緊迫度が強まるパレスチナ情勢
1)ガザ大虐殺(14年7~8月)後も虐殺事件が続く
エルサレムでアラブ系2人がシナゴーグを襲撃、4人が死亡した(11・18)。その2日前の16日、エルサレムでアラブ系のバス運転手が死亡、イスラエル当局は自殺と断定したが、パレスチナ・メディアは数人のユダヤ人に虐殺されたと報道している。
カオリ・フジナガ・ナセルさんの夫が珍しく11月18日(日本時間)の夕方に電話をしてきた。勿論、コールだけで切り彼女が折り返し電話をする。不定期な電話は不吉な予感がする。あいにく、その日は19時まで派遣の仕事で、彼女がガザに折り返しの電話ができたのは20時を過ぎていた。ヤスミン・ライブラリーからガザに電話をかけたので私もその場にいた。夫はパレスチナ人がイスラエルの施設を攻撃し、死者が出ている、パレスチナ人が夫の一族の者ではとの情報があり心配していた。彼女は何とか夫をなだめ、すぐにネットでニュースを調べた。エルサレムのユダヤ教の施設・シナゴーグが18日午前7時(日本時間午後2時)に襲撃され、少なくとも4人が死亡、襲撃者はアラブ系の2人でイスラエル警察官にその場で射殺されたとの記事があった。彼女は夫に電話で事件の内容を知らせた時には、夫の一族とは関係がないこともわかっていた。
彼女のガザの家族はまたあの大攻撃が繰り返されるのでは、と上空を飛んでいる無人偵察機の爆音におびえている。
パレスチナ人によるシナゴーグ襲撃事件の発端を、マスコミは16日のエルサレムでのパレスチナ人バス運転手の殺害(イスラエル警察は自殺と断定)への報復やハラム・アシャリーフ事件(ユダヤ教聖職者によってユダヤ教信者の立ち入りは禁止されているにもかかわらず、ユダヤ教右派が立ち入りを強行、その後の混乱を理由にイスラエルがアル・アクサモスクへのすべてのムスリムの立入りを禁止した)や10月以降に激化しているエルサレムおよび西岸地区での事件を理由に挙げている。それは事態の一面でしかない。
2143人ものガザのパレスチナ人を虐殺した大攻撃からガザの復興は全く進んでいない。国際社会が53億ドルの復興資金の提供を約束したがイスラエルの懐に入ることはあってもガザには届かない。ガザの人々はラジ・スラーニ氏が語るようにギリギリのところで踏ん張り、のどを締め上げられ、手足をたたき折られながらも「Someday、we shall overcome」と言い切っている(詳しくは後述)。それは国際社会のみならずとりわけヨルダン川西岸パレスチナ人同胞への熱い呼びかけでもある。
23日にもガザのイスラエルとの境界線付近で野鳥狩り(おそらく食料のために)をしていた30代のパレスチナ人がイスラエル軍に射殺された。イスラエルによる占領と封鎖が続く限り、イスラエルは好き勝手にパレスチナ人を殺していく。この現状を国際社会が、私たちが黙って見過ごす限り続いていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7e/b0bf2106a646b114ae5d528028581725.jpg)
▲Israeli shelling killed ten Palestinians at a United Nations school on 3 August.
