いつもの癖でエレベーターの前まで行き、気がつく。
先の地震の影響でエレベーターは当然のごとく止まっていた。おそらく余震を警戒してのことだろう。マンション自体に電気は問題無く供給されていた。昔ならば地震で停電して街ごと大混乱になったと聞いたことがあるが、今の社会では電源の分散化や蓄電池の技術も進化して、そのような混乱は局所的だ。
私は階段で下まで降りた。自分の部屋が3階で助かった。高層の住民の人たちが気の毒だ。
それにしても、外に出て改めて分かったことだが、マンションの外壁の損傷が思っていたよりも激しいことに今更ながら驚いた。
最新の免震システムで揺れの大部分をいなしても、外壁のひびや欠損があちらこちらにあり、下には剥がれ落ちたタイルの一部が散乱していた。
「トモヤー!」
女の子の声がマンションのエントランスから聞こえてくる。
急いで向かうと、女の子とクッキーと一緒に、ヘルメットをかぶったマンションの管理人のおっちゃん二人がいた。
おそらく外に出ようとしたところで、地震被害の見回りをしていた管理人さんたちに呼び止められたのだろう。
「あ、ああ、イナダさん、この子とワンチャン、おたくの…?」
背の高い方の管理人さんは私の顔を見て驚き顔で聞いてきた。よく挨拶を交わして話してくる人なので、私が独身で子供もいないことを知っている。
「…あ!はい、親戚の子なんです!」
私はとっさに嘘をついた。
それを聞いて、背の低い方の丸顔の管理人さんは心配そうな顔で言う。
「この子、これから人を探しに外に行くって言うから、驚いちゃって!こんな地震があったばかりで外に出たら危険だよお!」
背の高い管理人さんもかぶせ気味に言ってくる。
「そうそう、同じくらい大きな余震もいつ来るかわからないし、あっちこっちで火事も起きてるそうだし…」
「わたしはへいきなのに!」
女の子は早く行きたくて仕方がなさそうで、憮然としていった。
「あ、ああ!そうなんですよ、危ないって言っても聞かずに家を出ちゃうから、慌てて連れ戻そうと…、いやーお騒がせしてすみません!」
私はその場を一度取り繕って、一旦家に戻るふりをして出直そうと考えた。
「トモヤ!なに言ってるの!早く行かないと壊れちゃうよ!」
そんなやりとりを聞いた女の子は頬を紅潮させながら言う。
「なになに?お嬢ちゃん、なにが壊れちゃうって?」
丸顔の管理人さんが聞き直すと、女の子は大きな目を真っ直ぐ管理人さんに向けて言った。
「宇宙に決まってるじゃん!わからないの?」
「え?うちゅう?」
管理人さんさんの二人は顔を見合わせてきょとんとしている。
「ああ!えーっと、な、何でもないんです…、こら、変なこと言ったらだめだろお、あははは…!」
私はごまかしながら女の子の手を引いて戻ろうとした、その時。
「もう、めんどくさいなあ」
女の子は口を尖らせながら、片手を上げた。
ブーンという音が聞こえ、わずかに女の子の手が青白く光って見えたその時、ガラシャーン!という大きな音がマンションの中庭の方から聞こえてきた。
「うわ!」
「なんだ!?」
音のする方を向くと、何かがバラバラと落ちてきて下にあった自転車を押し倒していた。
「外壁が崩れ落ちた!」
「大変だ!」
管理人さん達は慌てて現場にむかって駆け出した。
途中こちらを振り返りながら言う。
「今の見たでしょう!危ないから、絶対に家にいてくださいね!…あ、奥さんあぶないですから、そこは立ち入り禁止でーす!!」
二人が見えなくなると、女の子はすたすたと歩き出し、クッキーと一緒に外に出た。
私も小走りで追いかける。
「ちょ、ちょっと!今の、君が何かしたんじゃないの?」
「ふふふ、わかっちゃった?」
女の子は悪戯っぽく笑って見せた。
「い、一体どうやって…って、そんな事より、ダメじゃないか!危ないことして!」
「大丈夫だよ、誰にも怪我させないもん」
「そう言う問題じゃなくって…!」
「いいから、いいの!」
一向に構う様子を見せない女の子を見ながら私はためいきをついた。
「もう…お父さんお母さんは今どうしてるの…?ほんとに何処からきたの!?」
「お父さんは私のこと多分知らないよ。あと、お母さんはこの世にはいない」
女の子はけろっとした顔で言った。
「え…それじゃ、キミ、みなしごなの?」
「なにそれ?わからなーい」
本当にわからないようだった。
一体どんな境遇の子なんだ。
親もなく、一人でどうやって生きてきたのか。
施設で育っているという感じもなさそうだ。
不憫な生い立ちなのだろうか…。
ヒカルと知り合いのようだから、やっぱり同じように別の次元からきた存在…?
「ねえ、きみ、名前は何て言うの?」
そう聞いた女の子は、目を輝かせてくるりとこちらを見た。
「名前、あるよ!お父さんとお母さんがつけてくれたんだ!」
そう言う顔が、とっても嬉しそうだった。
「あのねえ、わたしの名前はねえ!」
あまりに嬉しそうに言うので、つられて私も思わず笑顔で相槌をうつ。
「リンだよ!」
リン…、あれ、リン?…どこかで聞いた名前だぞ?
…!あ、そ、そうだ、あの夢、屋上で若かりし頃の橋爪部長と話していた時の夢の中でだ!
どこからともなく聞こえた「リン」という名前を聞いて、橋爪部長は崩れ落ちるように泣いた。
それは、交通事故で亡くなった奥さんと、生前に決めていた子供の名前。
もし、女の子が生まれたら「リン」という名前にしようと…決めていたと。
そして、奥さんは帰らぬ人となった。お腹に身篭った、赤ちゃんと一緒に…。
もしかして…?え、だとしたら、もう何で〜!?
…つづく