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「惡の華」感想。思春期と変態性の危うくも近しい関係と調教。これは凄い

 2013年春アニメの感想の続きです。

 今春の感想は書く気が起きないものが多かったことなどから簡単に済ませてきましたが、ボードレールは読んだことがないですし、詩集もほぼ読んだことはありませんが、ようやく、少しはまともな感想を載せられます。

 最終13話最後は「第1部完」とあり、話の区切りは付いたものの中途半端でもあり、第2部をする気はあるという意味でしょうから、期待して待ちます。

 これも参考に。
→「完全なる飼育」「私の奴隷になりなさい」「月光の囁き」。TVアニメ「惡の華」の参考になるR15映画。この文もR15指定かな(2013年6月29日)


◎「惡の華」

 「思春期漫画の最高傑作」
 「思春期がもたらした奇妙な三角関係。」

 だそうです。

 確かに凄いです。


 下2つは漫画の絵。
 本屋にて。


 2013年ACEで配っていた試し読み小冊子。
 左から、仲村、佐伯、仲村、春日。



 下3つはアニメの絵。上から、仲村、佐伯、春日。演技をした役者の顔に合わせて書いているとのこと。







◎ 世事には疎いので、春期一番の話題アニメや人気アニメが何だったのかは分かりませんが、コメディや萌アニメの「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」や「とある科学の超電磁砲S」は人気アニメでしょうし秋葉原ではその手のアニメのポスターとかを多く見かけましたけれど、神保町の新刊書店では、シリアスで理不尽で不条理な「進撃の巨人」や「惡の華」を多く見ました(秋葉原でもそれなりのコーナーを設けてプッシュしていましたが。)。

 「進撃の巨人」もアニメ化以降に数百万部の漫画を売り上げた凄い話ですが、方向性は違えど「惡の華」も負けず劣らず中身が凄かったです。

 両方とも原作は講談社ですが(今春では「刀語」「ちはやふる」も。)、偶然なのか、講談社の姿勢の表れなのか。


◎ それはさて置き、オープニング曲の「惡の華」は春日高男、仲村佐和、佐伯奈々子、群馬県桐生市のバージョンがありましたが、特に仲村のバージョン(→それぞれの歌詞へのリンク)が凄かったですし、エンディングの「花 -a last flower-」(ASA-CHANG&巡礼)(→歌詞へのリンク)は、歌うというよりは「花が咲いたよ」とたどたどしく繰り返ししゃべっていて、これまた凄かったですし。

 今春アニメでは1、2位を争う凄い歌でした。


◎ はてさて、これも原作は読んでいませんが、中学生の思春期アニメであることは確かです。特に思春期には少なからずの人が、好きな異性のモノが欲しいと思ったことがあるでしょう。

 しかし、春日が佐伯の体操着を盗んだように、盗むことを実行する人はマレですし、盗んだとしても、それだけではたいして変態とは言えません。

 春日のように、彼女の体操着をこっそり着て彼女とデートするのは変態です。ただ、仲村に脅迫されたからなので、少し割り引かないといけません。

 そこで、「調教」という観点からの感想を(同じようなことを書いている人がいたら参考にしたいので、教えて下さい。)。


○ ところで、このアニメは思春期と変態の話であって、少なくとも第1部における春日の変態は病気でも異常でもありません。
 理性が少し飛んでいるだけです(仲村も多分、病気でも異常でもないと思いますが、少し情報不足。)。

