岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

5 打突

2019年07月17日 19時06分00秒 | 打突

 

 

4 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

仕事が終わり、親方がみんなに給料袋を配る。俺の給料は日給一万のはずだから、二十六万円から出た日数かける五百円が食費として引かれるから…、二十四万七千円。早...

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 朝起きて風呂に入る。体も温まったので、軽くストレッチをして体をほぐす。
コンディションはなかなか調子良さそうだ。
ベンチプレスに寝転がり、数回上下運動をすると、細胞が喜びのあまり騒ぎだす。
今日これから大和に行く。どのくらい掛かるか、分からない。早速出かける準備をする。履歴書を懐にしまい、お昼手前に家を出た。
 黒いスーツに身を包み颯爽と街を歩く。今日がスタートラインに立つ日だ。覚悟を持っていかなくては…。
駅に向かう最中、対面から幼馴染の清美が歩いていた。すぐ、俺に気付いたみたいで、笑いながら小走りで向かってくる。
「久しぶりー。あれから私がバイトしてたコンビニに、全然来なくなったじゃないのよ。どーせ、さおりの件で落ち込んでたんでしょ?」
「うるせー。余計なお世話だ、この野郎。」
「酷い言い方だなー。でも、龍ちゃん何か、かなり体、大きくなってない?」
「これから大和プロレスに行くんだ。」
「へー、龍ちゃんってプロレス好きだったんだ?」
「違うよ。俺はあそこに入団しに、これから行くの。」
 清美は目を丸くしている。無理もないだろう、あのコンビニでさおりにふられた以来、一度も会っていない。久々に会ったと思ったら、プロレスラーになると抜かしているのだから…。でも、俺の体は信念を裏切らず、ちゃんとついてきてくれた。
「私にはよく分からない世界だけど、何だかすごいよね。前よりも男らしくなったみたいだね。」
「男らしくも何もないだろう。ハナッから俺は男だ。」
「性格はあんまり変わってないみたいだけどね。」
 ヒューという口笛が聞こえる。自然と聞こえた方向を向く。
 人相の悪い二人組が、俺たちのほうを見ながらニヤついて近づいてきた。
「おねーちゃん、可愛いねえ。そんなの放っておいて、俺らと遊びに行こうよ。」
 二人組の一人が、強引に清美に抱きついた。もう片方は俺に、余裕こいた面で立ちふさがる。
「彼女は俺らのほうが、いいってさ。おまえ、とっとと消えなよ。」
 これから大和プロレスに行くって大事な時なのに…。出来れば問題は、起こしたくなかった。でも、この状況を放り出していける訳ない。
「キャーッ!い、いやっ…」
 清美のほうを見ると、男が胸を揉もうとしていた。瞬間的に体が動く。
その時、後ろから後頭部に衝撃を受けた。突然の攻撃に怯んでしまった。清美に抱きついていた男が、俺に向かって腹に蹴りを打ち込んでくる。多少の痛さは感じるが、ちゃんと鍛えぬいた肉体が、俺を守ってくれた。

「りゅ、龍ちゃーんっ!」
 清美の悲鳴に近い声。俺は口元に笑みを浮かべ、清美の顔を見て安心させる。
「何がおかしんだよ、あっ?」
 チンピラ二人が、懸命に粋がる。
「おまえら、二人がかり…。それも不意打ちして、その程度か…。」
 殴るだけじゃ芸がなさ過ぎる。
体を左側に思いっ切り捻り、バネ仕掛けのようにはじけた。その勢いを利用して逆水平チョップを相手の胸板目掛け、炸裂させる。
もう一人の相手には、左足の甲を思い切り踏んづけた。屈んだ隙に相手の両肩をつかみ、頭突きをお見舞いする。ガキは一発で頭を押さえ痛がる。
こいつは清美の胸を揉もうとしたカス野郎だ。その制裁を頭突き一発で終わらせるほど俺はお人好しじゃない。俺は構わずにその上から三回連続で、頭突きをかましてやる。
チョップを喰らった奴が咳き込みながら、俺に向かってくるので、相手の攻撃を受けてやろうと思った。首に力を入れて待ち構える。これだけ鍛えてきたのだ。相手のパンチをワザと顔で受けながら、そのまま前に出る。
「何だ、おまえ…。」
 ボソッと呟く相手の目を見据えて、ニヤリと笑う。チンピラの顔つきが青ざめていく。殴った側が、逆にビビるというのは、客観的に見て非常に滑稽だった。
「やっぱ、そんなもんか。」
 怒りを込めて相手の肩口に、俺の右拳を叩き付ける。絡んできたガキ二人は地面に転がりながら、泣き喚いていた。
ここにいて面倒な事になるといけない。清美の手を引いて、その場をすぐに立ち去った。
 大和プロレスの事務所に、乗り込もうと決意した日。
行く前に変なケチがついてしまった。清美はさっき抱きつかれた事を思い出したのか、ブルブルと体を小刻みに震わせている。清美がこんな状態なのに、放っておく訳にはいかなかった。
「大丈夫か?」
「う、うん…。龍ちゃんって、噂通り、本当に強いんだね…。」
「俺なんか話にならないぐらい強い奴が腐るほどいるのが、大和プロレスだ。」
 清美を家の近くまで送り、銀座に向かう事にする。清美は、何か言いたそうな表情ではいたが、結局、家に着くまで終始無言のままだった。
「今日は何だかごめんね…。これから行くんでしょ?頑張ってね…。」
 別れ際の清美の表情を見ていて、つい抱き寄せてしまった。小さな時から近所でずっと遊んできた幼馴染の清美。その清美が今、自分の腕の中にいる。いい匂いがした。
一瞬、さおりの顔が頭の中をよぎる。思わず清美の両肩をつかんで、お互いの距離をとるようにした。とても不思議な感覚だった…。
「じゃー、行ってくるよ。」
 自分の信念を集中力に変え、今までやってきた。強くなりたいという一心から、きついトレーニングにも耐え、体をでかくさせた。これからが、始まりなんだ…。

 電車に乗りながら、清美の事を考えた。そうする考える事で、徐々に湧き出てくる緊張感を必死に誤魔化そうとしている自分がいる。
何故、清美は俺が急に抱き締めても黙って身を任せていたのだろう。俺は今までまともに女と付き合ったがない。異性の気持ちなんて、分かるはずがないのだ。
清美と一緒に歩いて、一緒に食事して、プライベートの時間をそういう風に使えたらどんなに人生楽しいだろう。清美とも一緒にデートする事を想像してみる。だけど頭の中はさっき清美をこの腕で抱き寄せた事でいっぱいになってしまう。
生まれて初めて、女をこの腕で抱き締めた。あんなに柔らかくて、壊れそうで…。今、彼女を作ったりしたらどれだけ幸せだろうか、しかし、俺は間違いなく弱くなるだろう。そんな感じがする。
実際のところ、今の俺はそれどころじゃない。時間があれば体を鍛え、胃袋に少しでも余裕が出来たら、飯を詰め込むだけで精一杯だった。
青春を楽しく謳歌するのと引き換えに、その分だけ俺は強くなった。自分の体がじわじわ大きくなり、トレーニングの度に体中の細胞が喜んでいるのが分かる。強さが少しずつ上がる度に、俺の言葉は、説得性と現実味を帯びだす。
レスラーになるんだという想い。初対面の人間にそう話すと、どれだけの人が理解して、どれだけの人が笑うのだろうか。笑いたい奴は笑えばいい。
俺は今、それを証明する為に、銀座へと向かっている。絶対に大和プロレスに入って、みんなにすごい奴だと言わせてみたい。
だが、俺の求める強さとは、一体、何の事なんだろうか…。喧嘩が強いというのが強さの象徴のような気がしたが、そんな簡単なものではないとはっきり言える。
腕立て伏せを一回でも多く、ブリッチを一秒でも長く出来るように頑張り、日々、肉体が進歩をしていく。肉体がでかくなると同時に、間違いなく俺は強くなっていると自負出来た。
それでも、自分よりも強い人間は腐るほどいる。俺は何故、数ある格闘技の中からプロレスを選んだのだろう。空手でも、ボクシングでも、柔道でも、キックでも色々あるのに…。
答えは簡単だ。俺はプロレスをやれば、強くなれると感じたのだ。だから大和プロレスを勝手に選んだ。

