吹く風ネット

ビートルズのことなど

2002年12月6日の日記

1、
 よくこんなことを考えている。例えば今ここにタイムマシンがあって、昭和35年に行ったとする。そこで路上ライブをやって、ビートルズの歌を歌ったとしたら、果たしてウケるだろうか?おそらくウケないだろう。
 しかし、『レボリューションNo.9』は、やってみる価値がある。もしかしたら、60年安保に一石を投じていたかもしれない。いまだに、あの歌(?)の持つ意味がわからんけど。

2、
 例えばビートルズが存在しなかったとして、ある人が『イエスタディ』を作ったとする。その曲を、ヤマハが以前やっていたポピュラーコンテストに出した場合、果たして優勝するだろうか?
 ポプコン音楽はわりと偏っていたから、こういう音楽はまず受からないと言っていいだろう。悪くすれば、予選落ちである。時々ラジオでアラジンの歌がかかっているが、いったいヤマハはどういう基準で選んでいたのか、今でも謎である。

3、
 例えばジョン・レノンがビートルズの一員でなかったとしたら、小野洋子はジョンと結婚しただろうか?ものの本などを読むと、どうもヨーコのほうから接近していた、というようなことを書いてある。ジョンがソロになった頃の、ヨーコのあのわざとらしいノリを見れば、何となく納得出来る。
 高校の頃、ヨーコのパンツ投げが話題になったことがあるが、「ヨーコのパンツなんかいらんわい」と思っていた。今もいらん。

4、
 例えば、ビートルズのマネージャーがブライアン・エプスタインではなく団野村だったら、ビートルズはあそこまで偉大になれただろうか?おそらくなれなかっただろう。いいとこ、オールディズに歌が2,3曲入るくらいのバンド止まりだっただろう。
 もし松野行秀がマネージャーだったら、歌よりも訴訟で有名になっていただろう。

5、
 例えばビートルズが解散せず、ベンチャーズのようにいまだ活動をやっているとしたら、日本に何回来ているだろうか?その際、やはり、加山雄三の友だちとして来るのだろうか?
 まさか加山雄三のバックで演奏、なんてことはないだろう。『青い星屑』のバックなんかやらされたら、たまったもんじゃないだろう。

6、
 もしビートルズがアジア公演の時に北朝鮮に行っていたとしたら、無事に北朝鮮から脱出出来ただろうか?
 ところで、金正日は、当時ビートルズを知っていたのだろうか?案外、お忍びで日本公演を見に来ていたのかもしれない。その時、「ああ、東京にディズニーランドがあったらなあ」とか、「引田天功に会いたい」などとは思ってないだろう。

7、
『オブラディ・オブラダ』を、日本でカーナビーツのアイ高野が、声を張り上げて、
「太郎が花子をみそめ、好きになったとさ。太郎は花子に夢中、すぐに結婚したいとさ。オブラディ・オブラダ、魔法の世界は回る…♪」
 と歌っていた。ぼくたちは「英語だとかっこいいのに、訳すとこうなるのか」と、当時は思っていた。それを知ったら、ポールはショックを受けていただろう。

8、
 それよりも、金沢明子が歌っていた『イエロー・サブマリン音頭』の「…いえろさぶまりん、潜水艦!」ほうがショックを受けるかもしれない。ぼくはショックだった。

9、
 以前、ぼくより上の世代の人から、
「お前とはビートルズの話をしたくない。だって、お前はビートルズ世代じゃないじゃないか。おれたちはリアルタイムでビートルズを聴いたんだ」と言われたことがある。
 その時ぼくは、
「何を基準にリアルタイムと言っているんだ」と憤慨したものだ。
 ビートルズが日本に来たのは、ぼくが小学校3年生の時だった。『ヘイ・ジュード』のレコードは4年の時リアルタイムに買っている。ビートルズは、ぼくが中学1年になるまで存在していた。こういうのはリアルタイムとは言わないのだろうか?

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