Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

ぐるっと回って日光線(前編) ~年末帰省2012(?) その6

2013年01月19日 | 鉄道 ‐ 旅行(2012年)
 今日はセンター試験らしいですよ。


前回までのあらすじ:
出発地:静岡 目的地:札幌 現在位置:友部(茨城) [1月3日午後2時43分時点]






 素直に東北本線(最短ルート)を北上すればいいものを、常磐線で友部までやってきました。ここまで来るとおそらくこのまま北上して陸羽東線経由が近くなるはずなのですが(常磐線[岩沼]経由は原発事故の影響で不通)、友部でさらに方向転換。水戸線で小山へと向かいます。

[友部14:49→小山15:53/水戸線758M 友部発小山行]

 栃木県の小山と茨城県の友部を結ぶ全長50.2㎞の水戸線は、1889年に開業した日本でも最初期の路線です。名前に水戸とありますが、水戸線は水戸を通っていません。友部から水戸までは、さらに東に16.5㎞の道のりです。
 1889年、既に開業していた東北本線から延びる形で、水戸鉄道が小山から水戸まで66.7㎞を一気に開通させました。その後水戸鉄道は日本鉄道に買収され、東北本線水戸支線となります。転機が起きたのは1895年。同年に新設された友部まで日本鉄道土浦線(現在の常磐線)が開通し、友部~水戸間が水戸線から土浦線に所属が変わったのです。水戸を通らないのに「水戸線」なのには、 こうした背景があるのです。現在もほとんどの列車が友部から水戸・勝田、中にはさらに北上していわきまで直通します。
 水戸線で使われているのは、E531系の登場で上野口(上野発着の電車・要するに中電(中電に関しての解説は前回の記事を見てね))から撤退した415系1500番台とE501系です。今回は4両編成の415系1500番台です。ステンレス車体を持つこの車両は、元々は既存の415系を置き換えるために造られた車両です。交直流用車両の決定版として誕生した415系は非常にバリエーションが多く、同じ形式でも0・100・500・700番台はすべて鋼製で113系似の湘南顔なのに対し、1500番台は211系に似た顔つきです。明らかに異なっています。

 

Wikipediaより。左が鋼製車両、右がステンレス車両。


 水戸線の旅に戻ります。



 友部を出てすぐに左にカーブし、枯葉色の世界の中を往きます。駅数もそこまで多くなく線形もいいので、415系は快走を続けます。



 夕暮れ時の車内はご覧の通り閑散としています。
 
 

 2つ目の笠間で、同じ415系とすれ違います。



 中間地点の大和に到着。ホームは一本ながら、立派な駅舎を備えています。



 下館に到着。関東鉄道と真岡鉄道が十字に接する、一大ジャンクションです。左の奥に写っているのが関東鉄道の駅です。どちらも接続が考えているらしく、ホームに列車の姿がありました。
E501系とすれ違いを待っての発車です。水戸線は終日30分から1時間に1本。昔からの路線なので交換できる駅が多く、どの駅でも頻繁に交換が行われます。



 終点の一つ手前にある小田林。駅舎に類する建物はなく、車掌さんの後ろに入り口があるだけです。ここと東結城は、朝と夕方の一部の列車が通過します。



 約1時間で小山に到着です。もし湘南新宿ラインを使っていたら、大船からの横須賀線~宇都宮線直通の電車を使って14時にはたどり着けていました。いかに大回りをしたかが分かります。

 続いては宇都宮線の普通電車です。

[小山15:57→宇都宮16:25/宇都宮線4660E 逗子発湘南新宿ライン経由宇都宮行]

 走っている線路は東北本線ですが、上野から宇都宮までは宇都宮線と呼ばれ、宇都宮から北の区間とは列車が切り離されています。
湘南新宿ラインは東海道‐高崎線系統と横須賀‐宇都宮系統が交互に走っています。横須賀線を除くと、どれも長距離を走る路線ばかり。そのため、走行時間が3時間を超える列車も少なくありません。
 今回乗った4660Eは逗子13:34発。全駅に停まる関係でさほど条約は多くありません。東海道‐高崎線の『飛ばし屋』特別快速を見ているとそんな感じがします。
この区間では新幹線の線路が並行しています。石橋のように、新幹線の高架に駅舎を取り込まれた駅もありました。

 30分ほどで宇都宮に到着。このまま北上すれば夜には福島まで辿り着けそうです。










 そこでそっちに行かないのが静サツクオリティ。



 東京から100㎞離れた栃木県にいるとは思えない行先の数々が並ぶ電光掲示板の下をくぐります。



 在来線ホームの一番端にひっそりと存在する5番線。そう、この日光線のためにやってきたのです。

 JR日光線――その名を知る人が、果たしてどれほどいることか。関東でも東武日光線のイメージが強いようです。それもそのはず、2両編成の電車が行きかうだけローカル線なのですから。
 しかし、かつては日光線が華々しかった時代もありました。
 1890年に東北本線の支線として開業します。江戸時代から観光地だった日光の需要は高く、当初から上野‐日光直通の列車が運転されていました。全て1等車付の豪華編成です。
 1929年、東武鉄道が浅草‐東武日光間を完成させたことで、状況は一変します。東武日光線は全線が複線電化で開業し、東京都日光をほぼ一直線につないだのです。当初から電車特急が運転されます。これに対し距離が長く(上野~宇都宮~日光:146.6km、浅草~東武日光:135.5km)単線非電化の日光線は準急で対抗。現在の宇都宮線快速とほぼ同じ停車駅で、食堂車がつくなど急行並の列車でしたが、戦中に廃止されます。もっとも不要不急線扱いされた東武日光線よりはましですが。
 戦後は1950年に直通快速運転の復活を経て、1956年に準急「日光」を運転開始。当時の最新型キハ44800形(→キハ55系)が使われたあたり、国鉄の意気込みが感じ取れます。ちなみに停車駅は宇都宮駅のみという、特急も真っ青のぶっとばしぶりでした。1958年の電化には全線が電化されました。
 そして1959年、「日光形」157系の登場で流れは一気に国鉄側に傾きます。2ドア・クロスシートという特急並みの車両が、しかし種別は準急のまま投入されました。気動車時代に東京乗り入れを果たしていたことから利便性に勝る国鉄がリードします。東武鉄道が下今市から分岐して鬼怒川温泉へと目を向けたのもこの頃です。
 臨時列車を含めて4往復体制が続いていた最中の1966年、100㎞以上の準急が急行に格上げされるまでが栄華でした。国鉄は準急として残すことで値段を抑え東武に対抗していたため、事実上の値上げに客離れが起きました。この頃から急行型電車の究極形165系が登場。オーソドックスな急行電車はしかし、特急レベルの準急型だった157系よりも劣っていました。1969年に157系が退いた後は凋落の一途。ついには普通列車用の115系で運転されるようになり、1982年の東北新幹線の開業を持って急行「日光」は廃止。これ以降定期優等列車は走っていません。2006年から新宿と日光を結ぶ特急「日光」が走り始めましたが、栗橋から東武線を通るので日光線には入りません。普通列車だけのさびしい路線となりました。
 とはいえ、かつて優等列車が走っていたので駅の有効長(駅構内に入れる最大の編成の長さ)が長く、遠地からくる団体列車が走ることがあり、まだまだ捨てたものではありません。



 5番線は日光線専用ホームです。薄暗いホームに停車するのは107系。2両編成の小型の電車です。それまで使われていた165系がデッキあり・2ドア・ボックスシートと通勤に不向きなことから、代わりに走るようになった電車です。車体は当時のローカル線用通勤形車両105系に準じていますが、コスト削減のために165系の機器を流用。モーターや空気圧縮機など様々な部分を再利用していますが、中でも注目は屋上の冷房装置、クモハ107形はモハ164形、クハ106形がクハ165系の屋上機器を利用しているので、冷房装置の形がまるっきり違います。
 目の前の0番台は日光線にしかいないグループです。登場時から車体に緑で大きく「N」(日光のN)と書かれておりインパクトがありましたが、日光線開業120周年にあたって、塗装がレトロ調に変わりました。個人的には前の塗装が好きなのですが……



 宇都宮駅の看板もご覧の通りレトロ風に。



 先頭はクハ106形。屋上に載る大福のようなクーラーが特徴です。



 特別仕様の行き先表示。



 貫通扉に貼られた日光線のマーク(?)。



 車体中央にもあります。

 予想以上に長くなったので、107系の旅はまた次回に。


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