こちらも震災被害者だが、まやかしのセレモニーにも出ることはなく、海だけを見ていた。帰ると震災関連ニュースのオンパレードである。
灯籠を作った。
みんなで風船を飛ばした。
慰霊のコンサートをやった。
警察官が浜辺で遺体捜索した。
等々。
すべて行政からの助成金で実施されていることなのだが、カビの生えたパフォーマンスにすぎない。
なぜ、風船を飛ばすのか?
岩手の蓬莱館でも、大勢が集まってやったらしいが、環境破壊につながる行為をなぜやるのか?
風船の材料は合成ゴムである。プラスチック同様、自然界では分解されない物質である。それをNHKは何百という風船が空に舞い上がった!と数の多さが慰霊の大きさにつながるような報道をした。
あのおびただしい数の風船はどこに行ったのだろう。
山野や海に落ち、その環境を破壊し、野生動物のいのちを奪う。なぜ、風船飛ばしが慰霊になるのか!
2万人あまりの震災犠牲者のうち、原発避難関連を除けば、そのほとんどが津波による犠牲者である。神戸淡路やトルコとは違う。
慰霊のカタチにはいろいろあっていいが、関係者が多数集まるのなら、全員で海に行き海を見つめたり、海に向かって叫んだほうが自身の心が浄化するのではないか。
かつて、
津波の犠牲になった石巻玉川小学校の子どもたちの一部の遺族は、石巻市行政が開催する押し付け慰霊祭に背を向け、同時刻に海に向かって涙を流しながら叫んでいた。その鬼気迫る様子に取材していた者たちも泣いた。
思えば、あれが真実の慰霊であったと思う。
とにかく
風船を飛ばすことだけはやめて欲しい。
山野や海に流れた無数の有害風船を、飛ばした連中が数年かけてすべて回収するのなら、まだいい。しないだろう。親と一緒に風船を飛ばした子どもたちは聞かなかったのだろうか。
「あの風船は誰が拾いに行くの?山奥まで行ったらゴミになるよね。ウサギさんが食べたら死んじゃうよ」。
環境破壊につながる行為は、
慰霊にはならない。
亡くなった人たちが眉をひそめているだろう。