Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

プレイバック2011 第3回 賢い8月の使い方 下旬編 ~ 息抜きをしよう! 1

2013年07月08日 | 鉄道 ‐ 過去の旅行(2011年)
 受験生の夏は忙しく、8月も矢のごとく過ぎていきます。机に向かっているうちに時は矢のごとく過ぎていき、気付けば8月も終わっていた――なんて受験生の世界ではよくあることです。
 そんな受験生に何よりも必要なのは休息。いくら受験生とはいえ、ずっと気を張り詰めていては精神が持ちません。
 と、いうことで。

 息抜きをしに長野まで行ってきました。


――2011年8月27日(土)――


 8月最後の土曜日となった27日。私は朝7時前の静岡駅にいました。



 お目当ては7時ちょうどの「ホームライナー沼津2号」。特急「あさぎり」の間合いで運転されていたため、車両も「あさぎり」の371系が担当。運転室後方からは前方を眺めることができます。これでいて、必要なのは運賃+着席整理券310円とリーズナブル。特急料金を払わずに特急車両に乗れるお得な列車です。
 1編成しかない貴重さもあいまって、371系は好きだったのですが、残念なことに2012年3月をもって「あさぎり」が沼津~御殿場間の運行を取りやめたのと同時に運用から撤退してしまいました。現在はJR東海の新たな波動用車両として整備がされています。



 「ホームライナー沼津」の表示。現在は373系が担当しています。



 211系、313系と並ぶ371系。



 371系で、先頭の展望席に並ぶもう一つの特徴が、3・4号車に組み込まれた2階建て車両です。2階がグリーン車、1階が普通車という合造車です。側面全体を覆う大きなガラス窓が特徴です。

 ホームにある整理券販売機で整理券を取ったところ、2階建ての3号車に当たりました。



 2階のグリーン席は「ホームライナー沼津2号」では乗車できませんが、1階が通り抜けできないため通路として開放されています。だからちょっと腰かけたぐらいでは文句は言われない……

 

 1階の指定された席に腰を掛けます。視線の低いこと低いこと。

 それでは、いつもは体感できない車窓を眺めながら、長野に向かいましょう。

[種別:ホームライナー 東海道本線 4352M ホームライナー沼津2号 静岡7:00→沼津7:40]
《静岡7:00発》

 特急車両だけあって、371系は朝から東海道をバリバリ走ります。
 その走りぶりは、時刻表からでもわかります。静岡~沼津54.0kmをわずか40分で走破するので、表定時速は驚きの81.0km/h。特急も真っ青の走りぶりです。静岡を17分前に出る724M(浜松始発三島行)に対し、沼津では4分差と急接近。後続の730M(静岡7:02発)は沼津到着8時05分で、これまた15分差と大差をつけています。
 ましてや重心の低い1階から見れば迫力はさらに倍増。40分の旅路はあっという間でした。

《沼津7:40着》

 ここで東海道線の普通列車に乗り換え。

[種別:普通 東海道本線 (2527M~)2428M 国府津5:57→(御殿場・沼津経由)→熱海8:10]
《沼津7:48発》

 211系と313系の5両編成でやって来た2428Mは、御殿場線からやってくるひねくれものです。神奈川県から御殿場線経由で山を越して静岡県入り。2時間かけて沼津に着いて後は方向転換をして、今度は丹那トンネルで山を越し、相模湾に面した熱海に向かいます。素直に国府津→(熱海経由)→沼津とくれば約1時間ですから、倍近くかけて箱根山の周りをぐるりと回っていることになります。
 御殿場線からわざわざ方向転換をして熱海に向かうのは一見謎のように思えますが、途中には新幹線と接続する三島があります。ここ近年、JR東海では新幹線との接続がとみに強化されていて、この大運転はその一環のようです。確かに、御殿場や裾野から東京を目指すには三島から新幹線で行くのが早いです。高速バスが台頭している現代では、なおのことシームレスな乗り換えが必要なのでしょう。もちろん、沼津~熱海の需要がそこまで多くない(特に三島以東)からできる仕業ですが……



《熱海8:10着》



 熱海からはE231系でさらに東へ。

[種別:普通 東海道本線 788M 熱海8:23→東京10:06]
[種別:特別快速 東海道・山手貨物・東北・高崎〈湘南新宿ライン〉 3600E 平塚9:10→高崎11:56]

《大宮10:41着》

 2本の列車を乗り継いで、大宮までやってきました。
 今回の目的地は長野なので、説明は省略。どこで乗り換えたのか覚えてないだなんて言えない…… 特別快速の始発の平塚か、平面乗り換えの戸塚のどちらかで乗り換えたはずです。じゃなかったら、この時間に大宮にたどり着いていないという……



 さすがにこのまま鈍行で長野を目指していたのでは日が暮れてしまいます。なので、大宮からは新幹線を使います。どうせ鈍行で行っても碓氷峠で阻まれるしね!
 ここまで鈍行でやって来たのは新幹線料金を抑えるためです。だって、東京で乗り換えても特急券が2枚で8000円近くかかるし。そんなムダ金を払う気はありません。なんで新幹線ってこんなに高いんですかね。

 次の長野方面は「あさま517号」。大宮は11時10分発車。「あさま515号(大宮10:50発)」もギリギリ間に合いましたが、遅れの名所・湘南新宿ラインを通って来たので今回は断念。まあ、土曜日の速達便※ですから、大宮から乗れるとは思えませんが。

 ※速達便…「あさま515号」は大宮を出ると停車駅は軽井沢・長野のみ。



 待っていると、200系の「とき361号」がやってきました。臨時列車ながら、最後まで200系で残った数少ない例です。

 11時10分。「あさま517号」がやってきました。到着時点で乗車率7割というところですが、一人なので楽に座れました。これが「あさま515号」だったら、とっくにデッキに人があふれていたことでしょう(※実体験済み)。長野まで1時間台とはいえ、立ちっぱなしは辛いです。

[種別:新幹線 北陸(長野)新幹線 あさま517号 東京10:44→長野12:33]

《軽井沢12:00着》


 12時ちょうど、軽井沢に到着。編成の半数近くが降りました。わたしもここで降ります。



 改札がごみごみしています。



 対して、しなの鉄道の改札はぽつぽつと人がいるだけ。軽井沢という街の集客力を物語る一コマです。
 そして、ここが今回の旅の本当の意味でのスタート地点となります。

 そもそも休息先を長野に決めたのは、近いからでもなければ気まぐれでもありません。
 きっかけは、ネットで見つけた東武トラベル様の広告でした。
 タイトルは「夏休み特別企画 しなの鉄道169系と長野電鉄2000系に乗る、信州鉄道旅行」。軽井沢から1泊2日で組まれたパックツアーです。かたや最後の現役急行型電車、かたや長野電鉄が誇る生粋の名車。元々両車とも人気のある車両でしたが、169系S52編成が国鉄色になり、2000系第1編成が登場当時のブドウ色に復元されるとさらに人気が爆発。既に鉄道会社側でもいくつか企画が組まれていました。
 もちろん、両方とも好きな私は日程だけ確認して即申し込んでいました。169系はともかく、2011年2月をもって定期運行を終了し、2012年3月をもっての(臨時列車を含めても)引退がアナウンスされていたので、受験期を迎えた私が乗れるチャンスはここぐらいしかありませんでした。ましてや、同じく2012年3月で廃止が発表された屋代線を、2000系で往復できるとなれば、これは乗らないわけにはいきません。2011年は屋代線最後の夏。廃止際は受験で慌ただしいですし、廃止前の混雑に巻き込まれたくありません。
 ネット経由でバウチャーが届いた時、パソコンの前で小躍りしてしまったのも、やむを得ない話です。

 ツアーの点呼はしなの鉄道のホームで行われることになっていました。受付開始が12時20分からだったので、しばらく軽井沢駅周辺を歩くことにしました。。



 向かったのは、北口にある(旧)軽井沢駅※。2面3線+中線だった軽井沢駅のうち、使われなくなった駅舎側の1線と中線の部分を整備して、鉄道公園になっています。残る1面は、現在しなの鉄道のホームとして使われています。

 ※(旧)軽井沢駅…1960年代まで草津と軽井沢を結んでいた草軽電気鉄道に旧軽井沢駅があったため、このような表記になりました。旧は「中山道『旧』道沿いの軽井沢」の意味で、開業当初は旧道駅でした。



 まだ隣に横川駅があったころの駅名板。詳しくはこの記事を参照



 碓氷峠の『ヌシ』こと、EF63。



 粘着運転開始から増備の進んだEF63形はマイナーチェンジをつづけ、1次形から3次形まであります。軽井沢駅にいるのは1次形の2号機です。
 常に2両セットで動いていましたが、組み合わせは一定ではありませんでした。



 碓氷峠を越えるための足回り。屋外の割に保存状態は良いです。
 EF63形はここの他、横川にある碓氷峠鉄道文化むらを始め12両(ただしカットモデルを含む)が保存されています。特殊用途に加えて25両という少なさにも関わらず保存車両が多いのは、日本屈指の峠越えを支えたEF63を愛する人が多いからでしょう。



 EF63の車内。



 屋根の下にいるEC40形。1912年の電化と同時に投入されました。ドイツからの輸入品で当時は10000形を名乗っており、ナンバープレートも10000形に復元されています。アプト式だったころの初期の碓氷峠を走っていました。黎明期の国鉄は機関車を海外から輸入していましたが、やがて機関車も国内製造に切り替わり、碓氷峠でもEC40形の後継・ED40形から国産に切り替わっています。現存する輸入機関車としても貴重な存在です。



 碓氷峠といえば66.7――66.7パーミルを思い浮かべる人も多いはず。1キロ進む間に13階建てビル一つ分登る計算です。国鉄→JR史上最急勾配の座は現在も破られていません。
 軽井沢駅の勾配標はなぜか66.4でしたが。



 かつての2番線(副本線)にしなの鉄道115系が到着。



 金網越しとはいえ、すぐ近くまで迫ります。

 12時40分。しなの鉄道の改札をくぐりツアーの受付を済ませました。

 ツアーの始まりはいきなり湘南色169系で始まります。



 12時55分ごろ、戸倉から169系S52編成が送られてきました。
 しなの鉄道色から塗り替えられてから1年近くがたっていますが、車体はピカピカです。



 後ろの幕はすでに「回送」から「団体」に切り替わっていました。
 そう、このツアーではなんとS52編成を丸々貸切り、軽井沢から屋代まで移動するのです。



 115系との並び。



 13時05分。屋代側のクハ169‐19のヘッドライトに光が灯りました。

 

 中間のモハ168‐6。私の座席はここにあてがわれていました。



 横軽対策を示す「●」の表示も再現。S52編成は2008年~2009年でも半年ほど湘南色をまとっていましたが、今回の湘南色化では「●」を始め、より急行時代に近づけられています。
 「◆」は中央線通り抜け可能の印です(詳細は前の記事参照)。



 13時13分。いよいよ169系が動き出します。

 続く!



 モーターカー「あれ? 俺の出番は?」
 (※碓氷峠で使われていた、66.7パーミル対応の特殊なモーターカー)


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