[北陸本線 530M 黒部8:00→金沢9:33]
《倶利伽羅 9:15発》

《金沢 9:33着》
413系で金沢に戻ってきました。


回送列車も、次の福井方面の普通列車も521系。既に521系の天下であることを思い知らされます。

特急街道を象徴する、赤色が目立つLED発車時刻表。特急は1時間に3本以上、普通列車が1時間に1本以下の世界です。
さて、 半日ほど北陸にとどまっていましたが、再び北へと進路をとります。
次なる列車は、新潟行の特急「北越3号」です。
入線まで時間があるので、先発する特急を見ていきましょう。

「北越」入線予定の6番線にいるのは、金沢に着いたばかりの「しらさぎ51号」。元は「加越」と名乗っていた特急です。

隣は越後湯沢行の「はくたか9号」。同じ683系を使用しています。
10時20分ごろ、期待の「北越3号」が入線してきました。

――って、R編成じゃないですかヤダー!

原型のT編成が危ういと聞いて指定券を頑張って確保したのにこの仕打ち。T編成とR編成の本数はほぼ同じ。先の1号がR編成だったので、ひょっとしてT編成かと思ったのですが・・・・・・・倶利伽羅で国鉄色が二連ちゃんで来た時点で、運を使い果たしてしまったようです。
とはいいつつも、今や貴重な485系特急。リニューアルを受けている3000番台とはいえ、2014年現在では「白鳥」「いなほ」「北越」を残すのみです。しかも、「いなほ」は2014年7月撤退が決定。「北越」は北陸新幹線金沢延伸(2015年春)、「白鳥」は北海道新幹線新函館北斗延伸(2016年春)で、列車そのものがなくなってしまいます。R編成とて安泰ではないのです。






そんなわけで(?)、1号車から順に側面ビュー。

1号車の車番からR22編成と分かります。

10時34分の発車を前に、最後の475系を記録。10時17分に到着しており、10時58分の富山行445Mとなります(編成は分からず仕舞い・・・・・・)。

薄暗い高架駅に煌々と光るライト。出発時間が近い証拠です。

今回乗るのは3号車のモハ485-6066です。

10時29分発の「サンダーバード3号」が7番線に並びます。かつては485系「雷鳥」だったこの列車も

10時34分。いよいよ「北越」の旅スタートです。
[北陸本線・信越本線 1053M 特急 北越3号 金沢10:34→新潟14:19]
(編成:新ニイR22 クロハ481-3004+モハ484-3066+モハ485-3066+モハ484-2065+モハ485-3065+クハ481-3348 →新潟)
《金沢 10:34発》
「北越」の歴史については、去年(2013年)の夏帰省で触れたのでカット。
(気になる方はこちらから→2013夏帰省 後半-9 485系に乗って その1 北越2号 ~What is required as the limited express.)

雨こそやんだものの、灰色の空はそのまま。富山までは津幡・石動・高岡とこまめに停まるのでそこそこの速度です。

津幡から山々が近づいてきます。

R22編成は倶利伽羅の峠をあっさり通過。
石動付近で北陸新幹線の高架が見えます。北陸新幹線は当初スーパー特急方式(新幹線レベルの路盤を在来線特急が走る。現在の北越急行のようなイメージ)で計画されており、高岡~金沢の山越え区間を新線として建設する予定でした。そのため線路が近づいているのです。

富山第2の都市・高岡。新幹線は2kmほど南に新高岡駅が開業することが決まっています。高岡から南に下る城端線の駅が接地される予定ではありますが、メインの輸送機関はバスとなる模様です。

《富山 11:15着》
富山駅に到着。大阪・名古屋からの特急はここまでです。
現在富山には金沢方面から1時間に1本以上のペースでやってきますが、新幹線が開業すると、在来線が第3セクターとなる関係ですべて廃止となります。一応金沢~富山に区間列車「つるぎ」が設定されるとのことですが、金沢で乗り換えるとなるとかなりの手間です。わざわざ不便にして乗客を減らしにかかるとは、さすがJR西日本。第3セクター利用にしても県境で運賃が跳ね上がるので、富山にとってはあまり喜ばしくない気がします。

《富山 11:16発》
新幹線開業後が気になる富山を出発。

魚津・黒部と停車し、列車はついに日本海沿いへ。
しかし、天気模様からも想像かつく通り、日本海は大荒れ。車窓はモノクロームです。

外を見ていてもどうしようもないので、お昼ご飯タイムです。
本日の昼ごはんは金沢駅の「利家御膳」。重箱の豪華仕様です。

前書き。利家とは、加賀百万石の基礎を築いた前田利家のことです。メニューは利家の食卓を現代風に再現したものとかかれています。

その中身がこちら。そろばんを持ち歩くほどの吝嗇家だったという利家。豪華というより、手間ひまをかけた料理が並んでいます。

おかずは練り物3種に胡麻豆腐。おくには昆布巻きと山菜あえ。

ご飯は白ご飯と炊き込みの2種類。現在ではあたりまえの精白米も、当時は殿様レベルでなければ食べれなかったものです。

食べ終わるころには親不知付近を通過。

「北越」の車内はガラガラ。指定席にしても空きすぎではありませんか。県境ゆえの移動の少なさを表しています。

そうこうしているうちに列車は新潟県へ。糸魚川で新幹線の高架と出会います。

糸魚川~梶屋敷でデッドセクションの洗礼を受けます。
旧式の485系は切り替え時に電気が消えます。JR化以後は補助電源を積んだ車両が主流になり、全く消灯しない(E531系など)か薄暗くなる(683系など)かのどちらか。消灯する車両は651系やE653系などごく一部となってしまいました。最も、第3セクター化後はこの区間は気動車になるのでデッドセクションすら感じられなくなる(※)のですが・・・・・・
(※電気機関車が引き続き牽引する貨物のためにデッドセクション自体は残される)