(Ashraf Amra / APA images)
2)民間人を標的とした大虐殺、その中で生きる人々
――ラジ・スラーニ氏の講演「ガザに生きる」から
2014年10月13日、岡真理さんの京都大学大学院人間・環境研究科研究室の主催で、ガザ生まれでガザに住む人権弁護士、ラジ・スラーニ氏(パレスチナ人権センター代表)の「ガザに生きる」講演会が開催された。彼は第2のノーベル平和賞といわれるライト・ライブリフット賞を2013年に受賞している。ヤスミン・ライブラリーから私が派遣され、講演会に参加することになっていたが、台風の直撃で参加を断念。後日、インターネットのビデオで講演会を視聴した感想である。
まず第一に、ラジ・スラーニ氏は今回の「大攻撃の真っ只中にガザ市民がいる」と切り出している。この指摘は51日間で判明しているだけでも2143人のパレスチナ人が殺された。その大半が民間人である。そこには「ダーヒヤ・ドクトリン」から新たに「シャジャイヤ・ドクトリン」と名を変えた地域住民の皆殺し作戦に見られるように、世界有数の軍事力を持った軍隊が民間人パレスチナ人の虐殺を目的とした戦争への怒りと同時に、逃げるところもなく這いずり逃げ回ったパレスチナ人の恐怖と人間の誇りを全身で呑み込んだ重みがある。私たちは「大攻撃の真っ只中にガザ市民がいる」という指摘を何度も何度も噛み締めなければならない。
そして彼は国際社会の「沈黙という承認」を指摘している。私たちも例外ではない。ヤスミン・ライブラリーは大攻撃の最中に3回にわたってイスラエルの攻撃中止を働きかけることを訴えるチラシの配布を福岡市内で行った。「沈黙という承認」は重い。その重さの指摘は「沈黙という承認」を超える連帯を実現する励ましでもあることを忘れてはならない。
さらに今回の大攻撃はパレスチナ人へ恐怖を植え付ける大攻撃でもあった。その具体的例が「75の家族が全員消滅した」ことである。彼は75家族という数字を、生きて生活を営んでいたパレスチナ人家族の尊い生命と生活を一つ一つ具体的姿として再度とらえ返すために、皆殺しにあった家族の名前を挙げている。30人近い大家族も消滅した。沖縄南部の旧三和(みわ)村(現在、糸満市)一帯にはちょっとした空き地に作業小屋のようなプレハブを点々と見ることができる。69年前、米軍の海・空・陸からの砲撃で一家全員が皆殺しにあった家族の家の跡地にひっそりとたたずむ、皆殺しされた家族の位牌を収納したプレハブ小屋だ。イスラエルはガザで沖縄戦を再現している。現代の戦争とはそんなものの一言では片付けられない。
病院への攻撃、発電所やインフラ設備への攻撃、ガザ市の14階建ての高層住宅の攻撃、唯一の避難所であった国連学校への攻撃などを、イスラエルによる「罪の収穫」と彼は批判した。わかりにくい日本語だが、イスラエルが直近の6年間で3回強行したガザへの大攻撃が日常的には封鎖で死に絶えない程度にパレスチナ人の生命をコントロールしながら、その真綿で絞め殺す封鎖の「収穫」を刈り取ってでもいるかのような現実への批判である。
イスラエルはガザ侵攻の理由を当初は3人の若者行方不明を理由に2000人を不当逮捕し、13人のパレスチナ人を殺した。うち5人は子どもでそのうちの1人はガソリンを飲まされ火をつけられ生きながらにして焼殺されている。6月30日に3人の遺体が発見されてからはガザのハマスを標的にし、空爆を強化、停戦を守っていたハマスがたまらず反撃すると「イスラエル市民を守る」と称してガザ攻撃を強化した。今度はハマスのイスラエル向けトンネルが発見され、トンネル破壊が攻撃の理由になった。
ラジ・スラーニ氏は「法廷の知性を無視」とその論法を批判し、「私たちにはイスラエルの攻撃を忘れ許す権利はない。これを記録に残す」「ナチスの犠牲者の犠牲者にはならない」と言っている。
ラジ・スラーニ氏はイスラエルのやり方を新しいタイプのアパルトヘイトだと断罪し、パレスチナ人への民族浄化だと非難し、パレスチナ人は「良き犠牲者にはならない」「イスラエルの責任を問わなければ繰り返される」そしてパレスチナ人の民族解放の闘いは「正当な大義がある」「歴史の正しい側についている」「この現実がいつか過去のものになる希望を持っている」「孤立していない、世界の人々が正しい闘いを支持している」と語り、講演を「Someday、We shall overcome」と締めくくった。
