田中正純's room

 ほっとけないことがある
  「何もかも」はできないけれど
   「何か」ならばきっとできる

ボルネオで年越し その1

2011-12-31 | ボルネオ!
【12/26】
21時過ぎ明日香車で羽田へ。21:50頃着。
たぶん最後の羽田発コタキナバル直行便でいざボルネオへ。
チェックイン22:20頃から始まり、荷物スルーでサンダカンまで。
【12/27】
1:20発MH85、6;30コタキナバル着。
入国審査後、そのまま乗継便ゲートへ。
7:45発MH3093、8:35サンダカン着。
ドライバーさん見つけてワゴン車で出発。
12:00ラハダトゥ30km手前で、4WDに乗りかえ、トマンゴンへ。
プランテーションの中を走り14:40着。
15:15村人のボートに乗りかえ、ダガット村へ。
16:20ダガット村着。
ホストファミリーは2005年に初ダガットの時お世話になったサプラン(サプリ)宅。
今回はリピーターも多く結婚式準備もあるので、初日夜に恒例の村の歴史等のお話なし。
ラムサー(ルンジー)宅で結婚式の前々夜祭となりました。
いやはや元気元気!
【12/28】
心配されていた雨も上がり、朝のジャングルトレッキングへ。
雨上がりだからなのか、動物さんの姿なし。
これまた恒例の巨木マガリスの巨大板根前の記念写真。
終わり間際にたぶんヒヨケザル(flying lemur)ではないかという超レアを発見!村人もびっくりしてた。
今回は雨あがりだからか、ルーヒーちゃんに献血は自分も含めて3名。
午後はまずエビ漁。
いきなりサプリくん、20cm以上のオニテナガエビをゲット。
続いて瑛ちゃんも15cmくらいを獲る。
そしてシレナシジミ漁。
泥はかなり大変だったけど、蚊やアリがいなくて心底楽しめ、かなり大漁だった。
終わり間際に大雨。漁場のニッパヤシ林の中には、まったく雨が落ちてこないけど音でわかる。
ありさん曰く、林の中に落ちる雨は2%とか。
プランテーションで伐採すれば、熱帯の雨が容赦なく地面を削ることを、実体験で理解。
降り続いた雨も、ナイトクルーズ開始予定20;00直前にあがる。
ホタルの群がる木の本数、心なしが減ったような気がした。
星空はそこそこ、天の川も何とか見える程度。
カノープスは見えなかったけど、木星が天頂に輝いていた。
このあと、若い人たちはルンジーさん宅の結婚式前夜祭へ。
いつもは23時前に止める自家発電も、結婚式関連でOKだったらしい。
なんでも朝5時まで生バンドの演奏で、歌やダンスで大盛り上がりだったとか。
【12/29】
この日は夜の結婚式までフリー。
と思っていたら、14時から第1部が始まるとのこと。
すでに新郎は、民族衣装の礼服に着替え、村のおばさまたちに化粧(?)を施されていた。
いよいよ始まり。
覆いに隠されている花嫁さんを、扮装した村人がいろいろ口説きに来るけどそれを拒否して、最後に新郎が覆いをとるという感じのストーリー性を持った劇(?)でオープニング。
その後、3度のお色直し(①スーツ礼服・ウエディングドレス②和服③民族衣装)それぞれのお披露目で新郎新婦が現れ、お祝いのメッセージや余興が行われた。
とにかく全体が優しさと暖かさに包まれていた素晴らしい式だった。
このあと、明け方6時までお祝いは続いたのだった…。
【12/30】
前夜の興奮&しあわせのおすそ分け感冷めやらぬ中、9:00徹夜の村人3人(艘)のボートでトマンゴンへ。
テングザルがボート乗り場のすぐそばで、無心に朝ご飯を食べていた。
このような共生社会がいつまでも続くように、と、心から願う。
10:00トマンゴンから4WD、プランテーションの中を2時間走り、国道に出てそのまま4WDでラハダトゥ空港へ。
12:30空港着。
15:00MH3019でコタキナバルへ。
サンダカン発からラハダトゥ発にフライト変更ができて、ラッキーだった。
16:00コタキナバル着。
直子さんと会い、センターポイントで両替後キナバル山登山センターロックホステルへ。
20:00着。車内で久しぶりのタイガー4本。
23;00夕食後、久しぶりに早くお休みできました。
【12/31】
朝ホステルからキナバル山がばっちり見えた。
でもでもそのうち小雨が、そして本降りに。
そんな中、登山組を見送り。祈・好転好天。
サピ島組と朝食後、まずはポーリン温泉キャノピーウォークウェイへ。
途中ラフレシアを見る。つぼみもいくつかあり、しばらくはこの場所で開花が続くだろう。
キャノピーコースは数年前と変わっていた。
現コースのほうが林冠にも近く、なかなかの迫力。何かの実が眼下にある。
キャノピーを終え、コタキナバル市内へ3時間。爆睡。
ホテル到着チェックイン後、市内散策。
12月はドリアン真っ盛りで、屋台周辺はその匂いが漂ってくる。
夕食は恒例のバクテー(肉骨茶)。
ホテルに戻りINが使えたのでこれを書いた。



