冷蔵庫に残っている余り物、ほうれん草、なす、たまねぎ、おくら、にんにく、にんじん、しめじ、ひき肉、シーフードを入れて、夏野菜カレーの完成。
今日は早めの夕飯を食べて、16日のあそびの会の打ち合わせです。
今日は早めの夕飯を食べて、16日のあそびの会の打ち合わせです。
1945年8月9日午前11時2分、軍需工場が密集する長崎市上空に達したB29戦略爆撃機は、実践配備された2度目の核兵器(プルトニウム型原爆、通称「ファッマン」=長さ3.2m、直径1.5m、重さ4.5t)を投下した。一瞬にして浦上川の流域から長崎湾にかけて発展してきた長崎市の大半がこの原爆によって壊滅させられた。
死者7万人(1945年末まで)、そしてそれとほぼ同数の「被爆者」を生み出したこの「ナガサキ」の被害は、すでに「終わっていた」戦争に使用された2発目の核兵器として、また当初の投下目的地が長崎ではなく小倉であったという事実において、被害の規模はヒロシマより小さかったにもかかわらず、二重の悲劇を体現するものであったといえるだろう。
そして、ナガサキの場合、その悲劇にあった人々のなかに、長崎の地に長く暮らす中国人や捕虜となっていたイギリス人、オーストラリア人など日本人でない国籍を持つ人が数多くいたということは、この大量破壊兵器=原爆が「敵」に属する都市や人々を破壊し殺戮するだけでなく、人種や国境を易々と越え、「人間」存在の本質と敵対する究極の兵器であることを物語っていた。ナガサキは、その典型=原型を示したのである。
(日本図書センター ノーモア ヒロシマ・ナガサキより)
武器を持たない国、殺しあいのない世界になりますように。
死者7万人(1945年末まで)、そしてそれとほぼ同数の「被爆者」を生み出したこの「ナガサキ」の被害は、すでに「終わっていた」戦争に使用された2発目の核兵器として、また当初の投下目的地が長崎ではなく小倉であったという事実において、被害の規模はヒロシマより小さかったにもかかわらず、二重の悲劇を体現するものであったといえるだろう。
そして、ナガサキの場合、その悲劇にあった人々のなかに、長崎の地に長く暮らす中国人や捕虜となっていたイギリス人、オーストラリア人など日本人でない国籍を持つ人が数多くいたということは、この大量破壊兵器=原爆が「敵」に属する都市や人々を破壊し殺戮するだけでなく、人種や国境を易々と越え、「人間」存在の本質と敵対する究極の兵器であることを物語っていた。ナガサキは、その典型=原型を示したのである。
(日本図書センター ノーモア ヒロシマ・ナガサキより)
武器を持たない国、殺しあいのない世界になりますように。