 気がつくと、銀座に着いていた。住所は分かるが、銀座自体、来るのが初めてである。
通行人に、大和プロレスの事務所の場所を聞きながら探し回った。駅からさほど離れていない場所に、大和プロレスの事務所は見つかった。
「株式会社 大和プロレスリング」
 看板に書かれた文字を見ながら、何ともいえない熱いものを感じた。自然と目に、涙が溜まってくる。
レスラーを目指してから約一年。
働いた給料のほとんどを飯代に突っ込んで、六十五キロしかなかった体重を十二キロ増やし、七十七キロまで増やした。死に物狂いで飯を喰い、年中暇さえあればトレーニングに没頭してきた。
まだまだ体の線が細いのは自覚している。それでもよくここまで来たものだと感動してしまう。
味方が誰一人、いない状況でスタートして、無鉄砲な事をしてきたのだ。振り返れば、胃袋がよくパンクしないで、ついてきてくれたなと感謝を覚える。様々な人たちの思いや協力があった。感謝してもしきれない。
たった一年間かもしれないが、色々なものを乗り越えて堪えてきた。
でも、今、ノスタルジーに浸るのは早過ぎる。俺の決意を見せてやれ。エレベータのボタンを押す指が小刻みに震えていた。
「死ぬ事はねぇだろ…。」
 小さい声で呟いてみる。ここまで来たんだ。腹を括らないと…。深呼吸を数回繰り返してエレベータに乗り込む。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
ビルの六階に着くと、目の前に大和プロレスのオフィスがあった。ドアの前で深呼吸をして落ち着かせる。
コネも何もない無力な俺が考えついた唯一の方法。出来る限り気合い入れて、悪っぽくいきたい。ノックをしようと思い、拳をドアに近づけるが、慌てて思い留まる。
悪っぽくいくんだろう…。俺はサラリーマンになりにきたんじゃねーんだ。ひと呼吸、息を吸ってから、ノックもせずに、そのまま勢いよくドアを開けた。
派手な音を立ててドアが開く。中にいる大和プロレスの社員たちは、ビックリして俺のほうを見ている。
入り口に立っている俺は、部屋の中をゆっくり時間かけ見渡した。壁にはチョモランマ大場の等身大パネルがあった。パネルのチョモランマ大場は笑顔だった。
中にいる人間の顔を一人一人見てみる。その中で、一番偉そうな感じのする人間を見つけて、目を出来る限り見開き近づいた。不思議と声を発する者は誰もいなかった。
俺の心臓はバクバクに動いていた。相手の目をじっくり見ながら頭の中にあった言葉を口にする。
「レスラーになりに来たんすけど、どうすりゃー、いいんですかねー。」
 出来る限り、ガラ悪く喋った。相手は俺の台詞を聞いて、キョトンとしている。
「あ、あのですね…。最初は書類選考というものがありまして…。」
 話の途中でふところに手を突っ込み、持参した履歴書を机の上に叩きつけた。更に目を見開いて、相手に向かって凝視する。
反対に俺の心臓は壊れるんじゃないかってぐらい、激しく動いている。
「履歴書は、当然、持ってきています。あとは、どうすりゃーいいですか?」
 威圧するように、喋る時の発音をワザとおかしくする。自分で話しておきながら、今すぐこの場を逃げ出したかった。
「しょ、書類選考にかけて、追って連絡します。」
「分かりました。失礼な真似して、すいませんでした。失礼しました…。」
 直立不動に立ち、感謝の気持ちを込め深々と頭を下げる。出来ればこんな相手を舐めた真似したくなかったが、こうする以外考えつかなかった。
用件が済むと、もう相手の目を見れず、早々とその場を退散することにした。
大和プロレスの事務所を出てエレベータに乗るまで、頭の中が真っ白だった。
どうやって家に帰ったかもよく覚えていない。
布団の上に寝転がる。天井を見ながら、大和プロレスの事を考えた。色々とあった日だが、サイを投げてしまった事だけは確かだ。
ドッと疲れを感じ、目を閉じる。その日はすぐに睡魔が襲ってきて、いつの間にか寝てしまった。

 翌朝、早めに寝たので気持ち良く目覚める事が出来た。
ふと清美の様子が気になったが、現状を考えると余裕がなかった。出来れば女の柔らかな気持ちいい感触を味わいたい。しかし、嫌な言い方すると、今の俺に色恋沙汰は不要だ。快楽に走れば走るほど、自分が弱くなってしまう気がする。
大和の事務所に行った時の事を思い出してみる。昨日の行動でまだ体が興奮していた。誰かに話したくてウズウズしている。
早速整体の先生のところへ報告に行ってみよう。無理だと言われる中での迷走で、スタート地点がようやく見えるところまで来たのだ。あとは書類選考の結果待ちしかない為、今まで通りトレーニングを続けるだけだ。STB総合整体のドアを開けて、階段を駆け上がる。
「おはようございます。」
 奥から先生が出てくる。
「おはようございます。昨日、どうでしたか?」
「行ってきましたよ。あとは向こうからの返事待ちですね。」
 昨日、大和プロレスに行った事を細かく説明した。先生は真剣な表情で頷きながら俺の話を聞いてくれる。一部始終を話し終えると、先生がお茶をいれてくれた。
「いやー、ではこれからプロテストが待っている訳ですね。何だかワクワクしてきますよ。よし、早速、今日も中周波やりましょう。当日は、ベストコンディションで望まないといけないですからね。」
 先生が自分事のように喜んでくれたのが、とても嬉しかった。いつもより激しく中周波を体に流し込む。
どんなキツイ事や痛い思いも、我慢してやっていくしかない。そうする事で俺の肉体は研ぎ澄まされ、前よりもちょっとずつ進化していく。

 街を歩いていると、ゲームセンターのところで、中学時代仲良かった二人の先輩と何年かぶりにバッタリ会った。俺は現在、大和プロレスを目指し、昨日、事務所に行って来たばかりだと説明すると、二人とも俺を見て目を丸くしていた。
「そういえば、体、でかくなったよなー、神威。学生の頃は細かったのにな…。ちょっと早いけど、お祝い代わりに飯奢ってやるよ。」
 最上さんが、目を細めながら言った。
「龍君も、しばらく見ない内に、影で頑張ってたんだなー。体、見れば分かるよ。肉体は嘘つかないしね。僕もプロレスは好きだから、何か嬉しいし、ぜひやって欲しいよね。」
 月吉さんも、笑顔で嬉しそうに言う。
「俺の胸にパンチしてみて下さいよ。腕とかも…。」
 先輩は、軽く叩いてくるので、もっと本気でどうぞと叩かせた。
「すげー、体になったなー。こっちがパンチしても、弾かれるみたいだよ。」
 人からそう言われると、最近の俺は喜びを感じる。ちょっとした優越感みたいなものだ。これだけやってきたから、その成果を人に見せたいと思うのは、自然な感情だと俺は思う。もっともっと人をビックリさせてみたかった。
 二人の先輩、最上聡史と月吉兼一は、中学時代から、何かにつけて面倒を見てもらった恩のある頭が上がらない先輩だった。力もないガキの頃に受けた恩義は大きい。
久々の偶然的な再会が、素直に嬉しかった。二人の先輩に共通しているところ。二人ともタイプは違う。でも、先輩面してえばるという事が、まったくなかった。
気付いたら、自然となついていたような感じだった。久しぶりの再会で、自然と笑顔になってしまう。
レストランに入り、食事をしながら話をする。月吉さんは昔から大のプロレスファンで、反対に最上さんはまったく知らないようだ。
「僕はプロレスが一番好きだけど、格闘技、全部、好きなんだよね。でも、龍君が大和へ行ったら、ヘラクレスなんかとやるんでしょ?何か、ドキドキしてくるなー。」
「俺なんか、全然、話にならないですよ。やってはきましたけど、レベルだって違います。とにかく今は、喰いついていくだけです。最上さんは、プロレス見ないんですか?」
「俺の場合はさー、中学の頃からパソコンが趣味でね。今だって仕事がパソコンのプログラマーになってるぐらいだから…。忙しくてテレビを見るって、習慣がないんだよ。でも、神威が試合出て、テレビに写るようになったら見ちゃうだろうな。」
 最高に嬉しい言葉だった。
 俺のご飯の喰いっぷりを見て、先輩たちが驚いている。だんだん自分が、常人離れしてきた証拠だ。俺は社会人になって普通に生きる事を拒んだ男である。
レスラーを目指すようになってから、周りの見る目が、いい意味でも、悪い意味でも、変わってきた。食事を取る量の多さでびっくりされ、百キロの岩の破片を持ち上げては、びっくりされ…。このように、人に驚かれる事が快感になってきていた。
「すごい食欲だな…。そんだけ食べてれば、大きくなる訳だ。」
「精神力が、なければ出来ないよ。体が、トレーニングの凄まじさを証明してくれる。」
「店員さーん、すいませーん…。あとミートソースと、ラザニアお願いします」
 店員と二人の先輩は、目を丸くしながら俺を見ていた。
「そうそう最近のプロレス中継、見てる?」
「いや、仕事とトレーニングの毎日で、たまに弟が持ってくるのを見る程度です。」
「自分が行く団体ぐらい、ちゃんと、暇あったらチェックしておいた方がいいよ。そこの色々な選手も分かるし、実際に入団したら、肌を合わせるわけだからね。僕が色々持ってるし、いいやつ貸してあげるから、暇な時にでも見なよ。ボーもついでに、貸してあげるから、たまには見てみれば?」
 月吉さんの言葉には説得力があった。しかし、ボーと最上さんの事を呼ぶ、月吉さんの呼び方が気になる。
「すいません、お言葉に甘えてお借りします。月吉さん、何故、最上さんの事、ボーって言うんですか?」
「あーあー…、こいつはね、パソコンのプログラムいじったり、データ直してみたり、自分が興味ある事以外は、いつもボーっとしてるから、いつの間にか、ボーって言われるようになったんだよ。」
「まあ、何て呼ばれようと別に呼び方なんて、何だって、俺は構わないけどね。それより神威がプロレス行くっていうなら、ちょっとは月吉のビデオ、借りて見てみようかな。」
「何だよ、あれだけ僕が勧めても、ボー見なかったのに…。ま、これもひとえに龍ちゃんのおかげか…。絶対にボーも、見ればハマるよ。」
帰りがけに、最上さんと月吉さんの家に寄り、プロレスのビデオを数本借りる。理由が俺であれ、最上さんがプロレスに、興味を持ってくれたのがちょっと嬉しかった。

