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神風連こと敬神党烈士らが國體を憂い挙兵した冬夜から148年。
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当然ながら当時の面影はなく、熊本市内を練り歩いた際も、寂しく石碑があるのみです。
170余名の烈士達は、熊本に鎮座していた連隊を強襲し、当初は軍旗を奪うなど優勢とも見えました。
然しながら、砲撃による火災から戦場が照らされ、烈士等の寡勢が知れると、形勢は一転。多勢に無勢と近代兵器による斉射により、副将の加屋霽堅翁と長老格の齋藤求三郎が戦死。
次いで、首魁である太田黒伴雄が胸部への被弾となり、熊本城法華坂の民家で自刃し、退却を余儀なくされます。
烈士らは重傷を負いながら散り散りとなって熊本各地へ移り、再挙叶わずと見ると各々自刃し果てました。
その壮絶な最期は遺児らが遺した資料にて語られています。
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