 仲村や春日のように周りを見下すのも、思春期には有りがちなことです。

 このアニメにおける変態性はある程度は理屈で理解できるものであって、異常とは異なります。精神病などから来る本当の異常は、多くが理屈では理解が困難です。


◎ 最初はイジメの話かとも思いましたがそうではなく、SM(サドとマゾ)の調教の中でも精神的SMが主のものでしょう。

 ただ、あまり意識的な調教ではありませんから、仲村による春日へのイジメの要素が少しだけあります。

 仲村が春日を調教し、2人を通じて図らずも佐伯が調教されているというもの。


 (※心理学を主たる媒介として人間とは何かについて考えてきたため、知識として知っているだけで、そういう趣味はありませんが、私が理解するところの精神的SMの意味:御主人様と奴隷という関係になるための手段でもあり、その関係そのものでもあり。御主人様が相手に元からある(、通常は性的行為における)変態性やマゾ性を開花させることにより御主人様と奴隷という主従関係になる。奴隷は御主人様に、特に精神的に従属・依存するようになり(性的関係の場合は肉体的にも。)、御主人様の命令があれば、公衆の面前で裸になったり性行為をしたり、それ以上に恥ずかしいことでも実行する。理性では嫌だと言っていたとしても、感情ではそれが奴隷本人にとっても快楽だから実行するようになる状態。尤も、断ると御主人様に捨てられるかも知れないから嫌でも実行する場合もある。)


○ 自分も変態であると自覚している仲村佐和(cv伊瀬茉莉也)が主人公の春日高男(cv植田慎一郎)を調教し、あまり意識的とは思えませんが、春日に自らの変態性を認識させて変態性に素直に生きるように仕向けると。

 (※ただ、仲村は自分のことを変態だとノートに書いていますが、変態と言うよりは自分の思春期らしい鬱屈の解消や「はけ口」を求めているだけな気が私はしていて、仲村はそれに気付いていませんが、そこは2期を待って確認したいと思います。)

 そこに、春日と付き合うようになった佐伯奈々子(cv日笠陽子)が、春日の変態性を知って驚愕し、若干迷いつつも好きなままでいたりして、仲村を含めた「奇妙な三角関係」ができあがると。

 まあ途中までは、佐伯は春日の変態性は本当の姿ではないとして信じなかったということであり、それだけ春日が好きだということでもあり。

 でも、春日が教室荒らしをしたと気付いても、9話冒頭で春日から別れを切り出されても絶対別れようとしませんでしたし、9話後半では以下のことを、休んだ春日が会ってくれないので外から大声で泣き叫ぶなんて・・・佐伯も変態の素質があります。佐伯は優等生を演じることに疲れていると思われ、プラスして反動や別世界への憧れもあるのでしょう。

 「春日君の気持ち、分からないの。ごめん、ごめんね。あたし、、、あたし、、、体操着のこと、別に、嬉しいよ!。春日君は、あたしのことを思ってやったんでしょ。男の子って、そいういうものだって。それよりわたしは、それを隠されてた方が、悲しかったよ!。だから教えて、わたしに。仲村さんじゃなくて、あたしに。春日君の頭の中、ちゃんとわたしに分からせて。」

 また、10話後半、峠で追いついた佐伯に、仲村が春日を素っ裸にして佐伯に見せたところで佐伯が泣きながら言った台詞。

 「どんなことだって、春日君がわたしを思ってしたことだったら、あたし嬉しい。あたしは変態だなんて思わない。。。でも、わたしにぶつけて!。あたし、ちゃんと受け止めるから!。仲村さんしか知らない春日君がいるなら、わたしに全部教えて!。。。帰ろう、一緒に。」

 佐伯を選んだ春日に失望して1人で去る仲村、体が勝手に動いて仲村を追いかけた春日、春日を引き戻す佐伯。
 佐伯 「ダメ?。あたし、ダメかなあ?。やっぱり、春日君は仲村さんのこと・・・」
  (中略)
 仲村「くだない、本当にくだらないね。
  (中略)
 佐伯「あたし、本当に嬉しかったんだもん。春日君は、石ころだったわたしを、宝石にしてくれたんだもん。


 佐伯も、図らずも調教されちゃってますねえ。



 なお、恋愛経由の精神(佐伯の場合は「精神」と言うと少し大袈裟。)の救済から春日を見ている佐伯と、奴隷兼同士としての精神の救済から春日を見ている仲村との違いが見てとれます。

