朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

解放の時を待ち望んで

2019-12-08 08:44:13 | 聖書から
身を起こして頭を上げなさい。
あなたがたの解放の時が近いからだ。ルカ21:28(12/8の週の聖句)


 あなたは潤された園、
水の涸れない泉となる。イザヤ書58:11



 イエスは大声で言われた。
「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。ヨハネ7:38



 ルカ21:25~33
 詩80(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/8;Ⅱ日曜)


 イエスが命をささげてくださって手続きが完了した
私たちの贖(あがな)い(買い戻し)、解放が
具体的に、完全に私たちのものとして実現する、
その時が近いのだそうですね。



 干からびた荒地のような私たちの心を
うるおされた園、水がかれてしまうことのない泉のようにしてくださって。

 
 イエスの言葉に信頼して、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えするとき、
私たちの腹から、生きた水が、この方の現れが、
大きな川となって流れ出るようになる、のだそうですから。



 そして、イエスが二度目に来られる前には、
月と星には、前兆が現れ、
地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、
人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、
恐ろしさのあまり気を失うのだそうです。
天の万象が揺り動かされるのだそうですから。



 そのとき、人々は、
人の子(イエスご自身)が、
力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを
見ることになるのだそうですから(ルカ21:25~27新改訳)。



 それで、そのときを待ち望む私たちもうたうのですね。
「イスラエルの牧者よ。聞いてください。
ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ。
光を放ってください。
ケルビムの上の御座に着いておられる方よ。
御力を呼びさまし、
私たちを救うために来てください。
神よ。私たちをもとに返し、
御顔を照り輝かせてください。
そうすれば、私たちは救われます。」(詩篇80:1~3)、と。


 身を起こし、頭を上げて。
この新しい週も。



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光そのもの、まことそのものであられる方を遣わしていただいて

2019-12-07 07:42:48 | 聖書から
あなたの光とまことを遣わしてください。
彼らは私を導き、
あなたのいますところに、
私を伴ってくれるでしょう。詩43:3



 私たちがイエスから聞いて、
あなたがたに伝える知らせとは、
神は光であり、
神には闇が全くないということです。Ⅰヨハネ1:5



 ハバクク書2:1~4
 イザヤ書44:1~8(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句12/7;土)



 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の
希望の光と真実が私たちをこの方のところへ連れて行ってくれるのですね。


 この方は光そのものであり、
暗いところ、闇が全くない方なのだそうですから。



 この方が言われます。
幻を板の上に書いて確認せよ。
これを読む者が急使として走るために。
この幻は、定めのときについて証言しており、
終わりについて告げ、
まやかしを言ってはいない。
もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない。
見よ。彼の心は(高慢で)うぬぼれていて、まっすぐでない。
しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」(ハバクク2:1~4新改訳)、と。



 また言われます。
今、聞け。わたしのしもべヤコブ、
わたしの選んだイスラエルよ。
あなたを造り、
あなたを母の胎内にいるときから形造って、
あなたを助ける主はこう仰せられる。
「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、
わたしの選んだエシュルンよ。
わたしは潤いのない地に水を注ぎ、
かわいた地に豊かな流れを注ぎ、
わたしの霊をあなたのすえに、
わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。
彼らは、流れのほとりの柳の木のように、
青草の間に芽ばえる。
ある者は『私は主のもの』と言い、
ある者はヤコブの名を名乗り、
ある者は手に『主のもの』としるして、
イスラエルの名を名のる。


 イスラエルの王である【主】、これを贖(あがな)う方、
万軍の主はこう仰せられる。
『わたしは初めであり、
わたしは終わりである。
わたしのほかに神はない。
わたしが永遠の民を起こしたときから、
だれが、わたしのように宣言して、
これを告げることができたか。
これをわたしの前で並べたててみよ。
彼らに未来の事、来るべき事を
告げさせてみよ。
恐れるな、おののくな。
わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、
告げてきたではないか。
あなたがたはわたしの証人。
わたしのほかに神があろうか。
ほかに岩はない。わたしは知らない』(イザヤ44:1~8)、と。


 私たちも、
イエスを通して来てくださる
光そのもの、まことそのものであられる方、
【聖である霊】と呼ばれる方に信頼し、
照らしていただき、導いていただいて、
まことであられる【父である神】の御思いの中へと。
今日も。



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日々、私たちを担い、救われる神に

2019-12-05 21:45:23 | 聖書から
主をたたえよ。
日々、私たちを担い、救われる神を。詩68:20



 神は、
神を愛する者たちと共にいて、
万事を益となるようにして下さることを、
私たちは知っている。ロマ書8:28(口語訳)



 エゼキエル書37:24~28
 イザヤ書43:22~28(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/6;金)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちを担って運び、救ってくださる方。



