2024/06/13 thu
今日は三沢光晴さんの命日
亡くなって15年、16回忌
時間が経つのは本当に早い
ジャンボ鶴田師匠が5/13だから一ヶ月後
俺にとって大切な人は何故か13日に亡くなるケースが多い
当時、新日本プロレスの武藤敬司と並ぶ、華のある天才レスラーだった
俺が初めて三沢さんと会ったのは21歳の二度目のプロテスト受かり、戸田スポーツセンターだった
一度目、ヤクザ者十数人と喧嘩になり、警察の厄介になった俺は、ジャイアント馬場社長から来なくていいと言われた
それでもたまプラーザにあった全日本プロレスの合宿所へ押し掛け、入口で渕さんから門前払いされているところにジャンボ鶴田師匠が出てきて、一日限定とはいえマンツーマンでトレーニングを受けた
帰り際鶴田師匠がもっと身体大きくしてまた来いと言ってくれた
その言葉だけで俺はまた茨の一年間を過ごした
プロテストを終えた俺に一人のおばさんが寄ってきて「あんたね、一度フェイドアウトした人間は? うちはね、そんな人間が務まるほど甘くないわよ」と言われる
「うるせーよっ!」
売店のおばさんだと思った俺は怒鳴りつけた
すると渕さんが顔を真っ赤にして殴り掛かってくる
レスラー5人に両手足抑えつけられ、「馬場社長の奥さんに向かって何て口を利いてんだ、このクソガキ!」
え…、馬場社長の奥さんだったの……
ヤバいとは思ったけど、この苦痛だった一年間を過ごしてきた俺は、頑として謝らなかった
身動きの取れないところに三沢さんが通り掛かり状況を見て「どうしたの?」と聞いてくる
渕さんが状況を話すと、三沢さんは俺の腕を取って起こしてくれ、「若いんだからこれからおいおい覚えていけばいいよ」とその場を諌めた
俺はそれから三沢さんの後ろ姿を追うようになり、憧れの存在になった
そんな三沢さんがあのような亡くなり方をして、本当にショックだったなあ
今頃鶴田師匠と酒一緒に飲んでいるんだろうな
今度川田さんの麺ジャラスKに行ってこようかな……
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