朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

喜び、声高らかに神を賛美し

2018-07-03 21:29:22 | 聖書から
 私の魂よ、主をたたえよ。
私の内にあるものはこぞって、
聖なる主をたたえよ。詩103:1

 弟子の群れはこぞって、
自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、
声高らかに神を賛美し始めた。ルカ19:37

 エゼキエル書2:3~8a
 ホセア書11:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/4;水)

 イエスの弟子たちは、
イエスが、ろばの子に乗ってエルサレムに近づかれたとき、
今までに、自分たちが見た、
イエスがなさった奇跡、力あるわざのことで、
大声で神を賛美し始めたのだそうです。

 「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。
天には平和。栄光は、いと高き所に」と声高らかに。

 私たちも自分の魂に言うのですね。
「私の魂よ。主主をほめたたえよ。
私の内にあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ」(新改訳)、と。

 私たちは、天の神、主から、
「わたしに背いた反逆の国民、
あつかましくて、かたくなな反逆の家」と言われた
神の民イスラエルのように(エゼキエル2:3~8)、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになって」(創世記3:5、22)、
自分だけの理性での善し悪しの判断のままにことを行う者、
神に聞こうとしない者です。

 けれども、天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者と名乗られる方は、
言っておられるのだそうです。
「わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。
どうしてあなたを見捨てることができようか。
わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている。
わたしは燃える怒りで罰しない。
わたしは怒りをもっては来ない」(ホセア11:8~9新改訳)、と。

 それで、〔御子である神〕が、
「的外れ」の性質を受け継がない「女の子孫」(創世記3:15)として、
人となって、
人の世、この人間の歴史の中に来られ、

 ご自分の身に私たちの「的外れ」の責任を負ってくださり、
神の燃える怒りを受け、
神に呪われた者となって木に架けられ(申命記21:23)、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 そして、私たちを、
このイエスが受けられた十字架刑での処刑に合わせてくださって、
アダムのとき以来の、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者に、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださるのだそうです。

 その方は、私たちの心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです。

 それで、聞く耳を持たない私たちも、
この方によって
〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心にしていただけて、
〔父である神〕が私をとおしてしようと思われることを、
私がしていくようにも、してくださるのだそうです。

 この私たちが神と一つ心にしていただける、
神の恵みと憐れみによる、その大きな御業を
私たちは感謝し、
ほめたたえ、歌うのですね。

 神の御業の中で。
今日も。

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憐み、良くしてくださって

2018-07-02 21:46:31 | 聖書から
 主は私に報いてくださった。
私はどのように答えようか。詩116:12

 病をいやされた人へのイエスの言葉:
自分の家に帰りなさい。
そして身内の人に、
主があなたを憐み、
あなたにしてくださったことを
ことごとく知らせなさい。マルコ5:19

 ロマ書9:14~23(24~26)
 ホセア書10:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/3;火)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たちに報い、
良くしてくださっている方なのですね。

 イエスは、ガリラヤ湖の向こう岸、
ゲラサ人(異邦人)の地に行かれたとき、
そこで、汚れた霊につかれた人に出会われたのだそうです。

 この人は、墓場に住みついていて、
たびたび足かせや鎖でつながれたが、
鎖を引きちぎり、足かせを砕いたてしまって、
だれも彼を押えることができなかったのだそうです。

 イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われて、
悪霊が出て行き、
正気に返ったこの人は、
イエスに、「お供をしたい」と願ったのですが、
イエスは彼を、家に、家族のもとに帰されたのだそうです。

 陶器を作る者が、
同じ土のかたまりから、
自分が思うままに、
ある物を尊いことに用いる器に、
そして、ある物を日常のことに使う器に作るように、
天の神、主も、御心のままに、
ある者は特別な大きなことのために、
そして、ある者は日常的な、普通のことのために用いられるようです。

 そして、神の良いこと、あわれみを盛る器として、
神の民、ユダヤ人の中からだけでなく、
異邦人の私たちも選んでくださって(ロマ9:14~26)。
今日も。

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神の守りの中を

2018-07-02 08:42:16 | 聖書から
 あなたはわたしに
命と恵みを約束し、
あなたの加護によって、
私の霊は保たれていました。ヨブ記10:12

 パウロの手紙:
エパフロデトは
ひん死の重病にかかりましたが、
神は彼を憐れんでくださいました。
彼だけでなく、私をも憐れんで、
悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。フィリピ書2:27

 ガラテヤ書1:13~24
 ホセア書9:10~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/2;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たち人間を形造り、造られた方、
私たちにいのちと恵みを与え、
私たちを顧みて、
私たちの霊を守り、保っていてくださる方。

 パウロがローマで捕らわれているとき、
エパフロデトという人が
ピリピの教会からパウロのもとに遣わされ、
ピリピ教会からの贈り物を届け、
パウロのもとにとどまり、パウロのお世話をしていたのだそうです。

 そのとき、エパフロデトが死ぬほどの病気にかかったのだそうですが、
天の神、主は、
彼を憐れんでくださっていやしてくださり、
パウロが悲しみに悲しみを重ねないで済むようにしてくださったのだそうです。

