朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

主人のすることを知っている、友と呼ばれる者に

2017-04-12 12:28:32 | 聖書から
主にあって私の心は喜びます。サムエル記上2:1




 イエスの言葉:

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。

僕は主人が何をしているか知らないからである。

わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。ヨハネ15:15




 ルカ22:1~6

 ルカ23:13~25

  (ローズンゲン日々の聖句4/12;水)




 私たちもイエスが完成してくださった救いにより、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の中にいる者、御思いの中にいる者としていただいて、心、喜ぶ者にしていただけるのだそうです。




 イエスは、〔父である神〕が、イエスを通して伝えるようにおっしゃられたことは、みな、知らせた。

あなたがたは主人がすることを知っている者になったから、

そして、それを行うから、

あなたがたはわたしの友だとおっしゃっておられるようです(ヨハネ15:14~15)。




 イエスの12弟子のひとり、カリオテ村の人、ユダは、イエスが、自分たちが望んでいるような、王として立って、ローマ軍を打ち破り、ダビデの王国を再現する方向に行かないのを感じて、金をもらって、群衆のいないところで、イエスを祭司長たちに引き渡すことを承知したのだそうです(ルカ22:1~6)。




そして、このユダの手引きによって、深夜、弟子たちだけしかいないところで捕らえられたイエスは、祭司長たちによって、自分を王だと主張してローマ皇帝に反逆する者として訴えられたのだそうです。

そして、祭司長たちは群衆を扇動し、そのような罪は見当たらないから釈放すると言う、ローマ総督ピラトに迫って、イエスを十字架刑で処刑させたのだそうです。

暴動と人殺しのかどで処刑されるはずだったバラバに代わって。

バラバのために用意されていた十字架に。




 そのように、イエスは、私たちに代わって、私たちが負うはずだった〔的外れ〕の責任をご自身に負って十字架刑での処刑を受けてくださって、私たちの処罰が済んでいることにしてくださっているのだそうです。




 それで、このことが成っている今は、〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちのところに来られても、私たちが滅びてしまうことがないようにしてくださっているのだそうです。




 この、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が、受け入れる者の心に、〔父である神〕が一人一人に思っていてくださる御思いを置いてくださるので(エゼキエル36:25~27)、受け入れる者は、「主人のすることを知っている友」としていただけて、〔父である神〕が、私たち一人一人を通してしようと思っておられることをする者に(ヨハネ15:14)していただけ、心。喜ぶ者にしていただけるるのだそうです。




 心に置いてくださる御思いについて行ってみればいいのだそうですね。

今日も。


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永遠の命 死にさえも永久に勝利した生き方を

2017-04-10 07:16:27 | 聖書から
人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が皆、
永遠の命を得るためである。ヨハネ14:15(4/9の週の聖句)

 わたしは乾いている地に水を注ぎ、
乾いた土地に流れを与える。
あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、
あなたの末にわたしの祝福を与える。イザヤ44:3

 祭司長や律法学者たちは、
イエスによる奇跡を見、
境内で子らまで
「ダビデの子にホサナ」と叫ぶのを聞いて憤慨し、
イエスは言われた。
「聞こえる。
あなたたちは、
『幼子や乳飲み子の口にあなたは賛美を歌わせた』
という言葉をまだ読んだことがないのか。」マタイ21:15~17

 ヨハネ12:12~19
 詩22:23~32
  (4/9;日)

 主は死を永久に滅ぼしてくださる。イザヤ25:8

 私たちの主イエス・キリストによって
私たちに勝利を賜る神に、感謝しよう。Ⅰコリント15:57

 マタイ25:6~13
 ルカ22:63~71
  (ローズンゲン日々の聖句4/10;月)

 イエスは、自分が十字架刑で天と地の間に上げられなければならないと言われるのですね。
受け取る者が永遠の命を得るようになるために。

 自分が十字架刑での処刑を受けることによって、すべての人の〔的外れ〕の責任が果たされ、
神の霊、「聖である霊」と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださる道が開け、
〔父である神〕と思いを一つにして生きる者となり、
この地にありながら、死んでも滅びない、天の御国の生き方を生きる者にしていただけるのだそうですから。
この新しい週も。
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互いに重荷を負い合って

2017-04-08 08:00:53 | 聖書から
お前たちは大杯でぶどう酒を飲み、最高の香油を身に注ぐ。
しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。アモス書6:6

 互いに重荷を担いなさい。
そのようにしてこそ、
キリストの律法を全うすることになるのです。ガラテヤ書6:2

 ルカ18:31~43
 ルカ22:54~62(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句4/8;土)

 ヨセフの名をもって呼ばれる北イスラエル王国が、他の神々に走り、天の神、主によって戒められ、アッシリア軍によって破滅させられている。

 それを見ながら、心を痛めることもなく、自分の身を戒め、神に立ち返ることもせず、ぶどう酒に酔いしれ、最高の香油を身に注いで、自分は大丈夫だと安逸をむさぼっている南ユダ王国の政治的、宗教的指導者たち。

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちにも、誘惑に陥る者であることを認め合って、互いに重荷を負い合うよう、願っておられるのですね。

 イエスの十字架刑での処刑を通して受け入れる者に来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、そのような〔父である神〕の御思いを私たちの心にも置いてくださるのだそうですから。

 女中や下役の言葉さえも怖れて、三度もイエスを知らないと言うペテロ。
そのペテロの信仰がなくならないよう祈っているから、あなたが立ち直ったら、他の弟子たちを力づけてやりなさいと言われるイエス(ルカ22:31~32、54~62)。

イエスから、「預言者たちがわたしについて書いてあることはみな、実現し、わたしはエルサレムで、十字架刑で処刑され、三日目によみがえる」と話されても、弟子たちは、何一つわからなかったのだそうです。
そのように、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)自分の理性の判断は、〔的外れ〕になっているものであり、
本当のことが見えない者であることを、私たちも認めて、
盲人バルテマイのように、イエスのあわれみによりすがっていくなら、
御心が見える者にしていただき、
〔聖である霊〕が心に置いてくださる御思いについて行く者にも変えていただけるのだそうです(ルカ18:31~43)。
天の神、主は、私たち一人一人を通してしようと思っておられることがあるのだそうですから。
今日も。
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実を結び、命にあふれ、生き生きとした今日を!

2017-04-07 07:35:09 | 聖書から
神に従う人は主の家に植えられ、私たちの神の庭に茂ります。
白髪になってもなお実を結び、
命に溢れ、生き生きとします。詩92:14~15

 どうか、主があなたがたを、
お互いの愛とすべての人への愛とで、
豊かに満ちあふれさせてくださいますように。Ⅰテサロニケ3:12

 ヘブル10:1、11~18
 ルカ22:47~53(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句4/7;金)

 神に従い、神を経験した人たちは、命に溢れ、生き生きとしているのだそうです。
年を取り、身体は弱っていったとしても。

 そして、イエスが私たちを愛してくださっている、その愛で私たちも満ちあふれさせていただき、お互いがイエスの愛の心で見あうようにしていただけるのだそうです。

 イエスの十字架刑での処刑を通して受け入れる者に来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が、受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いを置いてくださるのだそうですから。
イエスがそうであったように。

 イエスがキリスト(神の子である救い主)として、ご自分の命を唯一のいけにえとしてささげ、陰府にまで下り、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、永遠に神の右の座に着き、そこから、もう一人の助け主〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。

 この〔聖である霊〕と呼ばれる方が、受け入れる者の心に〔父である神〕が私たち一人一人に思っていてくださる御思いを置いてくださり、書き付けてくださるのだそうです(ヘブル10:15~17)。

 それで、受け入れる者は、〔父である神〕がその人を通してしようと思っておられることをしていく者、この地にもたらしていく者としていただけるのだそうです。

イエスが、〔聖である霊〕と呼ばれる方を豊かに受けて〔父である神〕の話そうとすることを話していかれたように(ヨハネ3:34)。
私たちも。
今日。
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イエスと一緒に踏みとどまる者に

2017-04-05 08:18:32 | 聖書から

エリヤへの主の言葉:
わたしはイスラエルに7千人を残す。
これは皆、バアルにひざまずかず、
これに口づけしなかった者である。列王記上19:18

 弟子たちへのイエスの言葉:
あなたがたは、
わたしが種々の試練に遭ったとき、
絶えずわたしと一緒に踏みどどまってくれた。ルカ22:28

 ヘブル書9:11~15
 ルカ22:31~38(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句4/5;水)

 イスラエルに、近隣諸国の神、バアル礼拝が満ちたとき、
預言者エリヤは天の神、主に訴えて言いました。

「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。
しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、
あなたの預言者たちを剣で殺しました。
ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとしています」と。

 これに対して、主は、
イスラエルにバアル礼拝をしない者、7千人を残しておくと答えられたのだそうです。

 そして、エリヤは、主が命じられたとおりに、ダマスコに帰り、
ハザエルに油を注いでアラムの王とし、
ニムシの子エフーに油を注いで、イスラエルの王とし、
エリシャに油を注いで自分の後継者としたのち、
死を見ることなく、火の戦車に迎えられ、たつまきに乗って天に移されたのだそうです。

 イエスは、試練に遭ったときにも、イエスのもとに踏みとどまり、
イエスと一緒にいて、イエスについて行った弟子たちに、
「わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着く」と仰られました。

 イエスは、キリスト(救い主)として、ただ一度、天のまことの聖所に入り、
ご自分の血をささげて、贖いを成しとげ、
私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、
生ける神に仕える者にしてくださり、
永遠の資産を受け継ぐ者にしてくださるのだそうです(ヘブル19:11~15)。

 また、イエスご自身が、
私たちの信仰がなくならないように祈っていてくださり、
立ち直らせてくださるのだそうです。
三度もイエスを知らないと言って自分を守ったペテロのときのように(ルカ22:31~32)。
今日も。
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