朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

時がついに満ちて、天にあるもの、地にあるもの、すべてが一つにされ

2018-06-14 06:42:29 | 聖書から
 神が私たちを憐み、祝福し、
御顔の輝きを私たちに向けてくださいますように。
あなたの道をこの地が知り、
御救いをすべての民が知るために。詩67:2~3

 神は私たちに
キリストにおいて決められた御心により奥義を
知らせました。
その御心は
時が満ちるに及んで完成し、
天地にあるものは一つにされます。エフェソ書1:9~10

 マタイ15:29~39
 アモス書7:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/14;木)


 天の神、主、「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たちを憐み、祝福し、
御顔の輝きを私たちに向け、
私たちの上に照り輝かしてくださる方、なのだそうです。

 それで、地は、神である主の道を知り、
御救いをすべての国々が知るようになり、
国々の民がこぞってこの方をほめたたえる、のだそうです。

 天の神、主は、
豊かな恵みにより、
私たちを、世界の基の置かれる前から、
イエス・キリストにあって選び、

イエスの血による贖い、罪の赦しにより、
御前で聖く、傷のない、ご自分の子にしようと、

 そして、天にあるもの、地にあるもの、いっさいのものを、
キリストにあって一つに集めようと、
愛をもってあらかじめ定めておられる、のだそうです。

 これは、神のご計画の時が満ちて実現する(エペソ1:4~10新改訳)、
のだそうです。

 天の神、主が、
北イスラエル王国のそむきの罪を罰するため、
イナゴを造り、地の青草を食い尽くさせようとされたとき、

 アモスが、
「神、主よ。どうぞお赦しください。
ヤコブはどうして生き残れましょう。
彼は小さいのです」と、執り成すと、
神である主は、ご計画を思い直し、
「このことは起こらない」と仰せられたのだそうです(アモス7:1~3)。

 イエスが寂しい所に退かれたときも、
大勢の人の群れが、足のなえた者、手足の不自由な者、
盲人、口のきけない者、そのほか多くの人をみもとに連れて来たのだそうです
それで。イエスは彼らをいやされたのだそうです。

 そして、「かわいそうに、
この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、
食べる物を持っていないのです。
彼らを空腹のまま帰らせたくありません。
途中で動けなるといけないから」とおっしゃられ、
弟子たちの手元にあった7つのパンと少しの小さい魚で、
人々を満腹にさせ、帰らせたのだそうです。
女と子どもを除いて、男4000人ほどの人たちを(マタイ15:29~39)。

 このように、天の神、主は、
人々の罪を打たれることについては、思い直したり、
寛容と忍耐をもって実行を先に延ばして、
私たちの立ち返りを待ってくださるのですが、

 恵みの出来事、祝福の出来事は、
予定外のことも行って下さり、
ご計画は、そのとおりに、間違いなく実行してくださるのだそうですから。
今日も。

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羽をもって私たちを覆い、翼の下にかばって

2018-06-12 22:12:27 | 聖書から
 神は羽をもってあなたを覆い、
翼の下にかばってくださる。詩91:4

 もし神が私たちの味方であるならば、
だれが私たちに敵対できますか。ロマ書8:31

 ヨハネ4:5~14(15~18)
 アモス書6:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/13;水)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
めんどりがひなを翼の下に覆うように私たちを覆い、
かばい、守ってくださるのだそうです。

 だから、だれも、この方に敵対して
私たちをこの方の羽の下から引きずり出し、奪う者はない、のだそうです。

 サタンが、私たちの「的外れ」のさまを
神の前に広げ、並べ立てて、
神の正義に訴えて、私たちを告訴し、
私たちの地獄行を求刑しても、

 人となられた神の御子、イエスが
私たちの弁護人として立っていてくださり、
私たちの身代わりになって受けてくださった
ご自身の十字架刑での処刑を差し出し、
私たちへの処罰、処刑が終わっていることを立証してくださって、
サタンの告発を空しいものにしてくださるのだそうですから。

 そして、イエスは、この手続きを受け取った者に、
もう、決して渇くことのない、
受け入れる者のうちで泉となり、湧き出て(ヨハネ4:13~14)、
その腹から大きな川々となって流れ出る(ヨハネ7:37~38)という、
永遠のいのちへの水、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方は、受け入れる者を覆い、満たし、
受け入れる者の心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださって、
私たちを〔父である神〕と一つ思いとしてくださり、
〔父である神〕のうちで成っている御思いが、
私たちそれぞれをとおして流れ出し、
実現していくようになさるのだそうです。

 かつて、天の神、主は、
自分の民ではないアッシリア帝国を用いて、
北イスラエル王国の王たち、
象牙の寝台に横たわり、長いすに身を伸ばし、
群れのうちから小羊を、牛舎の中から子牛を取って食べ、
十弦の琴の音に合わせて即興の歌を作り、
ダビデのように新しい楽器を考え出し、
鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗り、
自分の力で領土を広げ、
災いを押しのけていると思っている人たち、
公義を毒に変え、
正義を苦よもぎに変えている人たちを、
捕らえ、引いて行ったのだそうです(アモス6:1~14)。

 しかし、私たちをとおして流れ出る御業は、
人々を祝福する(創世記12:2~3)もの、
天の御国での大宴会に人々を招く(ルカ14:21~23)もの、
なのだそうですから。
今日も。