早速、家に帰り、月吉さんから借りたビデオをデッキに入る。わくわくしながら、再生ボタンを押した。
「夏川正人ー。大河健一郎ー。赤コーナー…、森下弘明ー。山田晶ー。」
 伊達以外の面子による同じ軍団同士のタッグマッチだった。
この間、見た試合。伊達との死闘を繰り広げた山田のチームの方が、実力的にはちょっと上か…。
デビュー二年目の新人夏川が、試合開始のゴングと同時に山田に奇襲をかけた。四人の中で一番体格のいい大河も、続いて森下に攻撃を加える。夏川の必要なストンピングに、山田の顔つきが変わりだす。顔面に蹴りを喰らいながらも、ムクッと起き上がる。山田の顔が怖い。
もし、俺が目の前でこう対峙したとして、まともにガッといけるだろうか…。夏川は、怯まずに打撃を打ち込んでいく。バシッ…、すごい音が聞こえる。
「おーっと、山田のキックが夏川の胸板に炸裂しましたー。今、すごい音が館内に響きました。大丈夫か、夏川。場内の雰囲気が変わります。」
山田の蹴り一発で、形勢が逆転する。崩れ落ちる夏川…。そこに容赦のない攻撃が待っていた。場内の観客の悲鳴がこだまする。慌てて大河が救出に入り、山田の背後に組みつく。気合いと共に後ろに反り投げた。
「エグイ角度のジャーマンが山田に決まりましたー。おっと、森下がリングに戻り、大河に喉輪落としを決めたー。」
 各選手の得意技の競演に、会場の熱気はどんどんヒートアップしていく。もし、自分がここにいたらという想定で試合を見ていた。
何故、みんな、こんな攻撃を喰らってもフォールを返せるんだろう…。はっきりいって大和プロレスは、化け物の集まりだ。
試合はキャリアが浅い夏川の健闘が目立ったが、最後は山田、森下の合体技の前に破れてしまった。観客は惜しみない拍手と声援を送っていた。
敗れて悔しそうにマットを叩く夏川をパートナーの大河が、肩に手を置いて慰めてる姿が印象的だった。
散々やられて倒されても、歯を食いしばり、何度も立ち上がってきた夏川。満身創痍なのにやり返し、山田に向かっていった。山田もその攻撃をワザとすべて受けきっていた。もちろんその後は倍返しが待っているが…。
俺も大和のレスラーに比べたら、全然、比較にならない。でも、相手の攻撃をあえて受けるレスラーの気持ちが、分かるような気がする。
俺もよく知り合いにこれだけ鍛えてきたんだ…、ほら、ここにパンチしてみなって感じになるものだ。でも、伊達のエルボーや山田の蹴りは、出来れば喰らいたくない…。

