さるのだそうです。
私たち、人類の始祖アダム以来の、天の神、主に対立し、
聞き従おうとはしない性質を受け継いでいる者ですが、
イエス・キリストによって、平和な関係、
思いを一つにし合う関係を
プレゼントとして与えて下さるのだそうです。
この新しい週も。














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自分のほうから話して来て欲しいのだそうですね。私たちに。

2015-07-18 07:11:22 | 聖書から

胎児であった私をあなたの目は見ておられた。
私の日々はあなたの書にすべて記されている。詩編139:16

 ナタナエルはイエスに言った。
「どうして私を知っておられるのですか。」ヨハネ1:48
...
          (ローズンゲン日々の聖句7/18;土)

 詩篇の作者はうたいます。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、
私がよみに床を設けても、
そこにあなたはおられます。
私が暁に翼をかって、海の果てに住んでも、
そこでも、あなたの御手が私を導き、
あなた右の手が私を捕えます。

たとい私が、
「おお、闇よ。私をおおえ。
私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、
あなたにとっては、闇も暗くはなく、
夜は昼のように明るいのです。
暗闇も光も同じことです。


それはあなたが私の内臓を造り、
母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。」(詩編139:7~15)


私たちの、この世での日々が、まだ1日もないうちに、
私たちのすべてが天の神、主の書物に記されたのだそうです。

 私たちの全てを知っておられる方、なのですね。

そして、あのイエスがその方(その方々の一人)なのだというのですね。

 その、私たちの全部を知っていて、責任のすべてをご自身で引き受けていて下さる方が、

私たちに、自分のほうから話して来て欲しいと仰っていて下さるのだそうです。

御前に、私たち、思いのすべてをそのまま差し出し、見ていただいて、

明るい出来事にしていただけるのだそうです。
光の中に差し出したことは光の出来事にしていただけるのだそうですから。
今日も。












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さあ、どちらの道を歩みましょうか。今日。

2015-07-17 07:30:47 | 聖書から
主を畏れる人は誰か。
主はその人に選ぶべき道を示される。詩編25:12


 あなたがたは神に愛されている子供ですから、
神に倣う者となりなさい。
キリストが私たちを愛してくださったように、
愛によって歩みなさい。エフェソ書5:1〜2


      (ローズンゲン日々の聖句7/17;金)

 これが道だ。これに歩め、と進むべき道を示して下さる方なのだそうです。足もとの小道までも。

 神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者となった私たち人間(創世記3:22)が、天の神、主の御声に聞こうとしない者、うなじのこわい、頑固な者であることは、人類の代表として選ばれた、イスラエル3500年の歴史を通しても実証済みなのでしょうが、天の神、主は、それでもなお、私たち人間を愛し、求め続けて下さって、その愛を限りなく現して下さっているのだそうです。

 約束の言葉のとおりに、独り子であられる方を人間イエスとして人の世に生れさせ、この方に人類の背きの責任のすべてを負わせて十字架刑で処刑し、神に呪われた者として、天と地との間に高く掲げて、人間にも、天使にも、サタンとその配下の者たちにもにもはっきりと公示されたのだそうです。
人間の背きの罪を処刑済み、処分済みにしたよ、と。

 そのうえで、もう一人の方、「妬むほどに愛しておられる方」、「聖である霊」と呼ばれる方を私たち人間、一人ひとりのうちに派遣して下さって、この方の働きで、私たち一人ひとりの心に、御自身の私たち一人ひとりに関わる御思いを書き記して下さって、私たちが望みさえすれば、私たちが御自身と思いを一つにして歩めるように道を開いていて下さるのだそうです(エゼキエル36:26~28)。

 それで、今は、私たちが望みさえすれば、私たちは、この方をお迎えし、天の神、主と思いを一つにし、天の神、主が私たち一人ひとりを通してしようと思っておられることをする者にしていただけるのだそうです。

 神に愛されている者として、子の身分を与えていただき、神に似せられていくようになるのだそうです。

 イエスを通して現して下さった人々への愛が私たちの心にも来るようになって、互いに相手のことを大事に思い、相手の益になることを考えるようになるのだそうですね。
不品行や汚れ、むさぼり、みだらなことや、愚かな話しや下品な冗談を厭うようになり、感謝の思いが来るようになるのだそうです。
暗闇だった心に光りが来て、今までは心の思いを隠す者でしたが、その思いの全部を主の御前に差し出し、見ていただき、光りの中の出来事、明るみに出された出来事にしていただいて、心の思いの隅々まで全部知っていただいている者、隠しているところが一つもない者、光りの子どもとしての、明るい、すがすがしい歩みをさせていただくようになるのだそうです(エフェソ5:1~19)。

それで、勧めて下さっているのですね。
この方、聖である霊と呼ばれる方をお迎えしなさい。
この方の存在に満たされなさい。沈められ、漬け込まれなさい。
上から覆っていただきなさい、と。
 今日も。












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