♪ジッコ・ワールドの住人たち♪ 某漫画家のあれこれ

某漫画家の日常の一コマ☆プライベート☆旅日記☆が主の備忘録☆

秀樹…ありがとう!

2020-01-31 | 前原と漫画と思い出ぽろぽろ


秀樹…、もういないんだね。
秀樹が亡くなって…テレビニュースの中で、
男のファンが私が思ってる以上に多いことを知りました。
秀樹はやっぱり単なるアイドルじゃなかったんだね。



病気になってからの秀樹をテレビの中で見るのは
正直辛かった…。
だって全盛期の頃と比べたら全くの別人だったから。



秀樹はほんとはもっともっとずっとずっとかっこよかったんだよ!
できるなら見たくないとまで思っていた…。



でも秀樹は最後まで自分のほんとの姿をファンにさらし続けた。
私には絶対にできないことだ。やっぱり秀樹はすごい!



秀樹…、
いつも命削って頑張ってたよね。ファンのために。
もっとほどほどで頑張ってたら、もっともっと長生きできたのに。
でも誰も命を削るような秀樹の頑張りを止めることはできなかった。
秀樹自身にもね。
止めろといわれても~♪なのだ。



以下は10年ほど前のmixiにアップした記事ですが、
私の知ってる秀樹を、
記録に残しておこうと思います。






この写真は“きみ色の日々”の取材で秀樹のコンサートに行ったとき
楽屋で撮らせていただきました。
白黒なのはカラー写真がまだない昔の…-というわけではなく、
雑誌(フレンド)掲載用に撮った写真だからです。



コンサートの終了後、楽屋で秀樹を待っていると、
アンコールのあと汗びっしょりの秀樹が現れました。
「シャワー浴びてきますから、すみませんちょっと待っててください」
という秀樹に、すかさず私の一言。
「いえ、そのままでいいです!」(笑)
(むしろそのままの方がいいんです:心の声:エロエロ)



秀樹もにっこり笑ってそのまま写真に納まってくれました。
秀樹と私とではかなりの身長さがあるんですが、
それを感じさせないほど、
思い切りかがんで顔を近づけてくれた秀樹に、
なんて優しい人なんだろうって感激しました。




“きみ色の日々”が掲載されてた雑誌も手渡しながら、
「これ、ヒデキがモデルなんですよ」と私。
うれしそうに受け取ってくれた秀樹。
後で、
本人を目の前にして呼び捨てはないんじゃないか?
やっぱりあの場合、
“ヒデキさん”と言うべきだったのではとちょっぴり反省。






私の取材用に同行したカメラマンが撮ってくれた写真なので、
そのままトレースして使わせてもらいました。



ふつうは写真をトレースしても
漫画の人物としてそのままは使えないんですが(特に足の長さとか)、
秀樹の場合はほぼ修正なしで大丈夫でしたね。




































ヒデキはじつは芸能人の中で私が初めてときめいた人なんです。(笑)
文学少女だった私(自分で言うな!)は高校時代まで、
暇があればひたすら本を読んでいたので、
テレビやラジオ番組とは無縁で
芸能界にもとても疎い女の子でした。
しかし大学入学と同時に東京に上京、
その年の暮れに漫画家としてもデビュー、
さすがにテレビ無しでは世の中の情報・流行から取り残されて、
漫画家としてはまずいだろうと思い、
やっとテレビを購入したしだいです。




そんな私が気がつけば芸能界漫画を…(笑)、
そしてミーハー一直線コースへと…。
いやあ世の中わからないものです。
テレビに出ていた芸能人にまるで免疫のなかった私ですが、
いや、なまじ免疫がなかったばかりに
秀樹の「情熱の嵐」や「激しい恋」にハートを直撃されました。(笑)




私の作品を読んでくださる読者の中には多分同じように
同じころ秀樹ファンだった人がたくさんいると思います。
そんな人たちにぜひ伝えたいエピソードがあります。



長くなってしまいましたが
もう少しだけお付き合いくださいませ。




“シャワーのあとで”を描いてる頃も、秀樹のコンサートに
お邪魔したことがあります。
ゲネプロ(本番どおり行う直前のリハーサル)から見せていただこうと
コンサート会場に早めに行きました。
通常ゲネプロは本人も参加が普通なのですが、いくら待っても秀樹が現れません。
関係者の人に聞いたところ、この日秀樹は高熱で動けず
楽屋でずっと点滴をしてるとのこと。
コンサート会場の外はすでにファンの人でいっぱい。
いったいどうなることかと…私まで不安になりました。



そして開場、開演、舞台に秀樹が現れました。
事情を知ってる私はいつ倒れるだろうかと、はらはらどきどき。
でもファンの人たちには最後まで勘付かれないまま
コンサートは盛り上がりそして無事終わりました。
まさにプロ根性。
そして、会場はいつもどおりアンコールの声の嵐。
でもさすがに秀樹は姿を現しません。(もしかして倒れた?)
いつまでたっても現れない秀樹、
でもアンコール無しなんてありえないとファンは思っているので
いつまでたっても拍手とアンコールの呼びかけの声は鳴り止まない。
どうなることかと、再びはらはらどきどきの私。




で、会場の熱気に押されるようにとうとう秀樹が現れた。
事情を知ってる私は、
(秀樹、今日はもういいよ。がんばったよ秀樹は。これ以上はもういいよ)
と心の中でつぶやいていました。
秀樹がやっと現れたことで会場は割れんばかりの拍手に包まれましたが、
突然舞台の上で深々と頭を下げる秀樹。
そして初めて事情を話し、今日はもうこれ以上歌えませんと
ファンに向かって謝る秀樹。




会場は一瞬あっけに取られましたが、
すぐ事情を察したファンは誰一人文句を言う人はいなく、
やがて照明のついた会場の席を静かに立ち始めました。
アンコールは一回もなかったけれど、みんなとても満足した
いい顔をしていました。



帰りがけにコンサート会場のロビーの一角をみると、
秀樹のマネージャーの人が追っかけファンのような
おばさんたち数名に取り囲まれていました。
みんな心配そうに秀樹の具合を聞いていました。
おばさん…、そう、いつの間にやら、かつてのファンも
年をとり…、
でも相変わらず秀樹のコンサートに足を運んでる。
ファンてありがたいなぁと、この情景にも感動した私です。




秀樹、
優しさと感動をありがとう!
これからも秀樹はみんなの心の中でずっと生き続けています。

 

 

『きみ色の日々』・・・キンドル版ー近日配信予定です。
今しばらくお待ちくださいませ。


 
 
 
 
 






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20 コメント

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Unknown (ひろりん)
2019-08-31 09:14:05
ジッコ先生!私秀樹と、ジッコ先生が、フレンドに写真が掲載されたの覚えてますよ。当時中学生だった私はきみ色の日々の幹が、秀樹をモデルで描いてると知りそれまで秀樹に興味がなかったのですが、ジッコ先生が熱烈なファンであると知って幹に秀樹を重ねながら読むようになりました!今回ブログでアップされた時も真っ先に亡くなられた秀樹を思い出しました!

今になって改めてテレビなどで再放送されてる秀樹の歌を聞いたり見たりしているうちに、いい歌だなぁと改めてしみじみ感じています。当時よりも今聴く方が心に沁みます。
当時からジッコ先生も取材したりマスコミの裏側を知ったり絵を描くために沢山の事をされたのですね!
物語が、出来上がった後、そういう裏話を雑誌で知ったりすると余計に熱が入って読んだものです。懐かしいです!

ちなみにBGMはいらないの永遠君は、シブガキ隊のもっくんがモデルだったような
こうして改めてブログで読むと懐かしさと嬉しさ満載です!
それにしても秀樹の死はやはり早すぎて、残念ですが。
返信する
やっぱり (みゆみゆ)
2019-08-31 20:11:00
こんばんは。
なんか、変なお天気が続きますが、お変わりありませんか。

やっぱり、あのシーンは、「サンタマリアの祈り」のポーズだったんですね。
私も、秀樹ファンだったんで、あの頃の先生の作品にでてくるイケメンたちが髪型とか秀樹に似ているな~って思ってたんですが・・・足の長いのなんか、秀樹以外あり得ません。
生英樹と会えるなんて羨ましすぎます。
先生のお話から秀樹の真摯な姿が思い描いてたとおり、それ以上なんで、うれしいかぎりです。
最後まで、素敵な人でしたね。
あんなに心のこもった情熱的な歌唱をする人いませんよ。

幹をみるたび忘れることなんかないです。
先生、ありがとうございました。
返信する
Unknown (お天気ママゆーみん)
2019-09-05 13:39:38
うお~っ🤩 このブログ、前原茂子先生なんですか~😲⁉️
お元気ですか?
懐かしい💖泣きそうなほどです。
先生のマンガ大好きでした。渡瀬幹くん😍忘れられません。
私も秀樹の大大ファンなので「ヒデキそのもの❤️」と思いドキドキしながら読んでました。で、先生にファンレター書いたら年賀状をくださって。感激しました😭
ごめんなさい、驚きと嬉しさの勢いでコメントしてしまった😅失礼がないといいのですが。
また秀樹のこと、語ってくださいね。
返信する
今夜もう一度 (オロナミンC)
2019-09-05 16:10:49
私の目の前に2冊本があります。
手当たり次第に秀樹の想い出を辿ったあの日。
暫く目を通してなかった本。
今夜、読み込みます。そして秀樹さんを想って
また涙してしまうことでしょう。
是非是非、秀樹さんとのお話し
また語ってください。
返信する
幹=ヒデキ! 感激! (nico)
2019-09-07 12:31:48
初めまして。

