今日の朝日新聞記事「定年後も働く?」を読んででも掲載したが、再度定年についての再考である。以前別の記事でも掲載したと思うが、一つの会社で同じ業界で仕事を全うする事ができた方は、大変うらやましい事だと思う。実は一昨日に元部門長が、挨拶に来られた。65歳で今月で退職されるとの事。
更に昨日、今月で定年(60歳)を迎えられた先輩の激励会が、開催され参加させていただいた。今までも多くの定年退職を迎えられた方の激励会(お祝いとご苦労さん会となる)に参加させていただいたが、何れも上記で述べた、一つの企業で、基本的にはその基礎技術が同じ或いは仕事の内容は変わっても同じ業界で仕事をされた方が多い。ある意味私にとってはうらやましいが、別の意味で考えると、私が異質なのかも知れないと思えてくる。つまり私が転職組みであり、その本来の技術は、当社のメインストリームには合致しないと言う事になるのだが。
当社(親会社)でも、定年(60歳)を迎えられた場合に、完全に4つのパターンに分かれると推定される。もちろんこれ以外の、パターンもあるとは思うが・・・。これは、今日の朝日新聞記事「定年後も働く?」を読んでの意識調査でもある程度現れていると思う。
- 金銭的に、仕事を続けざるを得ない(つまり生活の為)。
- 会社(仕事)人間で生きてきた為に、退職すると、やる事がない。つまり極論すると奥様との関係が悪化する。従って仕事を続けざるを得ない。
- 社会的な見栄(自己顕示欲:自信過剰)や、会社からの要請もあり、上記1や2に該当しないが、仕事を継続する。或いは強引に見栄を優先して会社にすがる。もちろん上記1,2に該当する場合もある。
- さっさと定年で退職し、次の人生に向かう。
当社で今まで多くの諸先輩が定年を迎えられ、選択された道を見ていると、上記1と2が圧倒的に多い。上記の内3はある意味特殊であり、その環境が存在する事事態が本当はおかしいのだが、存在する。
また上記4は、企画系、品質系の管理職に多く見受けられる。裏を返せば金もあるが、それだけ会社に尽くしすぎた証の裏返しとも取れるのではないかと思う。
一方で、上記の4の中には、ボランティアや趣味等既に、社会的に自立された方も少数派ながら存在する。つまり会社に依存せず、地域社会で活動されている方である。
昨年のリーマンショック以来、グローバルを巻き込んだ最悪となる大不況の中、当社では、定年を迎えても、基本的には65歳まで、働く事が今のところ可能である。もちろん給料は、新入社員の約半分と安くなるが。大変ありがたい事である。
さて、一方上記で、何回か述べたが会社人生を60歳まで送り、更に5年も働く意味はどこにあるのだろうか?
これに関して、先日今年の私の冬の賞与について(評価最低ながら、もらえただけありがたいと自分に感謝したい)で、直属の上司からも、社長からも説明があった。大変気を使ってもらって感謝しているが、社長との話の中で、今後の事を考え、私はズバリ社長に進言した。つまり「私の使命の内、既に7~8割は、役目を果たした。残りは私の部下でもあるが大先輩のノウハウを引き継ぐ事であるが、これは所詮ショートリリーフになる」と。すると、「何で?まだ10年もあるではないか?」と逆に切り返された。つまり定年退職後も5年間は、やってくれと言う意味である。しかし、それなら社長はその時までいるのかと切り返そうかと思ったがやめた。
更に、「大先輩のノウハウを若手に直接引き継ぐ事ができるか?私だから理解できるのではないか?今までシステム化しようとして全てできなかったではないか?私が引き継いだなら専任の人間を入れて、その人間を育てる事を考える」とまで言われた。
ありがたい話ではあるが、今年5月から出向先で大先輩と一緒に隣の席で仕事をして来て、東京単身赴任時代の仕事のノウハウとSCM(サプライチェーンマネージメントシステム)の理論から、既に大半は引継ぎをしても貰わなくても、大先輩のノウハウがどこにあるのか推定できている。
従って、更に敢えて早急に引き継ぐ事を私は考えていない。大先輩が更に一年延長して働いてもらう事が決定している事、大先輩が私に求める事・期待する事が違うからである。
とは言いながら、大先輩の仕事を引き継ぐ事は、大先輩の仕事がなくなる事を意味するし、一方でいつまでも大先輩に働いてもらうわけにもいかないリスクもあるわけで、どこかで、引継ぎをせざるを得ないと考えている。
