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思い付きブログ

11月1日は古典の日。古典を「心のよりどころ」にしろと言われても、、、、、

 11月1日の午前11時1分になりました。

 1008年11月1日の紫式部日記に源氏物語のことが書かれていて、「源氏物語千年紀委員会」という京都府や京都の著名人を中心とした団体が1000年後の2008年11月1日を「古典の日」とすることを提案したのを契機に、2012年になって議員立法の「古典の日に関する法律」により古典の日ができたそうです。

 祝日でもないし、普段なら、ふ~ん、くらいで済ますでしょうが、少しばかり気になったもので。

 10月29日の日経新聞(電子版)に「京都市立向島中学校は今月中旬、図書館に竹取物語などの古典文学を並べた特集コーナーを設けた。古典の日の法制化がきっかけ。太田晴畝校長は「古典を知らない生徒が多い。国際化が進む今こそ自国の文化を知ることが大事だ」と強調する。」とあり、大事なのはその通りだと思いますが、本当に大事だと思っていたのなら、校長なんだしもっと前から古典を学ぶ機会を設けられただろっ、とは言いたくなりますが。



 さて、法律の目的は、
 「この法律は、古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、古典の日を設けること等により、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、もって心豊かな国民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。」

 中国の孔子の言葉の「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」(温故知新)といったところでしょうか。


 法律における古典の定義は、
 「この法律において、「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。」

 「古来の」とあるので、ここ数十年のものは当然入らないでしょうし、200年や300年前でも入らないのかもと思ったら、文化庁通知(→文化庁のHPへ)によると「明治期」は入るとのこと。それなら「古来の」という言葉を使うことが間違いでしょうに。議員立法だから詰めの甘さは仕方ないのでしょうけれど。

 また、現在に引き継がれている日本の「古来の文化的所産」のそれなりの部分は、中国や韓国経由で日本に入ってきたものに由来するので、「又は継承され」とあるとのこと。



 過去があって現在があり、現在があって未来があるわけで、つまり、過去があって未来があるわけで、古典を学ぶことは良いことだと思います。

 但し、10代の学生とかなら平行して学べば良いですが、大人は、学ぶ順番から言うと、現代を学び、少し先の未来を考え、それから古典を学び、そして現代と未来を再び学び考えるべきだと思いますが。
 学生と違って大人は学ぶ時間が少ないですし、私達が生きているのは現代であり、私達が生きるのは未来であり、当面を生きなければならないので。


 目的に「その心のよりどころとして古典を広く根づかせ」とありますが、国際的に活躍する人にとっても、日本から出ない人にとっても、外国人と関わる人にとっても、外国人と関わらない人にとっても、日本人の教養として日本の古典の知識はあった方が良いですし、高校レベル位までの知識は持つべきだと思います(私ももう少し勉強しないと、ですが)。

 また、古典を「心のよりどころ」にしていたり、古典に「心のよりどころ」を求める人がいたって構わないと思います。


 しかし、古典の日の中心的団体の「古典の日推進委員会」(→委員会のHPへ)の事業に、
 「「古典の日」宣言の趣旨に沿って、次の考え方によって事業を展開する。
一、人は古典によってこそ生きることをあらためて自覚し、古典によって広く世界の知性と共鳴しあう新しい文化創造の運動を起こす。」
 と「人は古典によってこそ生きる」とあることと合わせると、「その心のよりどころとして古典を広く根づかせ」るということは、広く国民は古典を「心のよりどころ」にすべきだと求めていることでもあり、それは違うよ、大きなお世話だ、と。

 生存中の作家の本だって、数十年前や数百年前に亡くなった作家の本だって、生存中の人だって、数十年前や数百年前に亡くなった人だって、あるいは、現代や数百年前の人ではない文化芸術や学術や思想だって、つまり古典ではないものであっても、その人なりの「心のよりどころ」を見つければ良いだけでしょうに

 その「心のよりどころ」の背景に古典と言われるもの、つまり「歴史」があることを認識し、一定程度を学んでおけば良いだけでしょうに。


 なお、今は「心のよりどころ」がない人はいるでしょうけれど、死ぬまでに「心のよりどころ」が見つからなかったら、それはそれでいいんじゃね、くらいに思っておかないと、変なカルト宗教の類にはまってしまい、却って「心のよりどころ」を失ってしまうので、御注意を。


**********
 「アイデンティティ」は「自己同一性」といった、分かったような分からないような、ざっくりとした意味で使われますが(「アイデンティティ」の和訳はとても難しいです)、この法律では「心のよりどころ」に「アイデンティティ」の意味もありそうです。「日本人の、日本の、アイデンティティは古典にある」みたいな。
 この法律において「心のよりどころ」や「古典」が、本当のところは何を意味するのかは、あまり気にしないことにしておきますが。

「よりどころ」(「デジタル大辞泉」より)
 1  頼みとするところ。支えてくれるもの。「心の-」「生活の-を求める」
 2  ある物事が成り立つもとになるもの。根拠。「判断の-を明らかにする」

「アイデンティティ」(「デジタル大辞泉」より)
 1 自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。「-の喪失」
 2 本人にまちがいないこと。また、身分証明。
**********


【shin】

コメント一覧

shin
http://yaplog.jp/shin99shin/
>ざっくさん
 最近、背中がムズムズとカユいもので(笑)。
ざっく
http://yaplog.jp/rockgamer/
時々、むずい話をしなさる……
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