朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

イエスの勝利の中を歩み

2018-02-18 08:46:09 | 聖書から
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
神の子が現れたのです。Ⅰヨハネ3:8b(2/18の週の聖句)

 シオンよ、恐れるな、
力なく手を垂れるな。
おまえの主なる神はお前のただ中におられ、
勇士であって勝利を与えられる。ゼファニア書3:16~17

 萎えた手と弱くなったひざを
まっすぐにしなさい。
また、自分の足で
まっすぐな道を歩きなさい。ヘブル書12:12~13
 
 マタイ4:1~11
 詩91(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/18;Ⅲ日)

 〔御子である神〕が、
人となって、人の世に来てくださったのは、
悪魔の働きを滅ぼすため、なのだそうですね。

 悪魔は、天の神、主の前に、私たちを訴えて、
神によって私たちを罪に定めさせ、
私たちを地獄への道連れにしようとしているのだそうです。

 それで、〔神の御子〕である方が、
人間となり、人の世に来られて、
私たちの身代わりになり、
私たちの「的外れ」の責任をご自身の身に一身に背負って、
神にそむくもの、神に呪われたものとなって
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。


〔父である神〕は、私たちをこのイエスに合わせられたものとして、
イエスと共に十字架刑での処刑を受けたものと手続きしてくださって、
処刑済みのもの、死んだものとしてくださるのだそうです。


それで、悪魔がどんなに私たちを訴え、
私たちの罪を神の御前に広げても、
〔父である神〕は、その一つ一つに
「処罰済み」との判決を言い渡してくださるのだそうです。


もう、悪魔がどんなに、私たちの実体を告発しても、
イエスによるこの救いをいただいた者は、
悪魔の道連れにされることはない、のだそうです。

 その上で、〔父である神〕は、
このイエスを通して、
受け入れる者に、もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。


 この方は、受け入れる者を上からすっぽりと覆い、
受け入れる者の中に来て、イエスによる勝利をあらわしてくださり、
〔父である神〕が、私たち一人一人に思っておられる御思いを心に置いてくださって、
受け入れる者が
〔父である神〕と思いを一つにするようにしてくださるのだそうです。


 だから、私たちは、悪魔の告発に会って、
恐れたり、力を失ったりする必要はないのだそうです。
萎えた手と弱くなっているひざをまっすぐにして、
心に来た〔父である神〕の御思いについて行き、
父である神のしようと思われることをしていくようにしていただけるのだそうです。

 イエスが、悪魔の誘惑を、聖書の御言葉で退けられたように
私たちも悪魔の誘惑を御言葉によって退けるようになるのだそうです(マタイ4:1~11)。

 そして私たちもうたうのですね。
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。
「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、
あなたを救い出されるからである。
主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
また、暗闇を歩き回る疫病も、
真昼に荒らす滅びをも(詩篇90:1~6新改訳)、と。
この新しい週も。
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苦しんでいる人、その人は祈りなさい

2018-02-16 22:16:41 | 聖書から
神よ、私の心は確かです。
私は賛美の歌を歌います。詩108:2

 あなたがたの中で苦しんでいる人は、
祈りなさい。
喜んでいる人は、
賛美の歌をうたいなさい。ヤコブ書5:13

 ゼカリヤ書7:2~13
 申命記26:1~15(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/;土)


 私たち、心を確立して、揺るぐことなく、
天の神、主、「『わたしはある』という者』と名乗られる方に向かって
賛美の歌を歌うようにしていただけるのだそうです。
苦しんでいる時、私たちの叫びに答えてくださり、
私たちが生きていくのに必要なすべてのものを備え、
私たちを喜ばせようとしていてくださる方に。

 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている私たちは、
断食をして嘆く時も、
食べたり飲んだりするときも、
それを自分のためにするばかりで、
天の神、主のためにするのではない者なのですね。

 天の神、主、万軍の主から、
「わたしが、『正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、憐れみ合え。
やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。
互いに心の中で悪をたくらむな』と言っても、
彼らはこれを聞こうともせず、
肩を怒らせ、耳をふさいで聞き入れなかった。
彼らは心を金剛石(ダイヤモンド)のようにして、
万軍の主がその御霊により、
先の預言者たちを通して送られたおしえとみことばを、
聞き入れなかった。
呼ばれたときも、彼らは聞かなかった。
そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない」(ゼカリヤ7:9~13)と言われてしかたのない者です。

 そのような私たちを、天の神、主は、
なお、愛し、憐れみ、大切に思ってくださって、
イエスが十字架刑での処刑を受けてくださったことによって、私たちを赦し、
そのイエスを通して〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が〔父である神〕と同じ思いを思い、
願うようにしてくださって、
実現に至らせてくださり(ピリピ2:13)、
喜び、賛美するようにしてくださるのだそうです。

 〔父である神〕が与えてくださった恵みの十分の一をもって、
レビ人(産業を持たないで、天の神、主に仕えることを専門にしている人)、
在留異国人、みなしご、やもめのために用い、
共々に喜び合い、賛美の歌を歌い合うようにも(申命記26:11~13)。
今日も。

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憐れみを受け、時宜にかなった助けをいただくように、と。

2018-02-16 00:14:39 | 聖書から
主の言葉:
わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。
そのことによって、
はわたしの栄光を輝かすだろう。詩50:15

 憐れみを受け、
時宜にかなった助けをいただくために、
大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。ヘブル書4:16

 ロマ書7:14~25a
 申命記25:1~16(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/16;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者と名乗られる方は、仰るのですね。
「苦難の日にわたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出そう。
あなたはわたしをあがめ、
私の栄光を輝かすことになる」、と。
イエスが、大祭司として、
〔父である神〕の前に立っていてくださるのだそうですから。


大祭司であるイエスは、
私たちの弱さに同情できないような方ではないのだそうです。
罪は犯されませんでしたが、
すべての点で、私たちと同じように試みに会ってくださったのだそうですから。

ですから、私たちは、
憐れみを受け、また恵みをいただいて、
おりにかなった助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づいていいのだそうです。

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
「あろうとするとおりにある」ことが出来るお方、
「あろうと思われるとおりにある」お方なのだそうです。


しかし、私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知るように」なった人間は、
使徒パウロが言うとおりで、
「あろうとするとおりにある」ことが出来ない者なのですね。
「善をしたい」という願いはいつもあっても、
それを実行することがない。

 自分のしたい善は行わないで、したくない悪を行っている実態があります。
そして、自分の努力では、その実態をどうにもできない、
そのみじめさの中にあって、
そのままで、大祭司であるイエスによって、
「神に感謝する」(ロマ7:14~25)のだそうです。

 私たちの身代わりとなって、十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、三日目に死人の中より、新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスによって、
大胆に、はばかることなく、
恵みの御座の前に出て行っていいようにしていただいているのだそうですから。

 そして、その大祭司となってくださっているイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
受け入れる者を上からすっぽりと覆って下さり、その者の内にあって
〔父である神〕が一人一人に対して思っておられる御思いを心に置いてくださり、
受け入れる者が、〔父である神〕の思われるとおりに「ある」ようにしてくださるのだそうです。

 自分の肉(〔生まれたときからの私〕という霊)を、
さまざまな情欲と欲望とともに、十字架につけたものとしていただいた者は、
御霊によって生き、
御霊が心に置いてくださる御思いに導かれて、進むのだそうですから(ガラテヤ5:24~25)。
今日も。

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新しい人を着させていただけるのだそうです。古い人を脱ぎ捨てて。

2018-02-14 21:31:31 | 聖書から

私の神よ、私はあなたが人の心を調べ、
正しいものを喜ばれることを知っています。歴代誌上29:17

 愛に根差して真理を知り、
あらゆる面で、頭(かしら)であるキリストに向かって
成長していきます。エフェソ書4:15

 コロサイ書3:(5~7)8~11
 申命記24:6~22(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/15;木)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
人の心を調べ、ためされる方、
直ぐな心、ほんとうの、ありのままの心で
ご自身に向かって来ることを喜ばれる方なのだそうです。

