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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星  78

 

 私に、もう迷いはなかった。
 歩き出したその道は、果てしなく続いているように見えた。先が見えなくても、こっちの道で間違いがないと、不思議と確信が持てた。
 量子テレポーテーションで海外から東京へと向かう途中に迷い込んだ、あの道のように、私は、ただ歩いていた。でも、今度は一人ではなく、ヒカルと一緒に。
 何故か、今はヒカルに話しかけようという気は起こらなかった。ヒカルも同じようだ。私たちは無言で、ただてくてくと歩みを続けていた。
 私は、歩いている。そして、何処かに向かっている。その確信だけが心地よく私の心を満たしはじめていた。
 その時、ふと思った。この道は生まれ出る前に、誰もが通る道なのかも知れないと。
 こうやって、人は自らの意思で、進むべき方向に歩いて、現実世界へと生まれ出るのではないか。
 生きることを自ら望んで、光のある明るい方へと向かっていくのではないか。まだ言葉も無い中、まっすぐに。
 そして、いざ、生まれ出ると、その先が分かれ道の連続であることに気づき、ちょっとずつ戸惑ってしまうのかもしれない。
 どっちに進むべきかと迷ってしまうような、選択の連続。一つしか選べない道の行き先を、不安の眼差しで見ようとしてしまう自分。
 あれほど純粋に、生まれ出て現実の世界を生きたいと思っていたかつての自分の思いをいつしか忘れてしまい、迷いやすい道に不満を言い、自分が選んだ道に後悔したり、周りから言われて進んだ道の先でうまく行かず、腹を立ててしまったり。どちらの道も選べずに、全く前に進めなくなってしまったり・・・。ひょっとしたら、それらの道さえも自分で勝手に作り出した幻想なのかもしれないのだが。
 ただ、いずれにしても人生というものは、そのような道を行く旅のようなものなのかも知れない。そして、旅人が何十億人といる中、途中で出会う人達がいる。そして、道を共にする人もいる。別れる人もいる。途方もなく複雑で縦横無尽に入り組んだ道を、自分なりに歩く一人ひとりの軌跡が糸のようだとすれば、色んな人の無数の糸が、奇跡のような巡り合わせによって縦に、横にと織りなされていくものが、ヒカルの言う"巡り"なのかも知れない。

 半分、夢遊状態のように歩き続ける自分の漠然とした意識の中に、そんな思いが次から次へと去来する。
 それらの思いは、自分の思考を越えてひらめく、直感のようなものに近かった。
 その一方で、そんな夢想の中にいる自分を、こうやって冷静に見つめられる、もうひとりの醒めた自分もいる。
 どちらが本当の自分の思考なのか。
 このニュートラルポイントと呼ばれる世界では、そんな自分の想念の揺れ動きが、風に揺れるカーテンのような質量感を伴って、頭の中で二重にはためくような不思議な感触で自覚できた。
 気がつくと、さっきまでずっと先の方まで見えていた道が、いつの間にかモヤのようなもので視界が遮られ、50メートル程前はりすっかり見えなくなっていることに気がつく。
 おや?と思い、周りを見渡そうと顔を左に向けると、そこに、もう一人の私が歩いていた。
「・・・?」私は、こうやって夢見心地で思いを巡らせる自分の隣を歩くもう一人の自分の姿に、はっきりとした違和感をにわかに感じることが出来ない混乱状態にあった。

「イナダくん、しっかりして!」
 やや後ろから聞こえたヒカルの大きな声によって、私の分離した意識が元の私の中に戻ってきたかのように自分を取り戻し、すぐ隣を歩いていたもう一人の自分は姿を消した。
 我に返った私は、後ろを歩くヒカルに顔を向けて言う「今の、なに!?」


・・・つづく
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