Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

鳩のマークの特急車 ~年末帰省2012 その3

2013年01月11日 | 鉄道 ‐ 旅行(2012年)
 3時間近くかけて書いていたブログの下書きがキー操作であっという間に吹き飛びました。何が自動バックアップだ。

前回までのあらすじ:LCCと南海と地下鉄でなんとか淀屋橋まで来れた

 ここからは京阪電車に乗ります。
 京阪は大阪の淀屋橋と京都の出町柳を結ぶ本線といくつかの支線を運行する、関西でも大手の私鉄です。滋賀県に地下鉄に乗り入れる路面電車をもつ他、ケーブルカーも運航していますが、一口に京阪線というと文字通り京阪間の本線を指します。
 京阪の軸になっているのは、10分おきに走る京阪間の特急。京都~大阪間にはJRの新快速や阪急の特急というライバルがいますが、3ドア・セミクロスシートのJRや阪急とは対照的に、京阪特急の主力は2ドア・クロスシート・二階建て車両付の8000系。列車の質では京阪に敵うものはいません。これで特急料金不要なところに、京阪の意地が見て取れます。



 切符を買って中に入った先にいたのは、中之島線開業と同時に登場した3000系。青系統の塗装の車両は、「珍車製造工場」ともいうべき京阪でも3000系だけです。中之島線に直通する快速急行として使うために車内はセミクロスシートですが、立ち客のために通路を広げたため、クロスシートが2+1列の変則配置になっています。珍しいと思ったらJR北海道のキハ141系列もそうでした。
 その後、中之島線が振るわなかったことで、快速急行がダイヤ改正で大幅に減便。現在ではこうして日中の特急に使われています。



 対面のホームに一般車の2600系が登場。京阪では快速急行以上の列車にはクロスシートを持つ車両が使われるため車両が区別されます。



 京阪ではこれまでのイメージを払拭するために車両の塗装を変更しています。やってきた2600系のうち、京都川の3両はまだ旧塗装(上写真)のままでした。新塗装は明るいのはいいのですが、旧塗装に見慣れた身としては、車体とあっていない気がします。
 ちなみに、淀屋橋駅はこの場所からもう少しホームが延びているのですが、朝ラッシュなど使われる時間帯を除いて閉鎖されています。前面を撮ろうにもこの位置が限界でした。



 3000系が出てすぐ、同じホームに8000系が登場。折り返し13:40発の特急となります。発車まで7分というのも短いですが、前の特急が出てから3分しかたっていないことに注目です。
 京阪を代表する8000系は鴨東線開業の1989年以来京阪の顔として走り続けてきました。装いを変えた現在も特急用車両として走り続けています。新塗装化で明るくなった一般車に比べ、8000系はむしろシックで落ち着いた雰囲気となりました。

 さて、淀屋橋に来たのはこうして定点車両観察をするためではありません。ここにやって来た目的は、8030系(旧3000系)に乗るためです。
 旧3000系は8000系の一代前の特急車両です。1971年、1900系に次ぐ特急用車両として登場した旧3000系の最大の特徴は、なんといっても「テレビカー」。カラーテレビが珍しかった時代に、車両にテレビを設置するという画期的な車両です。8000系にもついていたのですが、ワンセグの普及や地上デジタル放送開始といった要因が重なり、更新された車両から順次撤去。旧京阪特急色とともにテレビカーを残す唯一の編成になりました。製造当初から冷房がついていたのも特徴で、1900系を見送ってまで乗る人もいたと言います。
 華々しい活躍を見せた旧3000系ですが、後継の8000系の登場で1本を除き廃車。登場当時は全て平屋の7両編成でしたが、8両編成・2階建て車両付の8000系に合わせて、廃車になった1両を平屋からダブルデッカーに改造、残る1本に組み込まれました。京阪ヤバい。その後、(新)3000系の登場で番号を譲り渡す形で引退……かと思いきや、なんと8000系に編入。8000系30番台=8030系といて現在に至ります。
 こうして特急の任を務めあげてきた旧3000系にも、ついに終焉の時期がやってきました。2012年7月に、年度末(2013年3月)をもっての引退が発表。同時に「ありがとうテレビカー さようなら旧3000系特急車」と名うったページが開設され、旧3000系の運用情報が公開されました。特別ツアーが組まれるなど、その人気ぶりはすごいです。
 通常は特急運用にほぼ終日ついているのですが、運用表によれば本日12月27日の特急運用は、淀屋橋13:50発と折り返し出町柳14:54発で終了し、車庫に入ってしまいます。そして続く28・29日は運行なし。30日以降の年末年始特別ダイヤまで顔を出しません。なんとしてでもこれに乗る必要がありました。
 


 13時43分、旧3000系が入線。しかし、ホームにいる同業者はわずかに4人。年末なのでもっといるかと思っていたのですが。
 旧3000系の車内は2+2列のロマンスシート(一方向に座席の向いたクロスシート)ですが、それぞれに窓が充てられているので武骨に見えます。
 乗客を降ろした後一度ドアを閉め、30メートルほど後進します。



 特急を表す鳩のシンボルが前面中央を飾っています。引退まで半年を切った10月に、幕式の表示から現在の「クラシックスタイル」に改造。



 それでは、出発進行!

[淀屋橋13:50→出町柳14:47]

 淀屋橋を出た時点の乗車率は6割弱。平日の昼間とはいえ空席が目立つ感があります。
 淀屋橋からしばらくの間は地下を走ります。地上を走るのは、中之島線と合流する天満橋を出てから。天満橋は京阪の元のターミナルです。川を渡り中之島線を跨いだ先にあるのが京橋。JRとの乗換駅です。ここで大量に乗り込んできました。座席が一気に埋まります。
 京橋を出ると4本の線路が並走します。京阪の名物、複々線です。外側の線路を走る普通列車を、旧3000系は悠々と追い抜いて行きます。ここから枚方市まで20分間ノンストップです。



 萱島の車両基地が見えると複々線から複線になります。ここから先はホームがカーブ上にある寝屋川市を初め、急カーブが連続します。京阪が「京阪電気鉄道カーブ式会社」と呼ばれる所以です。
 交野線が分岐する枚方市で乗客の半数近くが下車。京橋到着前の車内に戻ります。枚方市を出ると次第に景色が田舎めいてきます。樟葉を出ると車窓から住宅が減り、代わりに山が迫るようになります。旧3000系は、淀川と生駒山地に囲まれた狭いエリアを縫うようにして走ります。大阪から30分とは思えないローカルな風景が広がります(静岡で言うと島田~金谷レベル)。


(枚方市発車直後の車内の様子)

 淀川水系の宇治川を渡り、宇治線が分岐する中書島から再び市街地の雰囲気になります。近鉄と接続する丹波橋を出ると京都市内まで止まりません。東福寺の手前でJR奈良線を跨ぐと、そのまま地下に潜って七条。祇園四条、三条と、鴨川沿いに京都市内を北上します。昔は鴨川の土手を走っていましたが、それまでのターミナルだった三条から出町柳まで延伸するにあたって七条~三条間を地下化しました。また、この歴史から三条~出町柳は本線ではなく鴨東線の名称が与えられています。もっとも、鴨東線内のみの列車がないので気に留める人は少ないでしょうが。
 淀屋橋から約55分、終着出町柳に到着です。
 

 1面2線の出町柳はターミナルというよりもとりあえずの終着駅といった感じです。線路の終端もそこで打ち切った感丸出しの簡素な作りです。三条発着の列車が残るわけです。



 停車時間の間にダブルデッカーの8831を見てみましょう。台車などの下回りは元の車両のものですが、2階建て部分は新規に造られています。1階と2階の窓の間には、京都三大祭の一つ・時代祭をテーマにした「時代祭行列絵巻」が描かれています。



 8両編成の撮影をしているとあっという間に発車時間がやってきました。慌ただしいですが、再び旧3000系に乗ることにします。



[出町柳14:54→淀屋橋15:43]

