朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

奏であれば「そうです」、違うのであれば「違います」とだけ、言うように、と

2023-07-17 10:33:04 | 聖書から
だが今、主はこう言われる。
ヤコブよ、あなたを創造した方、
イスラエルよ、あなたを形作った方が。
「恐れるな。
わたしがあなたを贖ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。」イザヤ書43:1
        (7/16の週の聖句)



わたしが、
戒めの多くをさらに加えて書けば、
彼らは関わりのない教えのように
やり過ごす。ホセア書8:12(独)



(イエスの言葉)
そこでわたしのこれらの言葉を聞いて
行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた
賢い人に似ている。マタイ7:24



 出エジプト記14:15~22
 マタイ5:33~37(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/17;月)



    ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、こう言われるのですね。
「恐れる必要はない」、「恐れていても大丈夫だ」と。


「わたしはあなたを創造した者、
そのわたしが、あなたを
わたしの独り子を人間イエスとして派遣し、
そのイエスのいのちを支払っておまえを贖(あがな)った、
買い戻し、わたしのものにしているのだから、と。



私たちは、この神によって、
ご自身と思いを一つにしながら生きる者に、
と造られていながら、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になっています、



それで、この方のことばを聞いても、
自分には関わりのないことばとして無視し、
やり過ごしてしまいます。



しかし、天の神、【主】は、イエスの十字架刑での死と、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって、
その自分の思い、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る
思いでななく、
この神の約束のことばに表された【父である神】の御思いで
生きる者にしてくださるのですね。
砂地の上にではなく、
岩盤を土台にして家を建てる人のように。



 

 エジプトの王ファラオは、
モーセが予告したとおりに、
王の子から奴隷の子、家畜に至るまで、
一夜のうちに長子が死んでしまうという
恐怖の出来事にあって、
モーセの希望のとおり、
イスラエルの民をエジプトから去らせました。



しかし、後になって、国家の膨大な損失を思い、
戦車隊を率いてイスラエルを追いかけました。
その戦車隊を遠くに見て、イスラエルの人々は
恐怖に襲われたのですね。



モーセは民に言いました。
「恐れてはならない。
しっかり立って、今日あなたがたのために行われる
【主】の救いを見なさい。
【主】があなたがたのために戦われるのだ。
あなたがたは、ただ黙っていなさい。」



そして、モーセが、神の言われた通りに
杖あげ、手を海の上に伸ばすと、
神は一晩中強い東風で海を押し戻し、
イスラエルの民は、
乾いた地を向こう岸へ進んだのですね。(創世記14:15~22)





 イエスは言われます。

「また、昔の人々に対して、
『誓ってはならない。
あなたの誓ったことは主に果たせ』と言われていたのを、
あなたがたは聞いています。



しかし、わたしはあなたがたに言います。
決して誓ってはいけません。
天にかけて誓ってはいけません。
そこは神の御座だからです。
地にかけて誓ってもいけません。
そこは神の足台だからです。
エルサレムにかけて誓ってもいけません。
そこは偉大な王の都だからです。
自分の頭にかけて誓ってもいけません。
あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。

あるなたがたの言うことばは、
「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」としなさい。
それ以上のことは悪い者から出ているのです。」(マタイ5:33~37)





 イエス当時のユダヤの人たちは、よく、
自分の主張が正しいことを何かにかけて誓うことで
相手に認めさせようとしていたようですね。
私たちも、自分の潔白の証明として
「神にかけて誓って」という表現をすることがあります。

しかし、イエスは言われるのですね。
「はい」は「はい」、
「いいえ」、「いいえ」とだけ言いなさい、と。
事実を事実のままに伝えて、
それ以上自分を押し通そうとしないで、
後は、神におまかせしなしなさい、ということですしょうか。


気持ちや考えも、「こう思っています」と、
「善し悪し」の判断を差しはさまないで、
事実だけを伝えるように、と。



「神の一人のようになり、
善悪を知る者」になっている(創世記3:22)わたしたちは、
「自分の善悪の判断が一番いい、一番正しい。
だから、みんなは私の判断に従え」
と思う傾向を持っている者なのですね。


その、「的はすれ」になっている
〔生まれたときからの私〕から出て来る思いは、
イエスの十字架刑で死んだものと認めて、
イエスの御前に差し出し、投げ捨てながら、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る、
【父である神】の御思いについて行くのですね。
日常の一つひとつのことを。
心に来た思いのとおりに一歩踏みだしてみて。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定