 神を愛する者たちと共にいて、
お心のとおりにすべてのものを相働かせて、
万事を益となるようにしてくださるのだそうですから。



 選民イスラエルについては、
約束の地に住まわせ、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いのとおりに生きるものとし、
そして、イエスが永遠の君主となり、
ダビデのような一人の王としてその地を治めるようになるのだそうです。
ご自分の民として諸国の民から取り分けて。(エゼキエル37:24~28)


 「わたし、このわたしは、わたし自身のために
あなたのそむきの罪を拭い去り、
もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43:25)、と仰って。


 私たちも、この方をたたえながら、
この方の救いの中を。
今日も。



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号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに

2019-12-05 10:01:26 | 聖書から
主の前に激しい風が起こり
山を裂き岩を砕いた風の中に主はおられなかった。
地震が起こったが主はおられなかった。
地震の後に火が起こったが
そこにも主はおられなかった。
火の後にささやく声が聞こえた。列王記上19:11~12



 神は霊である。
だから、神を礼拝する者は、
霊と真理をもって礼拝しなければならない。ヨハネ4:24



 Ⅰテサロニケ5:(1~3)4~8
 イザヤ43:14~21(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/5;木)


 北イスラエル王国7代目の王アハブ(紀元前869~紀元前850年在位)のとき、
預言者エリヤは、王妃イゼベルの食卓につくバアルの預言者450人、
アシェラの預言400人とカルメル山上で対決、
天から火を呼び下して勝利したのだそうです。


 それで、イゼベルの怒りを恐れてベエル・シェバへ、
さらにそこから40日40夜歩いて神の山ホレブ(シナイ山)まで逃げ、
洞穴に身を隠していたのですね。



 そのとき、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が
語りかけてくださったのですが、
【主】は、山を裂き、岩を砕くような風の中、
揺れ動く大きな地震、激しく燃える火の中にはおられず、
ささやくようなかすかな細い声で。



 そのように、2000年ほど前の最初のとき、
【独り子である神】は、天使の御告げを受けた羊飼いたち、
星の運行で救い主が生まれたことを悟った東方の博士たちのほかには
誰にも知られることなく、ひっそりと
ベツレヘムの家畜小屋で、人間イエスとして生まれられたのだそうです。



 けれども、次に来られるときは、
号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られるのだそうです。
私たちを雲の中に一挙に引き上げ、
いつまでも私たちとともにいようと(Ⅰテサロニケ4:17)。

いなずまが東から出て、西にひらめくように(マタイ24:27)、
全世界、地球上のすべての場所に一瞬にして臨む出来事として。



 だから、盗人が真夜中に襲ってくるようなことにならないよう、
眠っていないで、光の子ども、昼の子どもらしく、
天の神、【主】との関係をしっかり持ちながら、
信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、
慎み深くしているように(Ⅰテサロニケ5:1~8)、と勧められているのですね。
霊と真理をもって礼拝しながら。


 天の神、【主】は言われます。
「先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しいことをする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたはそれを知らないのか」(イザヤ43:18~19)、と。


 目を覚まして、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中へと踏み出して。
今日も。



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守り、救い、前進させてくださる方によって

2019-12-04 11:10:46 | 聖書から
主の言葉:
わたしはこの都を守り抜いて救う。
わたし自らのために。列王記下19:34



 こうして、教会は
ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地方で平和を保ち、
主を畏れ、聖霊の慰めを受け、
基礎が固まって発展した。使徒9:31



 コロサイ書1:9~14
 イザヤ書43:8~13(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/4;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方ご自身が、
私たちを救い、守ってくださる、と言われるのですね。



 ユダの王ヒゼキヤのとき、攻め寄せてて来たアッシリア帝国の軍から
エルサレムを守ってくださったように。



 その守りの中で、
ユダヤの指導者たち、律法主義の人たちからの迫害を受けながらも、
弟子たちは新しいからだに復活されたイエスを力強く伝え続け、
福音はエルサレムからユダヤ、ガリラヤ、サマリヤへと証言され続け、
弟子たちの群れは平安を保ち、主をおそれかしこみ、
【聖である霊】と呼ばれる方に励まされて前進を続け、
弟子の数が増えていったのだそうです。
弟子の一人ステパノが石打の刑で処刑されたような迫害にもかかわらず。



 あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
神のみこころに関する真の知識に満たされ、
主にかなった歩みをし、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆる善行のうちに実を結び、
神を知る知識を増し加えられ、
神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、
忍耐と寛容を尽くし、
光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった
【父である神】に喜びをもって感謝をささげながら。
私たちを暗やみの圧制から救い出し、
愛する御子の支配下に移し、
贖(あがな)い、罪の赦しを与えてくださった方に。(コロサイ1:9~14)


 この方が言われます。
わたし、このわたしが【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」であって、
わたしのほかに救い主はいない。
このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。
わたしが神だ。
これから後もわたしは神だ。
わたしの手から救い出せる者はなく、
わたしが事を行えば、
だれがそれを戻しえよう。」(イザヤ43:11~13新改訳)、と。

 私たちも、この方の守りと慰めの中で、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
この方の御思いのとおりに。
今日も。



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