暇つぶしに…私の芸歴を書いてみます(笑)
1973年 宮城県遠田郡に生まれる。
1980年 なかば祖母に騙された形で、親戚や幼馴染8人と日本舞踊 小佐川会に入門
1981年 小佐川会発表会で初舞台
(この時、小佐川旭秀踊=現在の喜久川流家元と出会う。)
1991年 進学と就職を散々迷った末、就職を選び地元を離れるため小佐川会を退会。
以後10年ほど舞台から遠ざかる。
2000年 地元に帰郷。
知人に誘われ西若流竹宗会に入門。
2002年頃〜股旅舞踊中宮一座座長からのお誘いで、会とは別に個人で様々な舞台に出演。
(この時期、多くの他流派の家元、門下の方々と知り合い、交流は現在も続いております。)
2005年 師範資格取得
以後 西若菊龍名義で舞台に立つ
(この時期、心臓を患い休養中であった喜久川流家元と再開、様々なアドバイスをいただくように)
2006年 町の芸術文化協会と西若流古参の方々との確執により会としての活動が減り始める。
2007年 喜久川流創流、小佐川旭秀踊改め喜久川旭の一報。
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西若菊龍名義での喜久川流帯同した舞台が増え始める。
2011年 発表会を1週間後に控えた3月11日 東日本大震災発生
2012年 震災後初となる西若流発表会を開催…
(これが西若流竹宗会最後の発表会)
発表会後、西若流内部分裂事件発生 12名が一斉に退会、門下10名に。
これにより会派としての活動は皆無となり、個人として舞台出演のみに。
2013年 中宮一座座長逝去
いつかどこかの舞台で中宮の踊りを再演してほしいとの遺言により舞譜を託される。
この頃、流派再興か独立か…真剣に考え始め、自身で振り付けをするようになる。
2015年 独立の相談に乗っていただいていた喜久川旭より、独立の際は全面的にバックアップするとの申し出を受けるが、指導者として勉強し直すため、喜久川一門への入門を決意。
菊龍の名前と師範資格を返上し
いざ!喜久川流へ。
2020年 喜久川旭 癌により胃の3分の2を切除。
体力低下と今後を踏まえ、二代目襲名の打診。
5年後を目途に、技術向上と共同振り付けを条件に承諾。
門下一厳しく細かい稽古を受けつつ現在に至る。
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改めて綴ると…三人の師匠に付くというのは、非常に稀だなと思う…
と、同時に沢山の方々に支えられたからこそ、今でも舞台に立てるのだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
あるかどうかは別にして、次は自分が支えていく番と肝に銘じてまいります。