〈クリスチャンの結婚相談所

   https://lita-mariage.com〉




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

先が見えなくて、暗闇を手探りしているような感じの方、光の中へ

2023-07-13 22:52:07 | 聖書から
あなたは、
あなたの神、主の聖なる民である。
主は地の面のすべての民の中から
あなたを選んで、
ご自分の宝の民とされた。申命記14:2

 

あなたがたは皆、
光の子、昼の子だからです。
私たちは
夜にも闇にも属していません。Ⅰテサロニケ5:5



 ロマ書9:14~23(24~26)
 マタイ5:21~26(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/14;金)



     ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、

「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを世界中のすべての民の中から選んで、
ご自分の宝の民としてくださった、というのですね。



もちろん、このことばは、直接的には
イスラエルの民に対して言われているものですが、
アブラハムの神への信頼にならう私たちも、
アブラハムの霊的子孫として、
私に言われていることとして、
このことばを受け取っていいのでしょうね。

天の神、【主】は、私たちを選んで、
ご自身の宝の民としてくださった、と。



そして、闇の中から連れ出し、光の子、昼の子どもにして、
光に属する者にしてくださっているのですから。 





 パウロは、
ローマのクリスチャンに宛てた手紙に書いています。



アブラハムの子どもたちがみな、
アブラハムの子孫だということではなく、
約束の子どもが子孫と認められる、と。

イサクの子、ヤコブとエソウの場合も、
その子どもたちがまだ生まれもせず、
善も悪も行わないうちに、
選びによる神のご計画が、
(子どもたちの)行いによるのではなく、
召してくださった方によって進められた、と。



そしてパウロは続けます。

それでは、どのように言うべきでしょうか。
神に不正があるのでしょうか。
神はモーセに言われました。
「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、
いつくしもうと思うものをいつくしむ。」

ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、
あわれんでくださる神によるのです。
神は人を御心のままにあわれみ、
また御心のままに頑(かたく)なにされる
(頑なになるままにされる)のです。



神は、
御怒りを示してご自分の力を示そうと望んでおられた、
滅ぼされるはずの怒りの器を、
豊かな寛容をもって耐え忍ばれました。

栄光のためにあらかじめ備えられた
あわれみの器に対して、
ご自分の豊かな栄光を知らせるために。



このあわれみの器として、神は私たちを、
ユダヤ人の中からだけでなく、
異邦人の中からも召してくださったのです。

それは、ホセアの書でも神が言っておられるとおりです。
「わたしは、わたしの民でない者を

わたしの民と呼び、
愛されない者を愛されるものと呼ぶ。

あなたがたはわたしの民ではない、
と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる」(ロマ9:14~26より)と。





 イエスは言われます。

「昔の人々に対して、『殺してはならない。
人を殺す者はさばきを受けなければならない』
と言われていたのを、あなたがたは聞いています。



しかし、わたしはあなたがたに言います。
兄弟に対して怒る者は、
だれでもさばきを受けなければなりません。
兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院(ローマ時代,
ユダヤ人の司法・行政・宗務をつかさどった
ユダヤの最高自治機関)で裁かれます。

『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。



ですから、
祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、
兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、
行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから戻って、そのささげ物を献げなさい。


あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。
そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、
裁判官は下役に引き渡し、
あなたは牢に投げ込まれることになります。
まことに、あなたに言います。
最後の1コドラント(1デナリ〈労働者の1日分の給料〉の
64分の一の貨幣、日本流にいえば「最後の1円まで」)
を支払うまで、
そこから決して出ることはできません。」(マタイ5:21~26)





 私たちの人生は、
ちょうど、イエスが言われた、
この訴える人と一緒に裁判官の所へ行っている
途中のようなものなのでしょうね。
「最後の審判」と呼ばれている
最終的な神のさばきの法廷に向かって。



そして、神のほうで、
イエスのいのちをかけて和解を用意し、
和解を受け取るように提案していてくださる。

だから、これを受け取るように、と。



さらに、【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの心に神の御思いを置いて、
私たちが神と思いを一つにして生きられるように
してくださるのですから。



