社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

御義母さんの病気の悪化から、有料の介護施設を急遽探し、連続で訪問(2)

2010-09-28 07:19:33 | その他健康

御義母さんの病気の悪化から、有料の介護施設を連続で訪問した。そして次々と送付されてくる各施設の資料を見て、更にネットで調べて、その余りの多さに驚く事になった。そう介護と言う分野は今では新しいサービスとして事業(ビジネス)が確立し、雇用も創出している事を実感した。そして更に次々に新しい施設がオープンしている。今後も更にサービスが拡大されるのは大変素晴らしい事だ。

しかし、この介護を必要とする家族とそれをサービスとする事業の間には、多くのギャップが存在するのは間違いない。つまりビジネスとして考えると、ヘルパーの方等の人的フォローは限られるし、それによって、個人的な自由も制約されると言う事になる。もともと自由ではないから、こう言う施設に入るのであって、自由なら入る必要はない。つまり、こう言う施設に入る段階で既に個人的な自由はないと考えた方が良いのだろう。

もちろんお金持ちであれば、完全介護の自由な環境を自宅で実現する事も可能だろうから、こう言う施設に入る必要もないだろう。そう家政婦(御手伝い)さんを一人雇えるだけのお金があれば・・・。しかし今時住み込みの家政婦さん等あるのだろうか?私は知らない。

最初にヘルパーの人に週2回、来てもらっている話をしたが、自費で更にこの回数を増やす事も考えたが、24時間は実際不可能だ。この辺が最大の問題と考えていたのだが・・・。

前回に続いて、2つの施設を2日連続で回った。二つとも案内をしてくれた方が突然の訪問にもかかわらず、大変親切な対応で、且つ介護のプロだった。従って介護保険や入居者の状況等や介護について大変詳しく話も聞く事ができた。

最も入り口で、前回の所との大きな違いを感じたが。そう最初の所は靴ばきでそのままだったが、今回の二つはどちらも玄関で靴からスリッパに履き替える形だった。

そして、どちらも、これが、普通なのだろう。これが当たり前だろうね!と奥様と話した。もちろん二つとも個室だった。しかし、庶民的ではありながら、どうしても最後は共同でしか生活できない空間となる。そうでなければ、ここでも介護できないサービスとなる。基本はグループケアであり、個人は歩けるなら自由にと言う世界となる。しかもそれも認められない世界が・・・。個人の外出をフォローするのは、限られた職員では、無理となる。当然だ。お金を出しても無理で、外部サービスを頼むかそれもダメとなる。それでもこれは、家族が行った時に何とかなるかも知れない。それより24時間365日の介護つまりだれかが施設にいる事が最大のサービスだ。

お義母さんのおそらく一番の問題は、風呂だろうと思っていたが、これを後で思い知る事になりそうだ。最もこれさえも単なる一つの問題に過ぎないのだが・・・。

DSCF4481 DSCF4483 以下の写真は全て2つ目の施設。個室は最初の所より少し広いが、あまり高級感はない。どこも、介護ベッドは基本。ここは洗面台とトイレが個室に設置。

結果からすると大体個室であっても15?~20?の間となりそうだ。
DSCF4485 DSCF4487 共同の洗面所と食堂。かなり庶民的で、良いがここは、食事時間が完全に決まっており、一斉に食事をする所だった。
どちらも大変綺麗だった。
DSCF4492 DSCF4496 お風呂。共同風呂だが、問題は健康であれば浴槽に入れるが、介護が必要な方は簡単には入れない。
これが最も課題となる最大のテーマだろう(排泄の問題はここでは論じない)。感染症と集団性を考えるとおそらく個室バス形式かこの集団バスかで施設のポリシーが分かれると思われる。

前回と今回2つの施設を訪れたが、お風呂のパターンは

  1. 自分の部屋にバスがある
    これはほとんどの場合例外的であり、その料金が高額となる。通常2人部屋タイプとなる。
  2. 自分の部屋ではなく、専用の共同の個室バスがある。
    時間を調整して、そこに入りに行く。
  3. 完全な共同風呂
    一斉に入る時間が決まっている場合と、時間帯が決まっており、その時間帯に自由に入れば良い場合に分けられる。

となるが、これはそれぞれ食事にも言える。個室に配膳して貰える所と、一斉に食事をとる所と、時間が決まっており、その時間内で自由に食事をするパターンだ。イベントに参加するかどうかは更に別問題だろうが、これらは介護する方から考えると、非常に悩ましい事になる。受ける側からすると好き勝手にしたいとなるだろう。つまりこの辺は、個人への自由≒お金となるがそれさえも、本人の自覚の問題と今はつくづく考えている。

先日TV放映されていた番組をみた。たまたま敬老の日に見た番組だと思うが、お年寄りの方の交通事故が大変多い。道路を横切る時の事故が。もちろん横断歩道等わたっていない。その理由の一つに、お年寄り自身が、車が来るのを認識していても、十分渡れると判断してわたっているとの事(?)。つまり以前の自分の歩行などのイメージが現実の体力と既に乖離していても、それを自覚していないと言う事だ。

お義母さんは、既に自分では暮らせない。それは別にかまわないが、しかし室内での移動もままならない事を自分が自覚されていない。先日も学校の同窓会を梅田のホテルで開催する案内が電話にかかってきた。それを参加する事に簡単に了解した。しかも自分ひとりで行く事に???奥様は当日は仕事で当然ついていけない。しかし一人で行くと・・・。結局無事不参加としたらしい。それはそうだ、外出しては途中の道端やお店等で、動けなくなって多くの方の世話になっているのに・・・。誘った同窓の方は、ゴルフ仲間の方らしいが、おそらく今のお義母さんを知ったら驚くだろう。

と言う事だが、お金の問題と家族が一緒に暮らす事と仕事を抱えながら、介護をすると言う問題と色々考えると自分達の身の上を改めて考えさせられるのだが、やはり先立つ物はお金なのだろうか?それとも個人的自由はある程度我慢すると言う事なのだろうか?

しかしいづれにしても、お義母さんが怪我なく、生活できているのは奇跡に過ぎない。これは今既にお世話になっているケアマネージャやヘルパーの方が思っている事だが、本人だけが、認識していない・・・。


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