以前 梅集落のカヤ人形を紹介しましたが
十和田市には もう一つカヤ人形を作っている集落があります
深持 板の沢集落
御瀧大龍神
この神社の入り口横に立てられています
海の日に集落の人々が集まり
集落の上地区は女、下地区は男の人形を作り
ここに運んで立て 古い人形は焼却します
梅集落のカヤ人形とは 髷や模様が違いますね
女性や子どもたちが作る小型人形も
大型人形のまわりにたくさん置かれています
ここに奉納する時には 人形の頭にお花が飾られているそうですよ
大きなカヤ人形の横には こんな歌がそえられていました
文月の 萌たつ園に 萱人形
古歴天明(ふるきてんめい)の 餓死無き祈る
天明の大飢饉
皆さんも日本史の教科書で目にしたことがあるのではないかな
東北地方は1770年代より悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、既に農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による冷害傾向をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。このため、翌年度から深刻な飢饉状態となった。さらに当時は、田沼意次時代で重商主義政策がとられていたこととも相まって、米価の上昇に歯止めが掛からず、結果的に飢饉が全国規模に拡大することとなった。
被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定で約2万人)が餓死したと杉田玄白の著書『後見草』が伝えるが、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしていたため実数は1ケタ多い。被害は特に陸奥で酷く、弘前藩の例を取れば8万人とも13万人とも伝えられる死者を出しており、逃散した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況になった。また、津軽藩では、死者が十数万人に達したと伝えられている。飢餓と共に疫病も流行し、全国的には1780年から86年の間に92万人余りの人口減をまねいたとされる。
ウィキペディア より
犠牲になられた方の多さに驚きませんか?
カヤ人形に託した人々の祈りと願い
いつまでも 続いて欲しい風習です
この記事を書くにあたって いろいろ調べていたら
この神社にはなんと三頭木があるんです
気づかなかったぁ 大失態です
紹介したローカルニュースを見つけましたので
興味のある方はご覧ください
三頭木??って思う方も是非ご覧くださいね
セタの住む 青い森 十和田市の誇る樹木たちです
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込めていつまでも続いてほしいですね
神秘なるものに神がやどる。三頭木
初めてしりました。しかも3か所にあるんですね
まして、何百年もたっているのに、健康
状態が、いいって驚きです
震災のあの松もきっと東北の人たちに
幸せを願っています。
セタくん青い森は、すごくいい所
セタくんが教えてくれなかったら、知らない
こともいっぱいあるよ
ありがとうセタくん
幹が、何本もの木を束ねてあるみたいな感じですが、
これが長寿ブナのシワなんですね。
三つ又に分かれてるのも凄いです。
人間のシワもその人の歴史なので、
恥ずかしい事ではないぞって言われてるみたいです
セタ君の住む青い森は、本当に神が居るんですね。
三頭木、初めて知りました^^;
動画、じっくり見てしまいた~(@∇@)
なるほど~と
勉強になりました~^^
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