日本ではすでに2012年。
コタキナバルはあと10分ほどで新年です。
今年もいろいろありました。
たくさんの人のおかげで前向きに過ごせました。
ありがたいことです。

来年も充実した時を過ごせますように!
よろしくお願い申し上げます。

コタキナバル疎開支援の活動(やりとり)

2011-12-11 | ボルネオ!
>YUKOさんより
KK疎開支援のHP。
まだ未完成なんだけどビザ&学校&住宅情報のページ仕上がったので情報探してる方も居るだろうと全部完成を待たずに先に公開しました!
東南アジアで治安の良い疎開先を探されてる方がいらっしゃったら教えてあげて下さい☆
またKK在住の皆様、子どもを被ばくかた守りたくて長期であれ短期であれ、こちらに避難してくるママや子ども達のために何か良い情報があったら是非ぜひ教えて下さい。
どうぞよろしくお願いいたします!m(_ _)m
http://borneorainbownetwork.org/

BORNEO RAINBOW NETWORK

>田中です
素晴らしい活動です!!!
かたちにして動き出すというのがすごいです。
自分は、「できる範囲+もう一歩」を目指していますが、常にまだまだです。わたしもかんばります。

>YUKOさんより
田中せんせーい。
東南アジアに逃げたい人、何だか多いらし~んです。KK、とっても良い環境だと思うので周りでお子さん連れて一時的にでも海外に避難されたい方いらっしゃったら情報教えてあげて下さい。東南アジア各地でこ~ゆう情報サイト出て来て皆繋がり合えたら良いのにな~と思います。情報の充実、これから頑張ります~。

>田中です
我が家が行きたいところです。
じつは今回、妻の実家の福岡に避難も考えました。ですが、次女が今年大学受験で、落ちたら福岡の大学受けな!と言っていたんですが、こっちに受かっちゃいました。
どっちが大事?とも思いますが、流されざるを得ない自分があります。
私は、今回の災害が天災だけならば、荒ぶる神の仕業として、また自然の摂理としてありえることだと思っています。
ですが、まぎれもなく人災、しかも、厚顔無恥な「人」による災害です。
そんな輩に流されざるを得ない自分を認識させられるなんて、悔しいですね。
ご存知でしょうか、太陽光発電をつけると一つの発電所として東電と契約するんです。
この時、自分で名前を付けることができます。
我が家は3年前につけましたが、当初名前を「原発反対発電所」にしようと思っていました。
それほど深く考えずにやめちゃいましたが、今思えば「そうしておけばよかったな。」です。
ちなみに結局つけた名前は「ひばりが丘第一発電所」です。
さて私はすでに家族には伝えていますが、最後は火葬でCO2になるのではなく、生態系の分解者さんに分解してもらおうと考えています。
ですので、土葬の国で終わります。
ということでそのうち移住しますのでどうぞよろしく。