この言葉の重さを受け止めなければならない。かつてガザ市内を戦車で蹂躙したイスラエル軍の行動に比べれば今回の大攻撃は軍事的にイスラエルが勝てなかったものという人もいる。なによりもガザのパレスチナ人は白旗を上げなかったし、ロケット弾攻撃を繰り返すハマスを見捨てもしなかった。だからといってガザのパレスチナ人は勝利したと簡単にはいえない。2143人もガザのパレスチナ人が殺された。ラジ・スラーニ氏が一家全滅の家族の名前を一つ一つ読み上げていたことは、一つ一つの家族の一人ひとりのパレスチナ人の生きてきた人生がイスラエルのよって断ち切られた悔しさを表現していたのだろう。安全な場所もなく必死に逃げ回り生と死の淵をのた打ち回ったガザのパレスチナ人の思いをすべて飲み込んでラジ・スラーニ氏は「Someday、We shall overcome」と言い切ったのであろう。
求められているのは私たちの闘いである。
2014年12月4日
博多のアイアンバタフライ
1)ガザ大虐殺(14年7~8月)後も虐殺事件が続く
エルサレムでアラブ系2人がシナゴーグを襲撃、4人が死亡した(11・18)。その2日前の16日、エルサレムでアラブ系のバス運転手が死亡、イスラエル当局は自殺と断定したが、パレスチナ・メディアは数人のユダヤ人に虐殺されたと報道している。
カオリ・フジナガ・ナセルさんの夫が珍しく11月18日(日本時間)の夕方に電話をしてきた。勿論、コールだけで切り彼女が折り返し電話をする。不定期な電話は不吉な予感がする。あいにく、その日は19時まで派遣の仕事で、彼女がガザに折り返しの電話ができたのは20時を過ぎていた。ヤスミン・ライブラリーからガザに電話をかけたので私もその場にいた。夫はパレスチナ人がイスラエルの施設を攻撃し、死者が出ている、パレスチナ人が夫の一族の者ではとの情報があり心配していた。彼女は何とか夫をなだめ、すぐにネットでニュースを調べた。エルサレムのユダヤ教の施設・シナゴーグが18日午前7時(日本時間午後2時)に襲撃され、少なくとも4人が死亡、襲撃者はアラブ系の2人でイスラエル警察官にその場で射殺されたとの記事があった。彼女は夫に電話で事件の内容を知らせた時には、夫の一族とは関係がないこともわかっていた。
彼女のガザの家族はまたあの大攻撃が繰り返されるのでは、と上空を飛んでいる無人偵察機の爆音におびえている。
パレスチナ人によるシナゴーグ襲撃事件の発端を、マスコミは16日のエルサレムでのパレスチナ人バス運転手の殺害(イスラエル警察は自殺と断定)への報復やハラム・アシャリーフ事件(ユダヤ教聖職者によってユダヤ教信者の立ち入りは禁止されているにもかかわらず、ユダヤ教右派が立ち入りを強行、その後の混乱を理由にイスラエルがアル・アクサモスクへのすべてのムスリムの立入りを禁止した)や10月以降に激化しているエルサレムおよび西岸地区での事件を理由に挙げている。それは事態の一面でしかない。
2143人ものガザのパレスチナ人を虐殺した大攻撃からガザの復興は全く進んでいない。国際社会が53億ドルの復興資金の提供を約束したがイスラエルの懐に入ることはあってもガザには届かない。ガザの人々はラジ・スラーニ氏が語るようにギリギリのところで踏ん張り、のどを締め上げられ、手足をたたき折られながらも「Someday、we shall overcome」と言い切っている(詳しくは後述)。それは国際社会のみならずとりわけヨルダン川西岸パレスチナ人同胞への熱い呼びかけでもある。
23日にもガザのイスラエルとの境界線付近で野鳥狩り(おそらく食料のために)をしていた30代のパレスチナ人がイスラエル軍に射殺された。イスラエルによる占領と封鎖が続く限り、イスラエルは好き勝手にパレスチナ人を殺していく。この現状を国際社会が、私たちが黙って見過ごす限り続いていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7e/b0bf2106a646b114ae5d528028581725.jpg)
▲Israeli shelling killed ten Palestinians at a United Nations school on 3 August.