 13話後半で、2期のものと思われるシーンや台詞が少し流れましたが、その台詞の断片を聞くと、仲村と佐伯のその違いは2期で描かれそうな気がします。


○ ただ、中学生の仲村が調教を意図的にするというのは、仲村自身が調教されたのでもない限り考えにくいと思うので、思春期らしい真っ直ぐさから建前ばかりの世の中に嫌気がさしていたので、佐伯の体操着を盗むという春日の本音を目撃してしまった仲村が、性格に問題があるので友達もいない1人ぼっちの仲村が、変態を自覚している仲村が、同士若しくは同士たり得る春日の変態性という本音をもっと見たい、奴隷と言う名の仲間が欲しいと思ったというところでしょう。

 その間に春日を好きになってしまったということではなく、仲村の奴隷であり同士である春日が、2人とは正反対の優等生(建前に生きている。)の佐伯に気が向いていること、そんな佐伯が春日が変態と知っても春日を好きでいることが気にくわないから三角関係の形になっているということでしょう。

 そういう意味では、表面上は恋のヤキモチと同じように見えてしまいますが、それよりもドロドロしたものです。


○ ここまでひねくれている仲村は、親から肉体的虐待、性的虐待とかを受けていたのではないかと思ったのですが、12話で、5歳の時に離婚して母親とは別居と判明しました。
 仲村は同居の祖母とも父親とも仲が悪いですが、2人は優しそうなので、虐待はなさそうです(それでも、仲村の幼少時に父親が性的虐待をした可能性は残る。)。

 中村が元は普通の人だったとして、中学生にして春日が本当の変態になるところを見たいとして実行するには、仲村に少なくとも虐待くらいのことがないと考えにくいのですが、それは除外するとして、離婚以外に何かあったのかどうか。

(1) 母親からひどいことを言われた可能性もあり、その内容によっては少しは考えられます。

(2) 輪姦か強姦されたことがあるという可能性も考えられます。

 なお、春日を佐伯の体操着に無理矢理着替えさせるところとかで、中学生なのに男子の裸をどうとも思っていないところが性体験を感じさせますが、どうとも思わない中学生はいるかも知れないので断定は出来ません。
 また、あの性格ですからモテるとは思えないので、中学生で性体験があるとしたらそうなのではないかと(自暴自棄になってウリをした可能性はありますが、ここでは自暴自棄になった原因を探っているので除外。)。

 8話後半で、教室に自分が変態だと書くことを拒んだ春日に対し仲村が、次のように叫んだところとか(ここは、自暴自棄になってウリをしたときのことを述べているのかも知れません。)、強姦かウリを想像したのですけれど、どうなんだろう。

 「がっかり。結局春日君も他のヤツラと同じなんだ。(中略)死んだ方がマシなクズども、饅頭どもと。綺麗ごとばっかふきやがって、どいつもこいつも腹の中は、セックス、セックス、結局クソセックスがしたいだけ。

(3) 12話で学校が終わってから春日が仲村の家に行ったとき、夏なのでまだ明るかったですが、そろそろ夕食だから食べていかないかとの誘いもあったので17時から18時くらいだと思いますが、その時間にラフな格好(ポロシャツ)で帰宅する父親、しかも夕方に春日の前で缶ビールを飲む父親というのは、失業して職探しをしているけれど長い間仕事が見つからないという可能性が考えられます(それは、仲村から見ると特に情けない父親の状態。)。
 祖母の年金で生活をしているのかも知れません。

 離婚の主因が父親にあると仮定して、母親とも暮らしたかったのに離婚の主因となったそんな情けない父親を見て鬱屈することは十分に考えられます。

 ただ、父親は革靴らしき靴を履いて帰ってきたこと(ちょっと買い物に行った帰りなら、サンダルにするかも知れない。)、定時退社をすれば17時半には帰宅できること、仕事によってはラフな格好で通勤することは普通であること、ハローワークに行ったなどの求職活動中であったら革靴は履くでしょうがラフな格好はしないはずであることから、これは考え過ぎと思います。