 翌日の仕事でも、仕事仲間が昼飯時に集まって、プロレスの話に花を咲かせた。俺は、あれこれ聞かれて大変だった。
「昔は剛力山って相撲上がりのレスラーが、外人をチョップでバタバタ薙ぎ倒して、最高だったんだよなー。」
「その門下生だったチョモランマ大場の下に、これから行くんだから、容易な事じゃねーよな。ところで中の様子は、どうだった?」
「でもよー、あれはやっぱイカサマ臭いんだよなー。」
「野暮な事、言ってんじゃねーよ、このカス。こいつがこれから行くところなんだから、素直に応援してやれよ。本当、どうしょうもねえ野郎だ。」
「いやー、だって…、それにしてもさー…。」
「うるせー、ボケッ。テメーは黙ってろ。すっこんでやがれ。そうそう、龍一よー。今度さー、ヘラクレス大地のサインもらってきてくれよ。うちの子供が、大ファンなんだよ。あと、大川と山田のもよ。」
「だいたい何でロープに振って、わざわざ返ってくるんだよ。」
「おまえさっきからやかましい。向こう行ってろよ。悪口、言うだけならなー、誰だって言えるんだよ。ここから消えろよ、クズ野郎が…。神威さー、ワシに試合のチケット送ってくれよ。もちろん、最前列のな。」
「うちの子供は、伊達のサインが欲しいって、いつも駄々こねやがるんだ。頼むよ、神威ちゃん。今度、飯、奢ってやるからさー。」
「うちのカカアは、あの新人の夏川だっけ?あれがハンサムで格好いいとか抜かして、俺の前でも、メロメロになってるよ。参っちまうよな…。」
 終始こんな感じで神経的に参ってしまいそうだ。嬉しい悲鳴ではある。
アマレスで県三位の実績を持つ、守屋洋吾も、俺を散々励ましてくれた。
同じ現場で顔を合わせた時は、空いているスペースを見つけてよく一緒にスパーリングを付き合ってくれた。自分の持つ技術を懸命に教えながら、昼飯時は、俺にとって寝技のいい訓練になった。
筋トレとかと違った筋肉をスパーリングは使うので、大変勉強になる。守屋はスパーリングを終えて、午後の仕事に入る前に、必ず気付いた点を注意してくれた。
「なんて言ったらいいのかな…、神威は寝技に入った時の隙は結構あるんだけど、たまにその隙を利用して、相手を極めるうまさっていうのがあるんだよな。あと、それだけ力があるのに、うまく使いこなせていない。その辺がもったいないから、もっと考えながらやってみな。センスは悪くないんだから…。」
「悪いな、毎回毎回…。」
「気にするなって、俺も楽しみながらやってるんだ。その代わり、将来自慢させろよな。今、テレビに写ってるこいつは、昔、俺とよくスパーリングしてたんだってな。」
「バカ野郎…。でも、ほんとありがとな…。頑張るよ、絶対に…。」
 親方も俺を気遣って、仕事を週二回休みにしてくれた。おかげで体をキチンと休ませながら、トレーニングにも没頭出来る。周りに支えながら、俺は日々強くなっていく。俺がレスラーになるのは、もう自分の為だけじゃなくなっていた。みんなに、嘲笑されていた頃を懐かしく感じる。
「神威、だいぶ体、でかくなってきたなー。うちの女房が、いつもいっぱい食べてくれるって喜んでるよ。料理の作り甲斐があるってな。」
 親方が声を掛けてくれる。本当に、親方と奥さんには頭が上がらない。
「いつも、おいしく食べさせてもらってます。」
「おまえがプロレスの世界へ行ったら、すごい嬉しいことだが、ここからいなくなるって考えると、ちょっと寂しくなるよな…。」
 涙が出そうになるのを懸命に堪える。ここで散々世話になって、俺は大きくなれた。絶対にこの恩を忘れてはいけない。
親方に気の利いた台詞の一つでも言いたかったが、声が詰まってしまい、何も言えなかった。失礼なのを承知で一瞬だけ頭を下げる。そうでもしないと、目から涙が零れてしまいそうだった。

 家に帰ると、清美から連絡があったらしい。この間の件だろうか…。清美を抱き締めた柔らかい感触を思い出す。
気にはなるが、今、連絡しても、自分の妨げになるのを分かっていた。冷たいようだが、まだ、プロテストもあるし、それをクリアしたとしても、今度はもっときつい世界が俺を待っている。
トレーニングウェアーに着替えて、外へ走りに出ようとする。玄関で靴を履いていると、電話の音が聞こえる。
「はい、もしもし神威です。あれ清美ちゃん?久しぶりだよねー。うん、えーと…、兄貴いるかって?ちょっと待ってて…。」
 弟の会話が聞こえてくる。
電話を掛けてきた相手はどうやら清美らしい…、一体、どうするつもりなのだろうか。電話に出るのが怖くて、俺は急いで靴を履き、外へ飛び出す。すぐに走り出すと、背後から弟の声が聞こえる。
「おーいっ、兄貴ー。電話だよー。兄貴ー…。」
 聞こえないフリをして、全力でその場を駆け抜ける。なんて俺は臆病な奴だ…。
心の中にあるモヤモヤを振り払うように無我夢中で走った。心臓が悲鳴をあげようがお構いなしに手を振り、足を振る。何も考えずに体を動かし続けると、いつもより早くトレーニングする場所へ辿り着いた。
絶え間なくほとばしる汗が目に入り込みしみる。
いつもサンドバック代わりに使う木に近付き、エルボーを叩き込む。固まっていたカサブタがとれて、叩くたびに鮮血が辺りに飛び散る。
木に向かって蹴りをぶちかます。スネも出血しだして、体中、痛いところだらけになる。頭突きもしてみるが、さすがに木は頑丈だった。
どのくらい打撃という打撃を放ったのだろう。額からも、血が滴り落ちている。疲れて地面に大の字になって寝転がった。
 清美と話をしたいが、何を話せばいいのか分からない…。
この間、抱き締めてしまった事…。
清美と話しして、もし、あいつが俺に会いたいと言われたら、すぐにでも行ってしまいそうだ。もう一度、あの心地良い感触をこの腕で感じてみたかった。
この一年ストイックに生きてきた。たまには甘いひと時を過ごしてみたかった…。これだけやってきたんだ。少しぐらいの休息はいいだろう。
辺りを見ると、五十メートル先に電話ボックスがあるのを発見した。清美の声が聞きたい…。
俺はフラフラッと立ち上がると、電話ボックスへと近付く。
中に入って受話器を手に取ると、テレホンカードを挿入した。三十七回分の数字が出て、プッシュボタンを押せば、通話可能な状態になる。
指で押そうとしても、俺の体のどこかが拒もうとしている。清美の電話番号を押したいのに、何かが、それを邪魔する。
電話ボックスのガラスを見ると俺の姿が半透明に写っていた。ガラスに写る自分の姿をしばらくジーッと見つめる。どこもかしくも全身ボロボロだ。
ずっと頑張ってきて、ここまできている。自分が信念を持って、やってきた事を無駄にしたくない。あの世界はそんなに甘いもんじゃない…。
俺は受話器を置き、テレホンカードを取り出して、外に放り投げた。
「なるんだろ、プロレスラーに…。」
 独り言を言いながら木に向かって、右拳を叩きつける。木の樹皮が俺の血で赤く染まっていく。すごい痛みを感じるが、全然、気にならなかった。
甘い考えをしている自分への戒めのつもりだった。俺は今より弱くなる訳には、絶対にいかない。ひたすら強さを追求しろ…。それが俺の使命だ。自分で納得いく強さを身にまとうまでは、絶対に女は抱かない…。

