東野圭吾「殺人の門」に引き続き、東野圭吾氏の書籍連続紹介です。氏の作品はほとんど読んでおり、残された興味のある氏の作品は少数となってきました。従って図書館で新しいのが見つかる可能性が低い為、当分氏の書籍紹介はない予定です。
さて、最近連続で氏の書籍を読んできましたが、最近タマタマ読んだ3冊が、書かれた時期が同じ頃なのと、テーマの背景に殺人犯罪があるので、再度ふりかえりまとめて見ると
- 「手紙」 → 弟の為に強盗殺人を犯した兄、その為に徹底的に苦労した人生を歩まなければならなかった弟
- 「殺人の門」 → 友人からだまされ続ける中で、憎悪を燃やし、最後に一線を越える男
- 「さまよう刃」 → 殺された娘の復讐の為に、極悪非道な未成年の犯人を狙う父親(最後は警察に射殺される)
と、3冊ともそのテーマ自身が重く、色々考えさせられる物語です。
特に今回紹介の「さまよう刃(やいば)」に関しては、これもタマタマですが、今日の朝日新聞の夕刊に掲載やNHKのニュース等で放映された「寝屋川コンビニ刺殺、被告(19才)、殺意を否認 初公判強盗致死を主張」で、事件の詳細に関しては、新聞やネットを参照して貰うとして、少年法が問題なのか?被告を弁護する弁護士が問題なのか?裁判官が問題なのか?いずれにしても、被害者の感情や立場が考慮されていないとしか思われない。毎回そうだが、「殺意があったのか、なかったのか?」、「精神障害等で正常な判断ができたのか?できなかったのか?」がよく判決のポイントとして、紹介されているが、なぜなのかがわからない。
今回の上記事件でもナイフを持参して、万引きを行って逃げ、追いかけてきた店員の胸をそのナイフでさした時に、殺人の意思があったのかどうかがなぜ弁護や判決のポイントになるのかが理解できない。法律や被告の弁護士の役割が、罪を軽くする、殺人者の人権を護るのを主たる目的とするのなら、そうかも知れないが・・・。
本当にタマタマ今日のニュースと重なりましたが、「さまよう刃」はその娘が蹂躙され殺された被害者である父親が、犯人の一人を衝動的に殺害し、もう独りの犯人(18歳)に復讐する為に、追う物語ですが、その背景は、今の少年法では、極悪非道な少年でも法が守るだけで、更生も何もできず被害者は泣き寝入りするだけと言う背景があると感じます(極論ですが・・・・)。
書籍名:「さまよう刃(やいば)」
発行所:朝日新聞社
発 行:2004年(平成16年)12月30日初版発行
初 出:「週間朝日」
2003年9月19日号~2004年9月17日に連載
定 価:1,700円+税
<ハードカバーの帯の紹介>
裁く権利は誰にあるのか?
読者は彼の行動に同意できるのか、それとも・・・・・
不良少年たちに蹂躙され死体となった娘の復習のために、父は仲間の一人を殺害し逃亡する。「遺族による復讐殺人」としてマスコミにもセンセーショナルに取り上げられる。世間の考えは賛否が大きく分かれ、警察内部でも父親に対する同情論が密かに持ち上がった。はたして犯人を裁く権利は遺族にあるのか?社会、マスコミそして警察まで巻き込んだ人々の心を揺さぶる復讐行の結末は・・・・・・・。
氏の作品をかなり読んでいる為、途中で、今回も結末が予測できましたが、この物語もかなり切なくなってしましました。
特に最後に、犯人の少年を守るために、警官に射殺された父親より、その父親をズットかくまい復讐を止めさせようと、犯人の少年の射殺寸前に声をかけ、結果復讐を遂げる前に、その父親が殺される原因をつくった女性は、その後どう生きていくのだろうか?
おそらく、答えを求めて一生悩んで生きるような気がします。氏はどう考えられるのか?非常に興味あります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます