すると友人は、「その人は何人おるんか?」と突っ込んできた。
「一人」
「おまえはバカか。一人一人見る夢は違うんぞ。たった一人でどうやって何十億の人に違う夢を見させることが出来るんか?」
「それは・・・」
ぼくは答に窮してしまった。
それ以降、何年もそのことを忘れていた。久しぶりにそのことを思い出したのは、高校生になってからのことだった。
ぼくは高校時代の一時期、心理学に傾倒していたことがある。図書室に行っては、フロイトとかユングとかいった、小難しい本を読んでいたものだった。
どうしてそういう本を読むようになったのかは憶えていないが、おそらくきっかけになったのは、フロイトの『夢判断』にあったのではないだろうか。夢を蒔く人のことが、ずっと潜在意識の中に眠っていて、それが『夢判断』という言葉に呼び覚まされたというわけだ。
案の定、その『夢判断』を読んでいる時に、「そういえば・・・」と夢を蒔く人のことを思い出したのだった。そこで、さっそく、そのことが書いてないかと本を探ってみたのだが、いかに『夢判断』とはいえ、そんな夢みたいなことが書かれているわけがない。
しかし、それがきっかけとなって、ぼくは再び夢を蒔く人のことを考えるようになった。とはいえ、なかなか小学生時代の突っ込みの答は出てこなかった。
ようやくその答が出たのは、社会人になってからだった。家電の販売をしていたというのが、それを解く鍵となった。
それは、夢を蒔く人は一人一人にそれぞれの夢を蒔いているではなく、一つの夢を蒔いているということだった。つまり、テレビの電波と同じことだということだ。
同じドラマを見ても、その人その人の環境や経験によって受取り方が違うように、夢も見る人の環境や経験によってその内容変わってくるのだ。
例えば、夢蒔く人が『恋人の夢』を蒔いたとしよう。恋人というのは人それぞれ違う人が対象である。そこからそれぞれのドラマ、つまり夢が展開するということだ。
ま、こんな愚にも付かないことを40年近くも考えていたのだから、ぼくも相当暇だったのだろう。今は、こんな夢のようなことを考える余裕もない。裏返せば、夢も見れなくなっているということだろう。
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