 その、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
うなじのこわい、自分の考えをどこまでも主張し、聞こうとしないで、
神に逆らい、対立、対抗するそのままの実体で、天の神、主の前に出て、
その、私を、なお、愛し、追いかけてくださっている神の愛を体験するのだそうです。

 イエスを私のキリスト(救い主)と認めて、
独り子であるイエスを私の身代わりとして、
私の「的外れ」の責任を負わせて十字架刑で処刑して、
私を処罰が終わったもの、死刑が終わったものとみなしてくださる神の愛を。

 神である主は、私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
死んだもの、古いものとしてくださり、
脱ぎ捨てるべきものとしてくださるのだそうです(コロサイ3:5~9)。

 そして、そのイエスを通して、
受け入れる者に、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方が、受け入れる者を上から覆い包み、
受け入れる者の内にあって、
心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
受け入れる者は、〔父である神〕の御思いを思うものとしていただけて、
〔父である神〕の御思いを我が思いとして新しく生きるように(コロサイ3:10)
していただけるのだそうです。


イエスは、〔父である神〕への愛と尊敬のゆえに、
ご自身の自由意思で、自発的に、
100パーセント、自分からは何事もせず、
ただ、〔父である神〕の御思いのとおりに行動された方なのだそうです(ヨハネ8:28、12:49~50)。〔父である神〕と完全に一つになっておられた方。


その〔父である神〕と〔御子である神〕との一つになっている関係に、
私たちも入れていただき、
成長し、イエスと同じ関係にまで達するようにしていただけるのだそうです。


 身体が、神経の伝達によって、頭(脳)からの指令のとおりに動いているように、
私たちも、自由意思で、自発的に、みずからすすんで、
イエス・キリストを私の頭とし、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が置いてくださる、
イエスを通して来る、〔父である神〕の御思いと思いを一つにして、
御思いのとおりに行動する者に。
新しい人を着て。
今日も。
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真理は、私たちを自由にする、のだそうですから

2018-02-14 07:52:20 | 聖書から

わたしはあなたたちの神となり、
あなたたちはわたしの民となる。エレミヤ書7:23

 イエスの言葉:
わたしの言葉にとどまるならば、
あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、
真理はあなたたちを自由にする。ヨハネ 8:31~32

 マタイ6:16~21
 申命記21:1~9(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/14;水)

 あのとき、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、言われたのだそうです。


「わたしの声に聞き従え。
そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、
あなたがたは、わたしの民となる。
あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じたすべての道を歩め」。

 しかし、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている彼らは、
聞かず、耳を傾けず、悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、
前進するどころか、後退した。
わたしはあなたがたに、
わたしのしもべである預言者たちを、
毎日朝早くから、たびたび送ったが、
彼らはわたしに聞かず、耳を傾けず、うなじのこわい者となって、
先祖たちよりも悪くなった」(エレミヤ7:23~26新改訳))、と。


そして、イエスは言われます。
「もし、あなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、
あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、
真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:31~32新改訳)。

 イエスのことばが真理、ほんとうであることを体験した者は、
自分自身の考えから自由にされ、天の神、主の考えで生きるようになるのだそうです。

 それで、人の目、人から受ける評判を気にし、
人から、善い人と思われようと、
人の前に歩むことからも自由にしていたでけるのだそうです。


断食している時、それが周りの人にわかるように、
わざわざ、やつれた顔つきをしたりするような。


また、自分の宝を地上にたくわえなければ止まない不安、富への執着からも解放され、
天に宝をたくわえる喜びと自由を体験し、
この世をシンプルに、軽々と生きていけるような(マタイ6:16~21)。

 イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
イエスのことば、
〔父である神〕がイエスを通して語られる御思い、を、
心に置いてくださり、
受け入れる者が御思いに留まるようにしてくださるのだそうですから。
内面からの、神の民、神の家族、イエスの弟子に。
今日も。

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