先日の続きだが、怪我の痕といえば、右の眉毛の上にもある。
これは小学1年の時、駄菓子屋で、太目のストローが付いた風船でストローを吹いて風船を膨らまし、空気を出すと「ベー」という音のするおもちゃ(当時5円だった)を買い、喜んで走って帰ってくる途中、石につまずいてこけた。その時に溝のふちで目の上を打ち、切れた傷だ。
2針縫った。5円の「ベー」のために痛い思いをしたものだった。
ちょうどその翌々日が、小学校代表で区内の粘土細工大会に出る日だった。目のところが腫れているし、包帯が邪魔になって粘土どころではなかった。テーマは「怪獣」だったのだが、結局タヌキみたいなのを作って提出した。
結果は優良だった。優秀以外はみな優良だったらしい。
小学生の頃の怪我は、やはり圧倒的に「こけた」というのが多かった。歩いてこける、走ってこける、自転車でこける、イスに座っていてもこける。ぼくはさほど運動神経や平衡感覚が悪いほうではないのだが、それにしてもよく「こけた」。
こけた理由は身体的な能力にあったのではなく、性格上の問題にあった。
小学校3年の頃から、通信簿の連絡欄に「おっちょこちょい」という言葉が登場しだした。
「しんた君は人を笑わせることが好きで、クラスでも人気があるが、とにかくおっちょこちょいである」といったような文章が、小学校3年の1学期の通信簿にしんたの歴史上初めて書いてあった。それ以来小学校を卒業するまで、この「おっちょこちょい」と「おしゃべり」がぼくの通信簿を賑わすことになる。
さて、こけて一番被害にあった場所が「ひざ」だ。
ぼくのひざはいつも赤チンだらけだった。右ひざが治ったと思ったら、今度は左ひざをすりむいてくる。年中そんな繰り返しだった。
そんな生傷に絶えない中にも、楽しみはあった。オキシドールだ。
オキシドールを塗ると、確かにしみて痛いが、あのブクブクと立つ泡を見るのが好きで好きでたまらなかった。だって、あの泡でばい菌が死んでいくんだから、こんなに楽しいことはない。痛みを堪えながら、「死ね、死ねー」といつも言っていた。
傷口がかさぶたで塞がり治りかけている時に、痒くなることがある。我慢できなくなって掻きむしり、かさぶたが破れて、再び血を見た時は悔しかった。風呂に入る時に、また痛みを我慢しなくてはならない。怪我をして一番辛いのは風呂に入る時だから。
お湯の痛みと石鹸の痛み、嫌でした。