だれからも後ろ指をさされることのない、
しみもしわもない、
イエスと同じ神の子の栄光に輝く者にしようと。



私たちをも、ご自身のあわれみにおいて一方的に選んで、
ご自分の宝の民、光の子としてくださって。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定



〈クリスチャンの結婚相談所

   https://lita-mariage.com〉



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

人を抹殺する者から、すべての人に、いつも善をしたいと思う者へ

2023-07-13 07:55:23 | 聖書から
ルベンは兄弟たちに言った。
「血を流してはいけない。」創世記37:23(独)



互いに、
またすべての人に対して、
いつも善を行うよう努めなさい。Ⅰテサロニケ5:15



 使徒15:4~12
 マタイ5:13~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/13;木)



     ―――― α&ω ――――



 夢を見る者であり、父ヤコブの偏愛を受けていたヨセフ。
10人の兄たちから妬まれて、殺されそうになりました。
でも、長男のルベンが弟たちに、
「血を流してはいけない」と言って、
ヨセフを殺すことを押し止めたのだそうです。



「神の一人のようになり、善悪を知る」者になって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている(創世記3:22)
私たちの〔生まれたときからの私〕から出て来る思いは、
嫉妬や怒りで、人を無き者にしよう、
殺そうとする思いなのですね。



天の神、【主】は、
そのような思いの出どころである霊、
〔生まれたときからの私〕自身を、
イエスが受けられた十字架刑での死刑によって、
死刑が完了しているもの、
死んだものとしてくださっているのだそうです。



 そのうえで、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に帰られた
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記してくださるので、
この方、【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちのうちに
【父である神】の御思いがあるようにしていただけ、
私たちがこの方によって心に来る
【父である神】がしようと思われることをしていくように
していただけるというのですね。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23、同14:12)



すべての人に対して、いつも善を行いたいとの思いも
私の心にも来て。



 それで私たちの心には、
この、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いと、
自分の〔生まれた時からの私〕から出て来た思いとが
あるようになります。



私たちは、〔生まれたときからの私〕から出て来た思いを、
イエスの十字架に合わせていただいて
「死んだもの」から出て来た思いであることを認めて、
これをイエスの御前に差し出し、投げ捨てながら、
【父である神】の御思いで生きる生き方をするようになります。




 【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いで生きる人たちの共同体(教会)が
始まった時、
メンバーはすべて
ユダヤ人(割礼を受けている人たち)、
ユダヤ教の中で育った人たちでした。



それで、異邦人が神の民に加わるには、
割礼(自分の力で神の律法を行い、
神に義と認められる生き方をする儀式)を
受けなければならない、との固定観念が
強かったのですね。



その固定観念が打ち破られ、
人が神の前に義と認められるのは
イエスに対する信頼だけによることが確立した、
エルサレム会議のことをルカは次のように記しています。



パウロとバルナバがエルサレムに着くと、
彼らは教会の人々と使徒たちと長老たちに迎えられた。
それで、
神が彼らとともにいて行われたすべてのことを報告した。


ところが、
パリサイ派(律法を守ることに特に熱心なグループ)の者で
信者になった人たちが立ち上がり、
「異邦人にも割礼を受けさせ、
モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。



そこで使徒たちと長老たちは、
この問題について協議するために集まった。
多くの論争があった後、ペテロが立って彼らに言った。



「兄弟たち。ご存じのとおり、
神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、
異邦人が私の口から
福音のみことばを聞いて信じるようにされました。

そして、人の心をご存じである神は、
私たちに与えられたのと同じように、
異邦人にも聖霊を与えて、
彼らのために証しをされました。

私たちと彼らの間に何の差別もつけず、
彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。



そうであるなら、なぜ今あなたがたは、
私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、
あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。
私たちは、
主イエスの恵みによって救われると信じていますが、
あの人たちも同じなのです。」



すると全会衆は静かになった。
そして、バルナバとパウロが、
神が彼らを通して異邦人の間で行われた
しるしと不思議について話すのに、
耳を傾けた。(使徒15:4~12)





 また、イエスは言われました。

「あなたがたは地の塩です。
もし塩が塩気をなくしたら、
何によって塩気をつけるのでしょうか。
もう何の役にも立たず、
外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。



あなたがたは世の光です。
山の上にある町は隠れることができません。


また、明かりをともして枡ますの下に置いたりはしません。
燭台の上に置きます。
そうすれば、家にいるすべての人を照らします。



このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。
人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられる
あなたがたの父をあがめるようになるためです。



わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、
と思ってはなりません。
廃棄するためではなく成就するために来たのです。



まことに、あなたがたに言います。
天地が消え去るまで、
律法の一点一画も決して消え去ることはありません。
すべてが実現します。



ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、
また破るように人々に教える者は、
天の御国で最も小さい者と呼ばれます。



しかし、それを行い、また行うように教える者は
天の御国で偉大な者と呼ばれます。
わたしはあなたがたに言います。
あなたがたの義が、
律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、
あなたがたは
決して天の御国に入れません。(マタイ5:13~20)





 天の神、【主】によって造られた私たち人間。
神は私たち人間を、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」と思って造られました。



「われわれ」、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
自分の思うことをしていくのではなく、
愛において、自由意思で、自発的に、
思いを同じくし、心を一つにしておられる、
その一つに加わり、その一つを
目に見える形で現すものを造ろう(創世記1:26)と。



神は、その御思いのとおりに人を造られました。
しかし、人は、その、神から造られた場に留まることを
良しとせず、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神の一人のようになり、善悪を知る」者になって、
自分一人で事の善し悪しを決める者に
なってしまいました。(創世記3:22)



造り主である神に対立、対抗する、
創造の目的から「的外れ」な者に。
ちょうど、塩気を失った塩が、何の役にも立たず、
外に投げ捨てられ、踏みつけられるようなものに。



しかし、天の神、【主】は、
そのような私たちをなお大切に思ってくださって、
造られた本来の位置に取り戻すことを計画されました。



それは、【御子である神】が
人間イエス(神、【主】は救いという意味)となって
人の世に来られ、
すべての人間の身代わりとなって、
すべての人間の「的外れ」の責任のすべてを
ご自身の身に負い、
「神に呪われたもの」となって十字架刑での死刑を受ける、
というものでした。

ご自身が死刑を受けられることによって、
すべての人間の死刑が完了したものとするために。
罪を犯した者はその罪にふさわしい刑罰を受けるという
律法の要求を全うして。



イエスが死刑を受けられたことによって、
私たちすべての人間の死刑が完了し、
聖である方が私たちに来られても
私たちが滅びてしまわないようにしてくださいました。



それで、いよいよ、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来て、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあり、
私たちを
【父である神】の御思いで生きるようにしてくださる道が
開けました(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)。



私たちを、塩気を取り戻した塩、
世の光、暗闇を照らす明かりとして用いようと。
人を殺す(存在を否定する)者であった私たちの心に、
すべての人に対して、善を行いたいと思う
【父である神】の御思いを置いて。



律法学者やパリサイ人(自分の努力で律法を行い、
神に義と認められようとする人たち)のように
表面だけ律法を守っているのではなく、
心から、神と思いを一つにして、
神がしようと思われることをしていく、
律法を成就する者に。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定



〈クリスチャンの結婚相談所

   https://lita-mariage.com〉



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

目に見えない唯一の神の恵みの中で

2023-07-10 14:21:22 | 聖書から
あなたがたは恵みにより、
信仰(信頼)を通して救われたのです。
それは、
あなたがたの力によるのではなく、
神の賜物です。エフェソ書2:8(7/9の週の聖句)



来たれ。
ひれ伏し、膝をかがめよう。
私たちを造られた方、主の御前に
ひざまずこう。詩篇95:6



どうか、世々の王、
すなわち、朽ちることなく、
目に見えない唯一の神に、
誉れと栄光が
世々限りなくありますように。Ⅰテモテ1:17



 エレミヤ書20:7~11
 マタイ4:18~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/10;月)



     ―――― α&ω ――――

 

 救い、
私たちが、「神の一人のようになり、
善悪を知る」者になっている、
自分自身である〔生まれたときからの私〕
という霊から出て来る思いで生きる生き方から、
一つ一つのことを、神である【主】に
報告、連絡、相談しながら、
神である【主】と思いを一つにしながら生きる生き方に
立ち返ることができたのは、
私たち自身の力によるのではなく、
神の側で一方的に完成してくださって、
プレゼントとして与えてくださった恵みによるのですね。