 ところで、行き(出町柳行)はモーターの音が聞きたくて8181(大阪側から2両目)に乗っていましたが、帰りは大阪側先頭の8081に乗ることにしました。旧3000系には運転室の後ろに2+2列の座席が2列あり、最前列は前面展望を楽しむことができるからです。
 列車から降りてすぐに8081の乗車待ちの列に並びました。その時に前に並んでいたのは、40~50歳ぐらいのおっさんが1人と、その後ろに小学生2人。最前列は4席あるので、なんとか確保できる計算です。
 淀屋橋同様、乗客を降ろした後20メートルほど後進。ドアが開くや否や乗り込みます。小学生ズが最前列を狙っているのは一目瞭然で、のそのそと歩くおっさんを必死で追い抜かそうとしていました。運転台のない進行方向右側を取りたかったのでしょう。しかしおっさんがそこに入ったことで小学生ズはあきらめて進行方向左側に(それでも最前列を確保していましたが)。空きになっているおっさんの隣――JRの在来線特急でいうところのC席に、なんなく入ることができました。これで大阪まで前にかじりつき放題……と喜んでいたのですが。
 出町柳を出て間もなく、おっさんは缶ビールを取り出して飲み始めました。飛行機の一件(年末帰省その1を参照)でビールの匂いが一時的に駄目になっていたところにこれですから、気持ち悪くなったのは言うまでもありません。
 そして、三条を出てしばらくしてふと横を向くと、おっさんは寝ていました。
 最前列で寝ていました。

 寝るなよおっさん

 小学生ズに謝れよ。前方を見ないぐらいなら、前面展望を楽しみにしていた小学生ズとか、前面展望を楽しみにしていたのに仕方なくおっさんの後ろに陣取ることになった三条から乗ってきた老夫婦に譲れ。あとビール臭い。

 全ての客が前面展望をしたがっているわけではないことぐらい理解しています。鉄道好きのエゴでしかないのは重々承知です。しかし、座りたがっている人を差し置いて座っておきながら、車内に酒気をまき散らし寝るという、座りたがっている人たちを踏みにじるような行為が許されるかは別の問題です。嫌悪感どころか怒りが湧きました。せっかくの前面展望が、最終的に胸糞悪さを拭い去ることができなかったのは言うまでもありません。

 行きも帰りも同じルートなので写真だけで帰りを振り返ります。



 七条で地下から脱出。直後(新)3000系とすれ違いました。何度か撮影を試みましたがいずれも失敗。無念。



 八幡市駅で2600形とすれ違います。急カーブ上に駅があるのが分かります。石清水八幡宮の麓にある駅で、京阪の子会社の男山ケーブルが結んでいます。需要はありそうなのに特急は停まりません。同じことは伏見稲荷にもいえます。どちらも急行が止まるものの、急行は朝晩の限られた時間しか運行しないので観光需要を満たせません。樟葉と丹波橋で普通列車と接続しているので不便ということはないですが、優等列車が停まるというだけで認知度が上がるのも事実。複雑な思いです。



 枚方市駅はホームの端から端まで人で溢れていました。枚方市の前と後ろとで乗客数が圧倒的に違います。京阪主導で開発が進んだ典型的なニュータウンということが、乗客の多い理由の一つだと思います。
 ちなみに、昔の特急は京橋~七条ノンストップでした。枚方市も今でこそ全列車が停まりますが、最近まで停まらない列車(K特急)もありました。京阪がカーブという大きな障壁を頑張って乗り越えようとしていた努力がみてとれます。その後は「おけいはん」にぢ代表される質重視と、枚方市(交野線接続)・中書島(宇治線接続)・樟葉(樟葉モール)などの途中駅重視に方針を転換しています。
 すでに冬の太陽は地平線に近づいています。太陽の方に向かって旧3000系は残る鉄路を疾走します。信号に引っかかることなく京橋まで時速80キロ前後を維持していました。
 淀屋橋に到着前に急停止。特急が出てくるのを待ってから、旧3000系もそこに入ります。出町柳といい淀屋橋といい、終着駅としての設備が不十分なように思いました。



 到着後、前面の鳩マークが外されました。あらわになった幕式表示に「回送」の文字を掲げ、旧3000系は到着後わずか5分で淀屋橋を後にしました。


 帰省なのに帰ってない? よく言われます。


 次回、やっと静岡に帰れるかもしれません。
おまけ

 旧3000系に乗った後大阪駅に向かう途中で見つけた看板。



 洋○の青山そっくり。マスター、絶対狙ったな。


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1 コメント

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Unknown (だんじり)
2013-11-27 20:31:54
拝見いたしました。

今でこそ多くの駅に停まる京阪特急ですが数十年前までは大阪京橋から京都七条まで停まりませんでした。

今は途中駅にずいぶんやさしくなったものです。
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