(4) 仲村が生まれつきそういう性質が強かったところ、離婚をキッカケに隠さなくなったということも考えられます。

(5) 仲村が精神的に弱いから、親の離婚だけでこうなったとも考えられます。

(6) 春日のように文学作品の影響を受けたと言うのも考えやすいのですが(それとて、その素養がないと影響は受けにくくなります。)、最終13話で春日が入った仲村の部屋は殺風景で、服が少し、机、ノートかパンフらしきものが少し(薄いので本や教科書には見えなかった。)、敷きっぱなしの布団、全身鏡くらいであり(押し入れの中は不明。)、読書家とも思えません。


 逆に、全身鏡があったことに驚きました。そこはやっぱり中学生の女子だったのか、と、少し常識人らしさを感じました。

 ただ、この鏡というのは逆の解釈も出来ます。自分の変態性を自覚している仲村ですから(それまでの台詞にもあったが、春日が机の引き出しから見つけた仲村のノートにも自分は変態である旨が書かれていた。)、そんな自分を鏡で見ることにより自分自身を見つめることが出来、自分の変態性をより深く掘り下げることが出来るからです。

 自分で自分の心の奥底の変態性を覗くのは普通の人にとってはかなり辛いことですが、中学生の仲村がそれを出来るのだとしたら、救いようのない変態、精神的ドMです。


 なお、仲村は明らかにドSですが、ノーマルからの距離はドMもドSも同じです。Sの人はSと同程度のMにも、Mの人はMと同程度のSにもなり得るので、仲村がドSであってドMであってもおかしくはありません。


 これまでの情報ではこれといった原因は描かれていないので、(4)と(5)が妥当な線と思います。


◎ 変態性に限らず、自分の心理の奥底を見るということは、本当は出来た方がベストなのですけれど、実は危険と隣り合わせのため、現実的にはしない方がベストです。仮にするとしたら、臨床心理士とかの専門家のカウンセリングを受けながらする方が良いです。

 つまり、自分の心理の奥底を見る勇気があって、実際に見てしまったとしても、それのショックから立ち直れる人でないと精神病になりかねませんし、また、その奥底の欲望をある程度までは制御できる人でなければ社会生活に適応できなくなりかねないので。専門家がいれば、そこはある程度コントロールしてくれますので。

 ただ、それでもコントロールは実は難しいので、興味本位で自分の心理の奥底を見ることは、危険なので止めた方が良いです。


◎ 7話後半で、春日が仲村に言われて、佐伯の体操着を盗んだとか自分は変態だとかを教室の黒板とかにチョークで書いたり、筆と墨汁で落書きしたり、机をちらかしたりの深夜の教室荒らしのシーンは良かったです(5分位。一般的には、凄かった、と表現すべきなのでしょうが。)。

 スローでエンディング曲が流れるところが特に良い感じです。
 春日と仲村はとても楽しく、幸福感あふれる表情です。

 恍惚の表情かなとも思いましたが、春日や仲村が性的にイッた描写はないので、幸福感にとどまるのでしょう。
 そういう意味では、まだまだ子供であり、やっぱり中学生です(TVアニメだからそれを描かなかっただけかも知れませんが、その後の話を見ても性的なところはないので、ここで描かなかったのはそういうことではないからなのでしょう。)。


 それにしても、8話前半での深夜の教室荒らし後の2人での帰り道、夜明けが近い町の中、手をつなぎ、うつむき加減で言葉を交わさず、放心状態のような2人。静かで不気味なBGMが流れるだけの6分位のシーンは息をのむ凄さです。


 宴の後の心地良い疲労、宴の後の寂しさ、皆が登校したらバレる春日の変態性、そんなことを念頭に置きつつも放心状態のような2人なのでしょう。


◎ 10話で、仲村と春日が自転車で逃避行して峠を超えて町から出ようとするところでの、追いかけてきた佐伯と仲村の対峙において、最初に佐伯を選び、失望し怒って去る仲村を見て体が追いかけてしまう春日。