だから私たち、互いに呼びかけあって、
この方の御前にひざまずき、ひれ伏して、
この方に「誉れと栄光がとこしえにありますように」
と礼拝するのですね。





紀元前600年頃のエルサレムでのこと。
北イスラエル王国は、
すでにアッシリア帝国によって捕囚にされ、
残った南ユダ王国も、
今、バビロン軍によって攻められていました。



エルサレムの人たちは、
「ここには神の神殿があるから、
絶対に滅ぼされることはない」
と戦意をかき立てていました。



一人、エレミヤだけが、神からの命令を受けて
違うことを人々に伝えていました、
「ユダの王たちとエルサレムの住民よ。
【主】のことばを聞け。
イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。


見よ、わたしはこの場所にわざわいをもたらす。
だれでもそのことを聞く者は、両耳が鳴る。
彼らがわたしを捨てて、
この場所を見知らぬ所としたからである。


彼らはこの場所で、彼らも彼らの先祖も、
ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲を供え、
この場所を咎とがなき者たちの血で満たし、

バアルのために
自分の子どもたちを全焼のささげ物として火で焼くために、
バアルの高き所を築いた。

このようなことは、わたしが命じたこともなく、
語ったこともなく、思いつきもしなかった。



わたしは、包囲と、
彼らの敵、いのちを狙う者がもたらす窮乏のために、
彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。
彼らは互いに、その友の肉を食べ合う。



見よ。わたしはこの都とすべての町に、
わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。
彼らがうなじを固くする者となって、
わたしのことばに
聞き従わなかったからである」(エレミヤ19:3~9、15)と。



また、バビロンに降伏し、捕囚となって
バビロンに仕え、生きるように」と。



それでエレミヤは、足かせにつながれたり、
投獄されたりするわけですが、
次は、そのエレミヤのことばです。



「【主】よ。あなたが私を惑わしたので、
私はあなたに惑わされました。
あなたは私をつかみ、思いのままにされました。
私は一日中笑いものとなり、
皆が私を嘲あざけります。



私は、語るたびに大声を出して

『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。
【主】のことばが、一日中、
私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。


私が、「主のことばを宣べ伝えない。
もう御名みなによっては語らない」と思っても、
主のことばが私のうちで、
骨の中に閉じ込められて、
燃えさかる火のようになり、
私は内にしまっておくのに耐えられません。
もうできません。 



私が、多くの人のささやきを聞いたからです。
『「恐怖が取り囲んでいる」と告げよ。
われわれも彼に告げたいのだ』と。


私の親しい者もみな、
私がつまずくのを待ちかまえています。
『たぶん彼は惑わされるから、
われわれは彼に勝って、
復讐できるだろう』と。


しかし、【主】は私とともにいて、
荒々しい勇士のようです。
ですから、私を迫害する者たちはつまずき、
勝つことはできません。
彼らは成功しないので、大いに恥をかき、
忘れられることのない
永久の恥となります」(エレミヤ20:7~11)と。





 イエスは言われました。
「まことに、あなたがたに言います。
天地が消え去るまで、
律法の一点一画も決して消え去ることはありません。
すべてが実現します。


ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、
また破るように人々に教える者は、
天の御国で最も小さい者と呼ばれます。



しかし、それを行い、また行うように教える者は
天の御国で偉大な者と呼ばれます。



わたしはあなたがたに言います。
あなたがたの義が、
律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、
あなたがたは決して天の御国に入れません。



昔の人々に対して、
『殺してはならない。
人を殺す者はさばきを受けなければならない』
と言われていたのを、あなたがたは聞いています。



しかし、わたしはあなたがたに言います。
兄弟に対して怒る者は、
だれでもさばきを受けなければなりません。
兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院
(ローマ時代,ユダヤ人の司法・行政・宗務をつかさどった
最高自治機関)で裁かれます。
『愚か者』と言う者は
火の燃えるゲヘナに投げ込まれます」(マタイ4:18~22)と。





 イエスは、私たちの身代わりとなって、
神に呪われた者として、
十字架刑での死刑を受けてくださり、
ご自身の死によって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている私たちの霊、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
死刑が終わっているもの、死んだものとしてくださり、
律法の要求を満たしてくださいました。



そして、死んで、墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られました。



そして、その10日後のペンテコステ
(五旬節、モーセを通しての律法授与の記念日)に、
約束の、【聖である霊】と呼ばれる方を
弟子たちにお遣わしくださり、
弟子たちは、
この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに行動するように
なりました。