(Ashraf Amra / APA images)
2)民間人を標的とした大虐殺、その中で生きる人々
――ラジ・スラーニ氏の講演「ガザに生きる」から
2014年10月13日、岡真理さんの京都大学大学院人間・環境研究科研究室の主催で、ガザ生まれでガザに住む人権弁護士、ラジ・スラーニ氏(パレスチナ人権センター代表)の「ガザに生きる」講演会が開催された。彼は第2のノーベル平和賞といわれるライト・ライブリフット賞を2013年に受賞している。ヤスミン・ライブラリーから私が派遣され、講演会に参加することになっていたが、台風の直撃で参加を断念。後日、インターネットのビデオで講演会を視聴した感想である。
まず第一に、ラジ・スラーニ氏は今回の「大攻撃の真っ只中にガザ市民がいる」と切り出している。この指摘は51日間で判明しているだけでも2143人のパレスチナ人が殺された。その大半が民間人である。そこには「ダーヒヤ・ドクトリン」から新たに「シャジャイヤ・ドクトリン」と名を変えた地域住民の皆殺し作戦に見られるように、世界有数の軍事力を持った軍隊が民間人パレスチナ人の虐殺を目的とした戦争への怒りと同時に、逃げるところもなく這いずり逃げ回ったパレスチナ人の恐怖と人間の誇りを全身で呑み込んだ重みがある。私たちは「大攻撃の真っ只中にガザ市民がいる」という指摘を何度も何度も噛み締めなければならない。
そして彼は国際社会の「沈黙という承認」を指摘している。私たちも例外ではない。ヤスミン・ライブラリーは大攻撃の最中に3回にわたってイスラエルの攻撃中止を働きかけることを訴えるチラシの配布を福岡市内で行った。「沈黙という承認」は重い。その重さの指摘は「沈黙という承認」を超える連帯を実現する励ましでもあることを忘れてはならない。
さらに今回の大攻撃はパレスチナ人へ恐怖を植え付ける大攻撃でもあった。その具体的例が「75の家族が全員消滅した」ことである。彼は75家族という数字を、生きて生活を営んでいたパレスチナ人家族の尊い生命と生活を一つ一つ具体的姿として再度とらえ返すために、皆殺しにあった家族の名前を挙げている。30人近い大家族も消滅した。沖縄南部の旧三和(みわ)村(現在、糸満市)一帯にはちょっとした空き地に作業小屋のようなプレハブを点々と見ることができる。69年前、米軍の海・空・陸からの砲撃で一家全員が皆殺しにあった家族の家の跡地にひっそりとたたずむ、皆殺しされた家族の位牌を収納したプレハブ小屋だ。イスラエルはガザで沖縄戦を再現している。現代の戦争とはそんなものの一言では片付けられない。
病院への攻撃、発電所やインフラ設備への攻撃、ガザ市の14階建ての高層住宅の攻撃、唯一の避難所であった国連学校への攻撃などを、イスラエルによる「罪の収穫」と彼は批判した。わかりにくい日本語だが、イスラエルが直近の6年間で3回強行したガザへの大攻撃が日常的には封鎖で死に絶えない程度にパレスチナ人の生命をコントロールしながら、その真綿で絞め殺す封鎖の「収穫」を刈り取ってでもいるかのような現実への批判である。
イスラエルはガザ侵攻の理由を当初は3人の若者行方不明を理由に2000人を不当逮捕し、13人のパレスチナ人を殺した。うち5人は子どもでそのうちの1人はガソリンを飲まされ火をつけられ生きながらにして焼殺されている。6月30日に3人の遺体が発見されてからはガザのハマスを標的にし、空爆を強化、停戦を守っていたハマスがたまらず反撃すると「イスラエル市民を守る」と称してガザ攻撃を強化した。今度はハマスのイスラエル向けトンネルが発見され、トンネル破壊が攻撃の理由になった。
ラジ・スラーニ氏は「法廷の知性を無視」とその論法を批判し、「私たちにはイスラエルの攻撃を忘れ許す権利はない。これを記録に残す」「ナチスの犠牲者の犠牲者にはならない」と言っている。
ラジ・スラーニ氏はイスラエルのやり方を新しいタイプのアパルトヘイトだと断罪し、パレスチナ人への民族浄化だと非難し、パレスチナ人は「良き犠牲者にはならない」「イスラエルの責任を問わなければ繰り返される」そしてパレスチナ人の民族解放の闘いは「正当な大義がある」「歴史の正しい側についている」「この現実がいつか過去のものになる希望を持っている」「孤立していない、世界の人々が正しい闘いを支持している」と語り、講演を「Someday、We shall overcome」と締めくくった。
この言葉の重さを受け止めなければならない。かつてガザ市内を戦車で蹂躙したイスラエル軍の行動に比べれば今回の大攻撃は軍事的にイスラエルが勝てなかったものという人もいる。なによりもガザのパレスチナ人は白旗を上げなかったし、ロケット弾攻撃を繰り返すハマスを見捨てもしなかった。だからといってガザのパレスチナ人は勝利したと簡単にはいえない。2143人もガザのパレスチナ人が殺された。ラジ・スラーニ氏が一家全滅の家族の名前を一つ一つ読み上げていたことは、一つ一つの家族の一人ひとりのパレスチナ人の生きてきた人生がイスラエルのよって断ち切られた悔しさを表現していたのだろう。安全な場所もなく必死に逃げ回り生と死の淵をのた打ち回ったガザのパレスチナ人の思いをすべて飲み込んでラジ・スラーニ氏は「Someday、We shall overcome」と言い切ったのであろう。
求められているのは私たちの闘いである。
2014年12月4日
博多のアイアンバタフライ
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