「PLAN 75」という映画があります。それは高齢者問題をテーマにした映画です。
75歳になると、自ら尊厳死も選択できるような社会体制の映画です。かなり暗い映画でしたが言わんとしていることは理解できます。倍賞千恵子さん主演でしたが、その映画を見て私は違和感がありました。
その違和感とは・・・尊厳死についての異論ではなく、75歳という年齢設定に対してです。まだ、75歳はいかにも若すぎる。
実は、私はこの映画を「PLAN 70」として記憶していまして、どこかに書いた記憶があります。ところがググってみますと映画は「PLAN 75」でした。うーーむ、これって私の記憶力が・・・既にヤバいのかも。(-"-) 謹んで訂正させていただきます。
一応言い訳すると・・・年間700本以上映画やドラマを見ているので、すんません記憶がごちゃまぜになって、あいまいなことがあります。😢 言い訳なんか言っていて、いいわけ? m(__)m
ところで、
私は、個人的には88歳までに尊厳死を希望しています。・・・安楽死は法律的に無理ですけれど、尊厳死は可能なようです。延命治療拒否ですね。
言っておきますが人生に悲観しているのではありません。十分に楽しみも苦労もさせてもらいましたので、人生88年くらいで、もういいかなっ! という感じですね。(もしかして、楽しみ過ぎたかも)
ただし、88歳の時点では自らの意思表示を明確に出来なくなっているのでは? という危惧はあります。
しかし、最近85歳の人のブログを拝見しまして、そうなんだぁ、85歳でも認知症にならないんだ!と安心もしましたが、それは各個人によって生活環境が異なります。周囲に見守ってくれる家族がいる場合と、そうでない場合では全く状況が異なると思っています。
例えば、いつか認知症になってしまうのならば、75歳くらいで「PLAN88」を、事前に一旦意思表示しておくこともありなのかなぁ、とは思います・・・って、誰に?
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私の「PLAN88」は、こんなプランです。
まずは、健康で過ごしたい。そのために、少し前に書きました walking eating chatting を実行していますが、それだけではダラダラと人生を続けてしまいそう。('ω')
模索はしているんですよねぇ。何か、ボランティアでもいいけれど社会参加できないかと。しかし、今更くだらない妥協はしたくない。イヤなものに参加してもストレスが増えるだけ。と考えると‥‥むにゃむにゃ
現在、一つ検討しているボランティア活動があります。何かの形で社会参加をしようかと思って、ここのところ模索中です。('ω') でもねえ、私のような自由人に果たして出来るだろうか・・・
たぶん、私自信は将来デイサービスなんてものには参加しないだろうと思っていますが、それは今の感情で、将来の状況は予測できません。もしかしたら急激に衰えることもあるかもしれない。
そこで考えたのは・・・
1. 75歳過ぎたら癌検診を受けない。
今では、地方自治体から高齢者に対して癌検診の案内が届きます。でもねぇ、75過ぎて癌検診? それに何の意味があるの? 癌検診が必要なのは働き盛りでしょ!
癌だけが合法的に寿命を終わらせられる唯一の手段なのに、なぜ、高齢者に早期発見・早期治療してしまうの?
2. 88歳までは健康寿命を維持する。
私の掛かりつけ医は、3、4か月ごとに血液成分検査をしてくれます。これは、健康寿命維持に一つの目安となります。とにかく、命の終わりまでは健康寿命を維持したい。
しかし、ピンコロの場合心配が一つあります。発見されなかったらどうするの?
そこで健康寿命を過ぎたら、さっさと癌にかかりたい。そして、尊厳死のスペシャルコース! (^-^) な~んてね。
これが、私の考える「PLAN 88」です。
若い時には考えてもいなかったことですが、単に長生きするだけでいいのだろうかと考えるのは、私だけではないと思います。 (-。-)y-゜゜゜