大和プロレスの事務所に行ってから、早くも一週間が過ぎようとしていた。
仕事が休みの日、ゆっくり部屋で寝ていると、弟に叩き起こされる。
「兄貴、来てるよ。起きなよ、早く、早く…。」
 弟は興奮気味に、俺の目の前にハガキを出してくる。起きたばかりで、まだ目がぼやけていた。両目を指でこすり、視界をハッキリさせてからハガキを受け取る。
「第一次書類選考 合格です 去る十一月二十八日 場所 戸田スポーツセンターにて第二次審査の体力テストを行います 正午までに来場下さい 株式会社 大和プロレスリング…」
 体が武者震いをしている。ハガキを見て、全身に衝撃が走った。
「兄貴、良かったじゃん。」
「あっちに行ってくれ…。」
「えっ?」
「頼むから、あっちに行ってくれ…。」
「あ、ああ…、分かったよ。」
 弟が部屋を出て行くと同時に、涙が溢れ出す。
こんな姿を絶対に見られたくなかった。どんなものにも代えられない喜びがある。
何度もハガキの文字を読み返してみた。レスラーになると宣言して、約一年…。
頑張って血ヘド吐きながらやってきて、最初の結果が、今、やっと出た…。この感覚は俺だけにしか分からない、いや、誰にも分かってほしくない自分だけの領域にしたかった。
ハガキを机の引き出しにそっと大事にしまう。二十一年間生きてきて、一番の宝物だ。これからやる事はハッキリしている。プロテストに備えて、ベストコンディションを作るだけだ。がむしゃらにトレーニングするより、ちゃんと体にも休養を与えたほうがいい。
 土方の親方に電話して、しばらく休みをもらう事にした。親方は快く承知してくれた。
友人の石井や、先輩の最上さん、月吉さん、整体の先生、高校時代の担任の先生に一次書類選考が受かったと報告すると、みんな喜んでくれた。
プロテストまであと三日間。ストレッチだけは欠かさずに毎日やって、出来る限りリラックスして、イメージトレーニングすることにしよう。