自分の力で神の律法を守って、
神の前に義と認められようとする人とは違った質の、
心のほうから
【父である神】の御思いのように生きたいと願って。


だから、エレミヤのように迫害されても、
なお、神に望みを置き、期待しながら、
この方に感謝と賛美をささげながら生きるのですね。
喜びの中で。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定



〈クリスチャンの結婚相談所

   https://lita-mariage.com〉




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

義しいものを思い起こしながら

2023-07-08 16:47:27 | 聖書から
義(ただ)しいものを思い起こすことは、
祝福の中に留まるとである。箴言10:7(独)



あなたがたが怠け者とならず、
信仰と忍耐とによって、
約束されたものを受け継ぐ人たちを
見倣うものとなってほしいのです。ヘブル書6:12



 ガラテヤ書6:1~5
 創世記50:15~26(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/8;土)



     ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが自分の善悪の判断に紛れてしまわないで、
ご自身に信頼し、
約束のことばが成ることを期待して待ち続けていった
先輩たちに見倣みならうようになっていってほしいのですね。

神の約束を思い起こし、
それが成ることを期待し、待ち続けて。



それが、正しいものを思い起こし続ける、
祝福の中に留まる、居続けることなのでしょうか。





 それで、パウロは書き送っています。

兄弟たち。
もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、
御霊の人であるあなたがたは、
柔和な心でその人を正してあげなさい。

また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。



互いの重荷を負い合いなさい。
そうすれば、キリストの律法を成就することになります。


だれかが、何者でもないのに、
自分が何者かであるかのように思うなら、
自分自身を欺いているのです。



それぞれ自分の行いを吟味しなさい。
そうすれば、自分だけには誇ることができても、
ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。
人はそれぞれ、自分自身の重荷を
負うことになるのです(ガラテヤ6:1~5)と。





 創世記50:15~26には次のように記録されています。
ヨセフの兄弟たちは、
自分たちの父(ヤコブ)が死んだのを見たとき、
「ヨセフは
われわれ(エジプトに奴隷として売り飛ばしたことを)を
恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪に対して、
仕返しをするかもしれない」と言った。



そこで、彼らはヨセフに言い送った。
「あなたの父上は死ぬ前に命じられました。
『ヨセフにこう言いなさい。
おまえの兄弟たちは、実に、おまえに悪いことをしたが、
兄弟たちの背きと罪を赦してやりなさい、と。』

今、どうか、父の神のしもべたちの背きを赦してください。」



ヨセフは彼らのことばを聞いて泣いた。
彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。
「ご覧ください。私たちはあなたの奴隷です。」

ヨセフは言った。
「恐れることはありません。
どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。
あなたがたは私に悪を謀りましたが、
神はそれを、
良いことのための計らいとしてくださいました。

それは今日のように、
多くの人が生かされるためだったのです。


ですから、もう恐れることはありません。
私は、あなたがたも、
あなたがたの子どもたちも養いましょう。」

このように、ヨセフは彼らを安心させ、優しく語りかけた。ヨセフとその一族はエジプトに住み、ヨセフは110歳まで生きた。



ヨセフはエフライムの子孫を三代まで見た。
マナセの子マキルの子どもたちも生まれて、
ヨセフの膝に抱かれた。



ヨセフは兄弟たちに言った。
「私は間もなく死にます。
しかし、神は必ずあなたがたを顧みて,
あなたがたをこの地から、
アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ
上らせてくださいます。」



ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、
「神は必ずあなたがたを顧みてくださいます。
そのとき、あなたがたは
私の遺骸をここから携え上ってください。』と言った。



ヨセフは110歳で死んだ。
彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた、と。 

 



ヨセフは、エジプト全土の支配者としての
権力と栄光中にあっても、
義ただしいもの、神の約束を忘れることなく、
祝福の中に留まり続けたのですね。



そしてそれからおよそ400年ほど後、
ヨセフのこの言葉のとおりに
イスラエルの民はエジプトを脱出して
約束の地に上って行ったのですね。
ヨセフの遺骸を携えて。





 私たちも、義





ただしいもの、
神の約束のことばを思い起こしながら、
また、互いの重荷を負い合いながら、
期待して、この地上の歩みを進めていくのですね。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)





〈クリスチャンの結婚相談所

   https://lita-mariage.com〉



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