86と花咲け歌々同窓会

花咲け歌々同窓会と静高86期卒業生諸君!!好き勝手なこと書いていますが他意はありません。たかがブログ・・・・

天皇の料理番

2015-04-25 06:16:52 | 管理人のぼやき

料理人だった家内の父親(故人)は明治45年4月25日が祥月命日でした。

私は中学生の頃、成人したら真っ先にやってみたいことがありました。

「父親とどんな店でもよいから(できれば赤提灯)2人だけでお酒を飲みに

行ってみたい」ということでした。ところが、親父は私が高1の時に亡くなって

しまいましたので、実現不可となりました。私の方も高校を卒業する前後から

フライイングで悪友たちとお酒を飲み始めたのですが。


やがて、27歳で結婚することになり、実の親父とではありませんが、家内の

父親と「2人きりの酒」が飲める機会が訪れました。

国立の駅前の鰻屋さん(親父行きつけ)に連れて行っていただき、

「何でもお食べ」とのことで、まだ緊張いっぱいの中で色々いただいてきました。

「さあこれも、さあこれも、」

全部食べられないのか、鰻重の3分の2位を私にくださいます。

こんな時、自分の考えでわざとワガママを言ったり、タメ口をたたいたり

との作戦ではいたのですが、結婚して1年目のころでしたから、まだそんな技は

使えなかったような記憶があります。



この親父は料理人です。(フランス料理)


堺正章さんの天皇の料理番の時、家内から聞いてはいたのですが、「秋山徳蔵さん

と関わり」があるようでした。今でこそパソコンで1時間もかからず調べることが

できるのですが、秋山さんと親父とは歳の差が2廻り、道玄坂の名店「二葉亭」

が、親父の修業先で、あとは「水交社」というところでも腕を磨いていたようです。

「二葉亭」のことはここにもでてくるのですが

「渋谷道玄坂の高級フレンチ『二葉亭』のシェフを雇い」と紹介されています。

また、東京日日新聞の70回連載の「味覚極楽」というコラムでも紹介されています。

秋山さんとは「二葉亭」か「水交社」か、このあたりでの関わりだと思います。


ま、言ってみれば親父は筋金入りの洋食職人だったわけです。

その後、静岡の中島屋ホテルが初めて洋食部を立ち上げる時に、声を掛けて

いただき、若きシェフ達の指導にあたったそうです。その当時、静岡で独立して

フランス料理の路面店を開業した若きシェフ達の殆どが親父の弟子であった

ことを聞いています。


そして、料理人としての最後の地を世田谷区に求め、伝統ある「二葉亭」の名を

使わせていただき開業したのでした。気取ったフランス料理はあまり好まず、

看板は「洋食屋」となっていました。世田谷という土地柄から多くの芸能、

政治家、漫画家、などが訪れていたようでした。

85期の野球部・向山さんも東京時代の親父のお弟子さんでした。



ということで、明日からの「新・天皇の料理番」、楽しみです。







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1 コメント

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二葉亭 (長坂)
2017-10-25 18:57:30
管理人様
私は40年前、小中学校時代を世田谷区世田谷で過ごしました。
その頃、ちょっとしたお祝いには必ず近所にあった二葉亭という洋食屋さんへ親に連れられ行ってました。そこで食べた椎茸グラタンが大変美味しく今でも忘れられません。もし、この二葉亭がお父様のお店でしたら一言お伝えしたいとコメントさせて頂きました。また、お弟子さんなどでこの椎茸グラタンを伝承し今でも食べさせてくれるお店はご存知ないでしょうか?
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