 さっき連絡したばかりの月吉さんから食事の誘いがあり、夕方ぐらいに食事へ行く事にした。
自分で誘っときながら、月吉さんはどこに食事に行くか決めてなかったらしい。俺に、何かいい場所ないかと聞いてくる。そういう展開になると、あのさざん子ラーメンしか、頭に思い浮かばない。つい、思い出し笑いをしてしまう。
「どうしたの、龍ちゃん?」
 月吉さんは、いきなりニヤけだした俺を不思議そうに見ている。
「いいところあるんですよ。」
「へー、何がおいしいの?」
「ガーリック丼です。」
「ガーリック丼?」
「絶対に怪しい食べ物じゃないから、安心して下さいよ。うまいっすよ。」
 警戒しながら、恐る恐る俺のあとをついてくる月吉さんを見て、吹き出しそうになるが、懸命に堪えて、さざん子ラーメンに向かう。
「マスター、どーもー。」
「おう、神威さん。いらっしゃいっ。」
 マスターは、今日も威勢が良かった。俺のあとから入ってくる月吉さんに視線を移している。笑いが込み上げてきそうなのを我慢した。
「おや、今日は、可愛い人を連れてるねー。」
 先輩を捕まえて、可愛い人とは…。慌てて俺は口を挟んだ。
「い、いや、あの…、自分の世話になってる先輩なんです…。」
「いやー、可愛い先輩だー。今日は何にする?いつものガーリック丼かい?」
 マスターはあくまでもマイペースだった。月吉さんも笑っている。問題ないか…。
「はい、それでお願いします。あと、餃子と焼きソバも、二人前ずつ下さい。」
「あいよー。神威さんはそれじゃ足んないでしょ?」
「ええ、自分は、あと味噌ラーメンと、ガーリック丼もう一つ下さい。」
 月吉さんは、完全に笑いのツボに入ったみたいで、笑い転げていた。
「りゅ…、龍ちゃん…。最高…、ここ…。ごめん、ツボにハマっちゃった…。」
「だから、言ったじゃないですか。いいところありますよって。」
「確かに…。」
 しばらく笑いが止まらない様子なので、おりを見て話し掛けることにする。
「でも、雰囲気だけじゃなくて、ここのガーリック丼、本当にうまいですよ。」
「へー、楽しみだなー。」
「そういえば月吉さん仕事、今は何してんですか?」
「俺、ゲームが大好きだからねー。この間、ボーとバッタリ会ったゲームセンターあるでしょ?」
「ええ、最上さんと一緒に会った時ですよね。」
「そこで働いているよ。」
「そうだったんですか。じゃー、今度、顔出しに行きますね。」
「へい、お待ちっ、神威さん。」
 ガーリック丼と焼きソバが出てきたので、月吉さんに先に勧めた。
「見た目は普通の焼肉丼みたいだね。まー、食べてみよう。頂きます。」
 俺も食べ始めるが、横目でさりげなく様子をチェックする。月吉さんは、最初の一口を食べて、じっとガーリック丼を見ていたが、やがてがっつきながら食べだした。
「龍ちゃん。これおいしーよ。最高。」
「どうだい、先輩。うめーだろ?」
「は、はい…。」
「これが神威さん、お気に入りのガーリック丼でぃー。コンチキショー。」
 今日のマスターは、いつもよりもノリに乗っているようだ。焼きソバを食べかけていた月吉さんは、ソバを吹き出しながら笑っていた。マスターは、得意気な顔をして餃子を出してくる。
「これ受け皿ね。大根おろしが入ってるから、醤油とか入れて食べてね。そういやー、神威さん。プロレスの方はどうなったの?私はこれだって心配してんだよ。」
「ありがとうございます。一次選考である書類選考は合格しました。すぐにこれからプロテストです。頑張りますよ。」
「たいしたもんだ。うーん…、神威さんは偉い。おい、おまえも見習いやがれ。ちったあ、おまえも鍛えて、プロレスのリングに上がってみやがれ、コンチキショー。」
 マスターは奥にいる常連客に、いきなり話を振り出す。言っている事は無茶苦茶だが、嬉しかった。
「でもマスター。プロレスって、イカサマだろ?」
 常連客の些細な一言に、俺も月吉さんもピクリと反応するが、マスターがすごい形相で怒り出す。
「やいやいやい、テメーの事を棚に上げて、何、言ってやがんだ、このクソッタレ。神威さんがこうして目の前で頑張ってくれてんだ。失礼なこと抜かしやがると引っ叩くぞ。」
「そんな怒んないでよ、マスター。」
「今度、そんなこと抜かしたら、承知しねーぞ、このトウヘンボクが。いやーすいやせんねー、神威さん。うちの客も馬鹿が多くて、嫌な思いさせちゃって…。」
 俺はマスターの言葉だけで充分だった。月吉さんは大ウケで腹を押さえて笑っている。
「とんでもないですよ。いつもありがとうございます。」
 しばらく吹き出していたので箸が止まっていたが、ようやく月吉さんも落ち着いたみたいですべて平らげた。会計の時で、俺が財布を出そうとすると、止められてしまう。
「僕の方が先輩なんだから、ここは払うから大丈夫だよ。」
「いやー、でもこれだけ食べてそれは…。」
「駄目、これは先輩としての命令。また、次の機会にでも出してもらうよ。」
「分かりました。今日はご馳走になります。すいません。」
 これじゃ、ますます先輩に頭が上がらなくなってしまう…。絶対にいつか恩を返したい。奥ではマスターと、常連客がさっきのやり取りをしていた。
「だってマスターさー。俺はね…」
「やいやい、黙りやがれ。だからオメーは駄目なんだ。このコンチキショーめ。」

 

 

6 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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