 最後には春日はどちらも選べず、2人ががっかりしてしまうところ。

 仲村を追ってしまう春日は既に調教されていますし。。。。。


 12 話ラストから13話で、仲村は1人では生きられないし、仲村は春日よりも生きづらいのに春日を信じてくれた一方、佐伯は春日がいなくても別の人と幸せになれると思って、仲村に謝罪文を書いて許してもらおうとする春日は仲村への依存心が丸出しで、仲村と春日は既に共依存です。

 (※共依存:依存症の一。特定の人間関係に依存する状態。自己の存在意義を認めてもらおうとして過剰な献身をくり返すなどの行為がみられる。DV(ドメスティックバイオレンス)を受けた女性が、「自分が至らないために起こった」と考えて暴力に耐え、人間関係を解消できないなどの例がある。(デジタル大辞泉より。))


◎ 最終13話ラスト、仲村のノートを見ているところを帰ってきた仲村に見つかり、怒鳴られ、逃げる仲村を追い、捕まえる春日。
 この町から出て「向こう側」こ行こうとした仲村ですが、この町で一緒に「向こう側」に行こうと言う春日。

 これまでのシーンをダイジェストで回想し、今後と思われるシーンをダイジェストで描いてまだまだ波乱があることを示し、春日が仲村に契約を持ちかけるシーン。

 仲村が御主人様だったのが、春日が御主人様のようになって主従が逆転しているように見えますが、仲村が春日に馬乗りになっている絵をバックにしての台詞なので、主従が逆転したかどうかは2期を見ないと分かりません。

 ただ、少なくとも対等の関係になった描写には見えます。

 「今度は僕と契約しよう。このクソムシの海から、這い出す契約を。


○ その他、様々なシーンに書きたい要素がありますが、キリがないのでこの辺で。


◎ それにしても、実写で撮影した映像をアニメの絵にするロトスコープという方法は、人間の細かい動き、静止しているようでも人間はわずかに動き続けているところがリアルなのは、それはそれで良いのですが。

 以下は、ロトスコープとは別の問題と思いますが、絵について気になった点。

 顔の輪郭とかの線がぼやけているというかラフスケッチのようだというかリアル過ぎて、慣れていないせいか、違和感を感じたり。終わりが近づくにつれて慣れましたが。

 一方、背景は通常のアニメ同様に動かないので、人間の動きのリアルさとのアンバランスというか、違和感を感じたり。制作者の手間がかかることと、背景も動くと視点が人間に集まらずにぼやけるので、これで良いのですけれど。

 また、少し離れているだけなのに、表情を書かずに塗りつぶした顔の絵にしたりが手抜きにしか見えなかったり。


 シリアスな話なので、本来であればリアルな動きが合う気がしますが、リアルな輪郭が却って生々しすぎた気もする以上に単に絵が下手に見えてしまいますし(これの原作漫画は、普通の絵でもありますし。)、タレントになっても良いくらいに可愛いはずの佐伯がそれ程可愛く見えませんし。

 ロトスコープは失敗とは思いませんが、もう少し絵を書き込めなかったものかな、と。


◎ いつも最後に原作者の押見修造さんの一言がありますが最終13話は「皆様をクソムシ呼ばわりして どうもすみませんでした!」というもの。

 仲村が侮蔑を込めて使う「クソムシ!」ですが、視聴者をクソムシと思って原作漫画やアニメを作っていたということであり、このアニメは建前ばかりの世の中にノーを言っているわけですから、言葉とは裏腹に「すみません」とは全く思っていないことが伺えます。


 全て本音で生きたら、却って自分が生きにくくなり、却って自分が不幸になる世の中であり、本音は程々にするか、ごくごく親しい人とだけにして生きる方が全体として自分が幸せに生きられる世の中ですから、クソムシと言われようが春日や仲村のように生きる必要はありませんけれど、思春期には鬱屈の「はけ口」として問題の無い方法を知らないし、見つけ難いのでしょうね。


【shin】
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