◎「黒執事Book of Circus」(3期、全10話)
セバスチャン・ミカエリス(cv小野大輔)とシエル・ファントムハイブ(cv坂本真綾)がメインだと楽しいです。2期はあまり2人の出番がなかったので。
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◎ 悪魔より人間の方が悪魔らしく見えるのは、落差があるから。
シエルの命令でセバスチャンが人間を殺すとき、少しためらうような、殺して良いのかと考えるような、そんな表情や間があることがあります。これは、セバスチャンが殺すことをためらっているのではなく、殺すように命じたシエルの気持ちを推し量っている、悪魔より善人であるとセバスチャンが思っている/思っていた人間がそのような悪魔的な指示をするものかと推し量っている、人間て良く分からないけれど、だからこそ面白いと思っているのでしょう。「DEATH NOTE」(デスノート)(2006年秋から2007年冬春、全37話)の死神のリューク(cv中村獅童)と同じ。
尤も、9話でのシエルによるジョーカー(cv宮野真守)らを始末するようにとの命令は、ここで殺した方が彼らのためになると判断しての善行としての悪行でしたし、10話、それをセバスチャンは傲慢と言いつつも理解しましたけれど。
○ かなり前ですが古本屋で「悪魔はあくまで悪魔である」(都筑道夫、1976年)という本を見つけ、あまりのベタさに中も見ずに買いませんでした。
悪魔は悪ですから、常に悪のはずですから、行動は分かりやすいです。
一方、人間は全体としては悪魔より善ですが、悪魔と同程度の悪行もすれば、悪魔が決してしないような善行もします。
その落差が人間の悪行をより悪行に見えさせるとともに、悪行しかしない悪魔にとって、悪行も善行もする人間が不可解なのであり、それゆえに面白いのでしょう。
そして、それゆえに人間というものは人間に対して希望を持ってしまい、希望を持つがゆえに絶望もするのでしょう。
ワークハウス(貧困者収容施設、救貧作業場)にはまだ子供達がいるからと、父親代わりのケルヴィン男爵(cv茶風林)(実は子供達を実験のために殺すためにワークハウスを営んでいた。)を殺さないでくれとセバスチャンに必死で命乞いをしたジョーカーしかり、最終話ラスト、その孤児院に行って、何年も前から無くなっていると知って大笑いするしかなかったシエルしかり。
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それを見てニヤリと満足げな笑みを浮かべる「あくま(悪魔)で執事ですから」のセバスチャンが、善と悪とに迷える人間の愚かさを、「だから人間って、面白いんですよね。」とあざわらっています(10話ラスト)。
この世に希望があるから絶望があるのですが、希望があることが幸せなのか否か、についてはここで触れるのはやめておきましょう。(名作漫画「エリア88」のテーマの1つでもあります。懐かしい。)
◎ 残酷な世の中をかなりシリアスに描きつつ、でもそれが重くなり過ぎずに、かつ、心に響いてくる巧みさ、
シリアスを崩さずにコメディも混ぜつつ、かつ、コメディを崩さずにシリアスも混ぜつつ、それらの描き方の巧みさ、
よくそういう風に描けるな、と感心するしかないです。
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【shin】