先日の休みに、家の近くの本屋に寄った。主な目的は別の物(書籍だが書籍に該当するのかその判断が難しいが・・・)を購入する為だったが、ついでに目に付いた雑誌をつい衝動買いしてしまった。
要は最近はまっているLinux関連の書籍と言うか?雑誌である。今更この道のプロになる気はないが、趣味的にはもう少しはまりたい。しかし、今の仕事は全く異なる実務分野であり、この手の話を今の出向先の会社でしても誰もわからない。最も親会社で、この手の話をしても、通じるのは数%にも満たないと思われる。この手の方面に向かうには、今の仕事がある限りは無理ではあるが、一方で実務の需要を知る為には今の仕事は捨てがたい。
つまり、Linux系の技術は当社や親会社にとってはおそらく不要(ノウハウや知っている人間が殆どいないと見てよい)ではあるが、Windows系のサーバーやAP(アプリケーション)のニーズでは、そのノウハウを蓄積できる現場と言う事になる。
今までかなりMS(マイクロソフト)に対して否定的な記事を掲載しているが、これは残念ながらMSだけの責任ではない。つまり大手企業を含めて、企業内を統括するIT部門は超保守的部門とならざるを得ない事が背景にあるからだと私的には考える。
最先端と思われるIT部門、実は超超が付く超保守部門と考えてよい。これは私的意見ではなく、間違いなく事実である。つまり、責任回避の為には実績とブランドが最優先されるからである。これを斬新に突破できるカリスマ的IT部門のトップがいれば、劇的な進歩と、おそらく激的なコスト削減が可能になると考える。
つまり、言いたいのは、今の民主党の政治と同じであるが、責任を取れる腹(懐)があるかに掛かっている。もちろん知識とブレーンが必要だと思うが・・・
さて、本題に戻すが、この雑誌の「対話式でやさしくマスター初歩からのLinux」の登場人物に弟子1おじいちゃん(70歳)、弟子2鈴(りん)ちゃん(14歳)が登場するが、日経もレベルが落ちたと言うより、理解不能な設定で、記事を掲載している事に唖然とした。私の理解が間違っているとは思えないが、これがつまり対象者がこの弟子なら、みんながLinuxを使える事になるような気がするが???それはありえない。
上記で述べたような、当社の状況や一般的な消費者を考慮しても、この設定は余りにもありえない。Linuxの普及の為に敢えてこう言う設定をしているのだろうが、現実は明らかに無理があると思う。
全てを否定するわけではないが・・・殆ど不可能と言うか理解不能な世界のようだと思う。これは別にLinuxだけの話ではないからであり、圧倒的シェアのWindowsでもその操作を理解をしている人は少ないからだ・・・。
しかし、OSの論議をする事なく若い世代は、携帯電話や、アップルのiPod Touch等をOSを意識することなく使いこなしている事を考えると、いずれこの設定が現実になる事を期待したいが、それはおそらくiPod TouchのようなOSを意識させないGUIの実現とそれの使いこなしの簡単さからくるものであり、今回の雑誌の記事の設定ではない。
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