40年前 先生のコミックを何冊も購入して、セリフを覚えてしまうほど何度も何度も読み返していた私。
特に「きみ色の日々」は、最近でも、ふとした時にシーンが浮かんでくるくらい、ずっと記憶に残っている大好きな作品でした。

12歳(1979年「勇気があれば」)からヒデキファンでしたが、当時はビデオもない時代、その時番組を見ていなければ永久に見ることはできなかった為、まだ小学生だった私は、それまでの(特に1974年~1979年)の少女漫画の主人公のようなヒデキを知らずに来ました。

訃報後、それら(1974年~1979年)の映像をYoutube等で観られるようになり、あまりのカッコよさと歌の上手さに、ますますヒデキに夢中になり、毎日ヒデキの声(歌)を聴いて過ごしています。

そして、「きみ色の日々」で幹がすごくカッコいいと思っていた40年後、なんと、ヒデキが幹のモデルだったと知り、本当にビックリ!感激!です。
ヒデキが少女漫画の主人公のよう だったのではなく、”少女漫画の主人公はヒデキ” だったのですね!

地方住みの私は、ヒデキに一度も会ったことはありません。近くで見たこともありません。
何度かコンサートに行きましたが、豆粒ほどのヒデキで、実物に会ったというには遠すぎて、「遠くから小さく見えた」だけです(泣)

ですので、実際にヒデキとお話しできたり、こんなに素敵な2ショットの思い出がある先生が、とても羨ましいです。(有名漫画家さんと自分を同じ土俵で比べてはいけませんが・・)

今回、思いがけず、40年の時を経て、幹=ヒデキ 私の大好きな人が一致していたことを知り、すごくドキドキ、ときめいています!

実家には、「きみ色の日々」の他にも先生のコミックがたくさん残っています。
今度帰った時に、他の作品も読み返してみたいと思います。
それまでは、ネットにアップしていただいている今週からの「きみ色の日々」最終章、
楽しませていただきます。

なんだか、とても嬉しくなって、長文コメントしてしまいました。

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Unknown (☆ひろりんさん☆(ジッコ))
2019-09-11 16:37:34
ええっ!!ひろりんさん、すごい!!40年前ですよ~。
ひろりんさん、中学生!若い! 私も20代。ああ。こんな頃もあったのね~。
秀樹は、亡くなった後で、さらにほんとうのすごさを知りました。
いつまでも消えることのないスーパースターだったのだと。
永遠君はモックンでしたね!でも永遠君の場合は連載中に読者の方から
似てる!!と言う指摘がたくさんあって、徐々にイメージを重ねていきました。
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Unknown (☆みゆみゆさん☆(ジッコ))
2019-09-11 16:37:51
秀樹の人気は亡くなった後も衰えないどころか、ますます
ファンの間でフィーバーしていってるような気がします。
このブログの訪問者数もここ最近は尋常じゃなくなりましたから。
最初は訳が分からなかったけど、秀樹人気だったのですね。すごいです。
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Unknown (☆お天気ママゆーみんさん☆(ジッコ))
2019-09-11 16:38:08
ええっ!!ファンレター書いてくださってたんですね!ありがとうございます!
秀樹のファンの方が驚くほどたくさんこのブログを訪れてくれてるみたいで
びっくりです。
多くのファンの方に今も変わらず愛され続ける秀樹、なんて幸せなんだろうって思います。
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Unknown (☆オロナミンCさん☆(ジッコ))
2019-09-11 16:38:25
コメントありがとうございます。
そんなに愛されて秀樹はなんて幸せなんだろうって思いますよ。
私もディナーショーや後楽園ホールのコンサートで見た秀樹、
ステキすぎて、忘れられません。
返信する
Unknown (☆nicoさん☆(ジッコ))
2019-09-11 16:38:48
目の前で見た秀樹は、テレビの中の秀樹そのものでした。
気さくで、何も気取ってなくて、優しくて、背が高くてかっこよくて。
確かに私が少女マンガを描くにあたって理想とした男性の主人公そのものでしたね。
当時はあんまり意識してませんでしたが、実際にそういう人物がこの世に
実在することで、自分の漫画にリアリティが吹き込めた気がします。
今はただ、秀樹という人がこの世にいたこと、自分は同じ時代に生きてそれを知ることができたこと、当時の熱い思いと感動を秀樹と共用できたこと、に感謝してます
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