これもそれ程、期間は掛からないと思うが、他の仕事が多い為に敢えて今は大先輩に甘えている形になっているし、甘えている事で、大先輩と仕事上のバランスが保てている。私が全て処理してしまったら、大先輩の存在意義が難しくなるからである。
残された期間は一年以内がMAXと見ているが・・・。流石に大台に乗っての再雇用を大先輩にお願いするのは忍びないと思う。
長い前置きとなったが、大先輩や上記で述べた方々の意見の原点は、一つの会社で定年を迎えられる方々の考え方となる。
結局何が言いたいのか?と言う事になるが、私は実は上記の1~3に該当しない。つまりある程度金はある。逆を言えば2回転職して当社は3つ目の会社の為、60歳定年までの意味が既にない。
- つまり退職金は60歳まで働いてもたかが知れていると言う事。401K導入により、自己都合退職でも退職金も年金も確定していると言う事である。一つの会社で最初から定年まで働かれた方と比較すると、最後まで働いても期待できない。
- 私が当社に入ったのは、情報処理分野の技術開発で入ったが、既に本来の分野も仕事も異なる分野で仕事を続けており、今後も最後までそうなるだろう。
当社は人材は大切にしてはくれる(雇用維持)が、専門性や適材適所と言うか個人の希望はかなわない。それでもこの不況下ではましだと思うが・・・。 出向する会社や転籍する別部門があるのだから・・・。 - 本来の情報処理分野から離れて、色々な仕事をさせてもらったが、既に5年間の東京の単身赴任時代で、私の仕事の区切りは付けたと思っている。
未練がない所まで、働き、夢(事業の成功)は実現し、後は若い世代に引き渡した -> 結果は幹部も含めて課題を残す事になっているようだが・・・。
上記を考えると、最後は私が残りの人生で何をしたいか?と言う事になると思う。今年の私の冬の賞与について(評価最低ながら、もらえただけありがたいと自分に感謝したい)で掲載したが、社長は私を評価してくれても、結果は評価されなかった。マアーこの辺は所詮、人間が評価する事だから仕方が無いだろう。
それでも多くの人が定年まで働かれ、更に定年後も働かれている。
それらの方々の評価は、会社が決めている評価とは、まったく異なるのではないかと最近感じている。
特に昨日の激励会に参加させて頂いて、先輩の当社での軌跡がパソコンとプロジェクターでプレゼンされると同時に、色んな方が、その出会いとご苦労様と感謝と今後もお願いしたい旨を伝えていた。働く目標と生きる意味が此処にあるのではないかと痛感した。私の所の大先輩も同じだが、ご本人と言うより、私も含めて周りの人が必要である事を理解し、逆に働いてもらう事をお願いしている。
一方私は、過去に当社を首になる覚悟で、時の上司とけんかをしてまで、仕事を優先した事がある。その後も余り会社の人事システムが変わっていない事むしろ既に50歳台半ばでは、評価その物があまり意味を持たない事から、親会社への未練は余りない。と言うか既に親会社からは出向と言う形で本社から飛ばされた人間だ。最も飛ばされた方がよい場合もある為、一概に本社を批判できない。
さて、だらだらと述べてきたが、定年は人生の一つのしかし大きな区切りであり、それからの人生を如何に生きるかは、その方の選択次第と成るのだが、一番は最初の上記1と2の状況で仕事を継続されても、上記で述べたように、上司や周りの人から働いてもらう事を請われてしまったら、断れないし、それも生きる目的となるのだろう。つまり同じ今までの仕事が、趣味やセカンドライフとなっても・・・。
私の場合も、必要だと言われて、確かにそれが私にしかできない事ならば、当分私のやりたい仕事或いはプライベートの趣味を我慢して、仕事を継続するしかないと思っているが、そうならない様に、ここ一年を勝負と思って、手を打とう。
つまり
- 先輩がいなくても業務が回る様にしてしまう事、そのノウハウもシステム化(人的コネクションを含む)する事
- 当社(出向先)のシステム化(グループウェアの導入とイントラネットの立ち上げ。昨年ホームページの立ち上げは超超特急で実現した)
- そして、お金も貯めよう。
- Linux、PHP、MySQL、C等も極めておこう。
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