 パウロは、このピリピ教会をはじめ、
当時のローマ帝国の地中海世界に、
イエスによる福音、喜ばしいニュースを伝えていった人ですが、
パウロは、その、イエスによる喜ばしいニュースを、
人から受けたのでもなく、
人から教えられたのでもなく、
人間によらず、神からの啓示によって受けたというのですね。

 パウロ自身は、ユダヤ教に熱心で、
先祖からの伝承に人一倍熱心でした。
それで、イエスによる救いの福音は、
人を惑わす邪教であると判断して、
イエスの弟子たちを捕らえ、投獄し、
これを滅ぼそうとしていたのだそうです。

 けれども、天の神、主は、
生まれたときからパウロを選び分け、
恵みをもって召してくださり、
異邦人(ユダヤ人以外の人々)に
(パウロ自身は、まず、
自分の同族ユダヤ人にイエスを伝えたのですが、
ユダヤ人は、パウロの言うことを聞こうとせず、
かえって、パウロを殺そうとしたので)、
御子イエスを宣べ伝えさせるために、
御子イエスをパウロに啓示されたとき、
パウロはすぐに、人に相談せず、
先輩のイエスの使徒たちに会うためにエルサレムに上らず、
アラビヤに出て行って、
天の神、主から直接、啓示を受けたのだそうです。

 そして、以前は、迫害し、滅ぼそうとしていた、イエスによる救いの福音を、
今は、宣べ伝える者とされたのだそうです。

 神は、そのように、私たちにも、
ご自身の御思いを掲示され、実現してくださるのだそうです。

 天での、神の御子の位を後にして
人間イエスとして人の世に来られ、
私たちの身代わりとなって、
私たちに代わって、神にそむき、呪われた者として、
十字架刑での処刑を受けてくださったイエス。

 墓に葬られ、
三日目に死人のうちより、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国について語ったのち、

 オリーブ山で弟子たちが見守る中、
雲に迎えられ、
天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。

 そのイエスが派遣してくださるもう一人の助け主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
受け入れる者のうちに来られて、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思ってくださっている御思いを
啓示してくださり(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、

 私たちが〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心になって、
〔父である神〕がしようと思われることをしていく者に
してくださる(ヨハネ14:12)のだそうですから。

 〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
愛において、
自由意思で、自発的に一つになっておられるように、
私たちも神と一つになるように(創世記1:26、ヨハネ17:21~23)、と、
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、働いてくださるのだそうですから。

 自分の理性による善し悪しの判断のままを行い、
神に聞き従おうとしない(ホセア9:10~17)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせて、
処刑された者、死んだものとしてくださりながら。

 命と恵み、憐みの中を。
今日も。

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天の神、主からのプレゼント、もらいませんか!

2018-07-01 08:02:13 | 聖書から
 あなたがたは恵みにより、
信仰によって救われました。
このことは、神の賜物です。エフェソ書2:8(7/1の週の聖句)

 わたしは怒ってあなたを打ったが、
今、あなたを憐れむことを喜ぶ。イザヤ書60:10

 身を慎んで、
イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、
ひたすら待ち望みなさい。Ⅰペテロ1:13

 ルカ5:1~11
 詩73(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/1:Ⅰ日曜)

 私たちは、自分の罪過と罪との中に死んでいた者、
この世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として
今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいる者でした。

 「神のひとりのようになり、
善悪を知るようになっている」(創世記3:5、22)
〔生まれたときからの私〕という霊から来る欲の思いのままに生きる、
生まれながらに御怒りを受けるべき子らでした。

 しかし、憐れみ豊かな神は、
私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちを
キリストとともに生かし、
恵みによって私たちを救い、
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、
ともに天の所にすわらせてくださっているのだそうです。

 これは、私たちの側から出たことではなく、
神からの賜物、プレゼントなのだそうです。
だから、この約束のことばを信頼して、
受け取るだけ、もらうだけの救いなのだそうです(エペソ2:1~8新改訳)。

 天の神、主は、
私たちが、取り返しのつかないところまで行ってしまわないようにと、
私たちを打たれることがありますが、
それも含めて、
私たちを愛し、憐れんでいてくださる方なのだそうです。

 〔父である神〕は、ご自分の大きな憐れみにゆえに、
イエスが死者の中からよみがえられたことによって、
〔聖である霊〕と呼ばれる方により、
私たちを新しく生まれさせてくださるのだそうです。

 そして、朽ちることも汚れることも、消えていくこともない、
天の資産を受け継ぐようにしていてくださり、
終りのときに現わされるよう用意されている
救いをいただくようにしていてくださるのだそうです。

 イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心に、
信頼し、心を引き締め、身を慎み、
この、イエス・キリストが再び現れてくださる
そのときにわたしたちにもたらされる恵みを、
待ち望む思いも起こしてくださるのですね。

 そして、ペテロたちが、
ガリラヤ湖の魚をとる漁師から、
人間をとる漁師にされたように(ルカ5:1~11)、
私たちも、神から派遣された者として、
今、置かれているそれぞれの場で、
〔父である神〕が私たちをとおしてしようと思われることを
していく者にもしていただけるのだそうです(ヨハネ14:12)。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして。
この新しい週も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)