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見捨て、置き去りになさることはない、のだそうですから

2018-06-11 22:45:44 | 聖書から
 主よ、あなたは我々の中におられます。
我々は御名によって呼ばれています。
我々を見捨てないでください。エレミヤ書14:9

 あなたがたは皆、
信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて(在って、in Christ)
神の子なのです。ガラテヤ書3:26

 出エジプト記2:11~15(16~22)23~25
 アモス書5:18~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/12;火)

 イエスは言われます。
「父よ。
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになるためです」(ヨハネ17:21新改訳)。

 イエスは、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
 
 〔父である神〕は、
そのイエスが受けてくださった処刑を、
私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になり、
神にそむき、神に対立、対抗し、「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑したこと、死んだこととしてくださっているのだそうです。

 そのうえで、このことを受け入れた者に、
このイエスを通して、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 それで、この方をお迎えし、
この方の内にいる者、
この方によって満たされ(覆われ、沈められ、漬け込まれ)ている者は、
この方と一つになっていらっしゃる
〔父である神〕、
〔御子である神、イエス・キリスト〕の中にいることになるようです。
神の子の身分を与えていただいた者として。

 それで、これを信用し、受け取った者は、
神の家族として、神の名をもって呼ばれるのだそうです。

 そして、
〔父である神〕、
〔御子である神、イエス・キリスト〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
このことを受け取っている者たちを見捨て、
置き去りにされることはない、のですね。

 エジプトで、日干しレンガ造りの激しい労働や、
畑のあらゆる労働などを課され、
過酷な労役にうめき、わめき、叫ぶイスラエル人の
嘆きを聞かれ、ご覧になり、
御心を留められた(出エジプト1:12~14、2:23~25)ように。

それで、神である主は、
ご自分の家族となった者が、
また、自分の理性を神とし、
死亡手続きが終わっている
〔生まれたときからの私〕という霊による善悪の判断のままに、
外れ、さまよい出て、他の神々に心を寄せて行くとき、
これを放置し、行くままに任せることをせず、
懲らしめ、公義と正義に立ち返るよう、
促すこともなさるようですね(アモス5:18~24)。

 家出をし、放蕩三昧をして相続財産を使い果たしている
息子の帰りを待ちわびている父親(ルカ15:11~24)のように。
一つ家族として、心を一つにする関係になろうと。
今日も。

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呼び求めるすべての人に近く近くいまして

2018-06-10 21:49:35 | 聖書から
 主は、
主を呼ぶすべての人に近くいまし、
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいます。詩145:18

 信じて祈るならば、
求めるものは何でも得られる。マタイ21:22

 箴言9:1~10
 アモス書5:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/11;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ご自身を呼び求める人の近くにいてくださる方、なのですね。

 だから、海のかなた、地の果てに、
天の高い所、地の深い所に求めていかなくてもいい(ロマ10:6~)
ということでしょうか。

 この方に信頼し、この方のおことばのとおりを求めるなら、
それは、私たちには不可能と思えることでも、
この方は実現してくださる、のだそうです。
「山に向かって海に入れ」というようなことでも。

 だから、自分の知恵に頼まず、この方の知恵を求め、
この方の知恵によって事に当たるようにと、おっしゃるのですね。
「主を恐れる、畏敬することは知恵の初め、
聖なる、この方を知ることは悟り」(詩篇9:1~10)
なのだそうですから。

 私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
雲に迎えられ、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちに近く近くいてくださり、
私たちの心にも、
〔父である神〕の、
「主を求めて生きる」ように、
「善を求めて生きる」ように(アモス5:1~15)、
との思いも置いてくださるのだそうですから。
今日も。

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疲れた者、重荷を負う者を休ませようと

2018-06-09 21:27:19 | 聖書から

 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。マタイ11:28(6/10の週の聖句)

 天にいます神に向かって、
両手を上げ心も上げよう。哀歌3:41

 目を覚まして感謝を込め、
ひたすら祈りなさい。コロサイ書4:2

 ルカ14:(15)16~24
 詩36(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/10;Ⅱ日曜)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
疲れた者、重荷を負う者の重荷を
ご自身に負ってくださって、
私たちを休ませてくださる方なのですね。

 だから、休息をいただいて、
この方に向かって両手を上げ、
心も上げて感謝と賛美をささげ、
心に去来する一つ一つのこと、
そのすべてのことを申し上げ、
聞いていただき、見ていただき、知っていただくといいのだそうですね。

 そして、この方がどのように思っておられるのかを
聞いて行くことも。
少年サムエルのように
「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:9)、と。

 けれども、多くの人は、
招かれている、この天の神、主との関係に入ろうとはしないのだそうです。
盛大な宴会に招かれていながら、
いろいろ理由をつけて断った人たちのように。

 それで、天の神、主は、
町の大通りや路地に出かけて行って、
貧しい者や、からだの不自由な者、盲人や、足のなえた者たち、
街道や垣根のところに出かけて行って、
この家が、宴会の席が、いっぱいになるように
とおっしゃっておられるのだそうです(ルカ14:16~24)。

 御恵みによって、
ご自身の家の豊かさを、
楽しみの流れを、
私たちに、心ゆくまで飲んでほしい(詩篇36:8)と。
今日も。

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