できるだけ過去は振り返らないようにしているのですが、最近は時々、歌舞伎町の話題がマスコミに登場してきますね。そして、最近の歌舞伎町の光景はすっかり昔と異なっているようです。最近は行ったことありませんのでニュースで見た限りの話ですが・・・そこで、ちょっと歌舞伎町の昔の思い出を書いてみます。
そもそも私が、おねぇちゃんのいる店に出入りするようになったのは大学生のころです。('ω') 新宿の店でのデビューは、伊勢丹裏あたりの巨大クラブ「ニューハイツ」。そこは歌舞伎町ではありません、少し手前ですね。
女の子だけで300人、400人いるかと思える巨大クラブでした。もちろん生フルバンド、ダンスホールあり。
その店に行くきっかけになったのは・・・ある日の山手線の終電車に乗っていた時に、出入り口のドアーに指で文字を書きながらハミングをしている女性がいたのですが、その女性が新宿のクラブで歌を唄っている人だと分かり、後日一人でその店に行ったのが初めてでした。
そういう女性は、たいていは悲しい背景を背負っていたりして、一晩中、悲しい家族の過去話を聞かされたこともありましたが、まだ当時の人生経験の浅い私にはピンとこなかったことも事実でした。もしかしたら、共感性が薄いのかな。(+_+) しかし、そのような厳しい人生は誰にでも訪れる可能性があることに、後年気付かされることになります。
その店が「クラブ・ニューハイツ」でした。 もちろん今はありませんから、安心して書いています。
学生時代に、何故そんなクラブに行けるお金があったかと言いますと、当時、七宝焼き銘々皿の下焼のバイトを自宅でしていたからです。200ボルト使用の電気炉を使っての熱い仕事でしたが若かったから苦にも思わず出来たんですね。特殊な仕事でしたから高収入でした。しかも自宅でしていたので時間は自由でしたね。
そのお金を持って夜な夜な新宿へ。(^-^) そして、いつしか大学の同級生を巻き込んで一緒に行くようになっていました。その同級生こそ、その後、呉服店経営をしている二代目だったんですが、残念ながら50代で亡くなっています。今も生きていたら、一緒に飲み歩けたのに・・・('ω')
でも、彼はちょっとミーハー。呉服店つながりでユーミンに会うこともできるよ、なんて言っていましたが、当時私はユーミンの声質になじめなかったので何の魅力も感じませんでした。ってね。
クラブニューハイツに慣れてくると、やがて歌舞伎町の有名店「クラブ・リー」に一人で行ったり、部活の夏の合宿の帰りに一度会っていた大阪の「クラブ御堂筋」の夏子という女性に、大阪まで会いに行ったりしましたね。
クラブ御堂筋の夏子は、なんと、年上のつわもの! そりゃ私は学生なんだから、みんな年上だよ。赤子の手をひねる用に扱われました。
深夜に御堂筋のサパークラブで待ち合わせて、どこだか知らないホテル街で一晩を過ごしましたが有り金を巻き上げられて翌日には帰ってきました。まだ、うぶだったので上手に対応できなかったけれど、あれはコスパ的にはまぁまぁだと思っているので不満はないよ。(^_-)
でっ、新宿のクラブニューハイツに話は戻りますが、私は、その店でソーシャルダンスというものを初めて学びました。特にジルバですね。(^-^) 今のクラブとは全く異なります。
その店では、行くきっかけになった専属歌手の女性をいつも指名していましたが、歌い手としての出番があるので忙しい。いつしか時がたち、他の女性も指名するようになります。
いずれ、今でいうアフターってやつですか、中には自宅まで送って行って泊まらせてもらうこともあったんですが、なぜか私は相手の自宅を知ってしまうと興味がなくなってしまうタイプなんです。
つまり、釣り上げるプロセスが好きで、自宅を知ってしまったら攻める気がなくなってしまうという変なタイプ。(^-^) 自宅を知ったからといって、二度とその女性の自宅に勝手に行くことはなかったですね。むしろ、絶対に行かない。今考えると、もったいない!
もしかしたら、変な形で深入りしたくないという気持ちの表れだったのかも。危機管理!なんちって。('ω')
ところで、
私が4年生で就職先が決まったころ、店の女の子から、「その会社だったら、頻繁に来る人がいますよ」と教えてもらい、そしてその就職先になるべき会社の先輩に合わせてもらったりしたんです。
そんな店で入社前から出会ってしまって、既に先輩と馴染みと言う妙な関係になってから入社しました。一部上場の有名会社ですが、その会社も5年で辞めてしまうんです。(^-^) いつも、私は変な奴なんですね。(-。-)y-゜゜゜
クラブニューハイツでは、ちょっと悪さもしました。
私は学生だったから、指名しているおねぇちゃんと友達のように親しくなってしまうと、面白いゲームを教えてくれたんです。
おねぇちゃんが、そのクラブに来ているヒヒおやじとテーブルを掛け持ちしている場合に、高価なフルーツオードブルの注文をヒヒおやじの伝票に記載して、その半券を私のテーブルでボーイさんに渡して、そのオードブルをこちらでいただいてしまう。飲んだくれのヒヒおやじは気づかない、という・・・今でいうと詐欺かもね・・・そんなことが出来たんですよ。昭和の時代は。
こんなことも・・・
注文伝票が複写式のスタイルだったので、ビール1本をとりあえず記入して、ボーイに渡す半券には1を4に直して渡し、1本分の料金で4本飲んでしまうという荒業。アナログだからこそ出来た技です。
これらは全て、おねぇちゃん主導の荒業ですから私に罪はありません・・・って、共犯だよねぇ。('ω')
その後社会人になってから、先記しましたクラブ界の元祖ともいわれる老舗の「クラブ・リー」の隣のビルも探検し始めたところから、歌舞伎町へのつながりが出来ました。そのころ、23歳だったかな。
(続編に、続くかも)