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1945年8月6日午前8時15分

2009年08月06日 18時13分56秒 | 日記
1945年8月6日午前8時15分、西日本最大の軍事都市広島に投下された世界で最初の核兵器=原子爆弾(通称「リトルボーイ」長さ3m、直径0.7m、重さ4t)は、一瞬にして30万人余りの人口を抱えた都市の90%を壊滅させ、約14万人の死者(1945年末までの集計)とほぼ同数の「被爆者」を生み出した。

市の中心部580mの上空で摂氏100万度、数十万気圧の火球となり協力な熱線と放射線、そして爆風を短時間に四方へ放射したこの原爆は、マンハッタン計画=原爆開発計画を推進した人々の予想をはるかに超える破壊力と殺傷力を持つものであった。

阿鼻叫喚の中、逃げまどう人びと。火炎にまかれ、あるいは爆風によって倒壊した建物の下敷きになって助けを求める人びと。運良く惨劇から逃れたとしても身体を貫いた放射能によって体内を破壊され、幾日も生きられなかった人びと。
これらの人びとの多くが、女性や子ども、老人といった非戦闘員=無辜の民であった。戦争の結果とはいえ、これほどの破壊と殺戮が許されるのか。広島市にもたされた「未曽有の破壊・殺戮」は、これまでの人類が経験したどの戦争でも起こらなかったことであり、この地上に出現した「地獄」といわれるのも故なきことではなかったのである。

ヒロシマが「地獄」であった理由は、単にそれが未だかつて人類が経験したことのない大規模な破壊や殺戮だったからだけではない。原爆病=放射能障害の発病を恐れ、生きながら常に「死」を意識せざるを得ない「ヒバクシャ」を大量に生じさせたことも、この大量破壊兵器=原爆が通常兵器と決定的に異なっていたことであった。

ヒロシマは、私たち人類とそれを育む地球に「終わり」があることを告げた。「ノーモア・ヒロシマ」は私たち人類の悲願である。ヒロシマを、忘れてはならない。

          (日本図書センター ノーモア ヒロシマ・ナガサキより抜粋)







当り前の毎日、当り前の生活に感謝しなくてはいけないね。
命があって平和があるからこそ、当り前のことができるんだよね。
明日も子どもたちの笑顔に会えますように。

64年前の今日起こった悲劇を語り継いでいきましょう。

二度と起こらないためにも。