直江津までは1969年の新線複線化でほとんどがトンネルとなったため、わずかにシェルターから荒波が見えるのみとなります。

去年の夏帰省で降りた青海川付近。

柏崎を過ぎると車窓にも雪が目に付くようになります。
長岡からはラストスパート。

東三条で弥彦線の高架と合流。直接吊架方式の区間もある弥彦線ですが、三条市内は都市整備によって高架化されています。

新津でキハ110と出会うと終点はもうすぐ。

《新潟 14:19着》
金沢から3時間半。「北越」は313.5kmの道のりを走りぬけ、無事新潟にたどり着きました。表定速度83.6km/hはなかなかの俊足です。
本日はまだまだ北上します。次は約1時間後の「いなほ7号」です。
続く!
《倶利伽羅 9:15発》

《金沢 9:33着》
413系で金沢に戻ってきました。


回送列車も、次の福井方面の普通列車も521系。既に521系の天下であることを思い知らされます。

特急街道を象徴する、赤色が目立つLED発車時刻表。特急は1時間に3本以上、普通列車が1時間に1本以下の世界です。
さて、 半日ほど北陸にとどまっていましたが、再び北へと進路をとります。
次なる列車は、新潟行の特急「北越3号」です。
入線まで時間があるので、先発する特急を見ていきましょう。

「北越」入線予定の6番線にいるのは、金沢に着いたばかりの「しらさぎ51号」。元は「加越」と名乗っていた特急です。

隣は越後湯沢行の「はくたか9号」。同じ683系を使用しています。
10時20分ごろ、期待の「北越3号」が入線してきました。

――って、R編成じゃないですかヤダー!

原型のT編成が危ういと聞いて指定券を頑張って確保したのにこの仕打ち。T編成とR編成の本数はほぼ同じ。先の1号がR編成だったので、ひょっとしてT編成かと思ったのですが・・・・・・・倶利伽羅で国鉄色が二連ちゃんで来た時点で、運を使い果たしてしまったようです。
とはいいつつも、今や貴重な485系特急。リニューアルを受けている3000番台とはいえ、2014年現在では「白鳥」「いなほ」「北越」を残すのみです。しかも、「いなほ」は2014年7月撤退が決定。「北越」は北陸新幹線金沢延伸(2015年春)、「白鳥」は北海道新幹線新函館北斗延伸(2016年春)で、列車そのものがなくなってしまいます。R編成とて安泰ではないのです。






そんなわけで(?)、1号車から順に側面ビュー。

1号車の車番からR22編成と分かります。

10時34分の発車を前に、最後の475系を記録。10時17分に到着しており、10時58分の富山行445Mとなります(編成は分からず仕舞い・・・・・・)。

薄暗い高架駅に煌々と光るライト。出発時間が近い証拠です。

今回乗るのは3号車のモハ485-6066です。

10時29分発の「サンダーバード3号」が7番線に並びます。かつては485系「雷鳥」だったこの列車も

10時34分。いよいよ「北越」の旅スタートです。
[北陸本線・信越本線 1053M 特急 北越3号 金沢10:34→新潟14:19]
(編成:新ニイR22 クロハ481-3004+モハ484-3066+モハ485-3066+モハ484-2065+モハ485-3065+クハ481-3348 →新潟)
《金沢 10:34発》
「北越」の歴史については、去年(2013年)の夏帰省で触れたのでカット。
(気になる方はこちらから→2013夏帰省 後半-9 485系に乗って その1 北越2号 ~What is required as the limited express.)

雨こそやんだものの、灰色の空はそのまま。富山までは津幡・石動・高岡とこまめに停まるのでそこそこの速度です。

津幡から山々が近づいてきます。

R22編成は倶利伽羅の峠をあっさり通過。
石動付近で北陸新幹線の高架が見えます。北陸新幹線は当初スーパー特急方式(新幹線レベルの路盤を在来線特急が走る。現在の北越急行のようなイメージ)で計画されており、高岡~金沢の山越え区間を新線として建設する予定でした。そのため線路が近づいているのです。

富山第2の都市・高岡。新幹線は2kmほど南に新高岡駅が開業することが決まっています。高岡から南に下る城端線の駅が接地される予定ではありますが、メインの輸送機関はバスとなる模様です。

《富山 11:15着》
富山駅に到着。大阪・名古屋からの特急はここまでです。
現在富山には金沢方面から1時間に1本以上のペースでやってきますが、新幹線が開業すると、在来線が第3セクターとなる関係ですべて廃止となります。一応金沢~富山に区間列車「つるぎ」が設定されるとのことですが、金沢で乗り換えるとなるとかなりの手間です。

《富山 11:16発》
新幹線開業後が気になる富山を出発。

魚津・黒部と停車し、列車はついに日本海沿いへ。
しかし、天気模様からも想像かつく通り、日本海は大荒れ。車窓はモノクロームです。

外を見ていてもどうしようもないので、お昼ご飯タイムです。
本日の昼ごはんは金沢駅の「利家御膳」。重箱の豪華仕様です。

前書き。利家とは、加賀百万石の基礎を築いた前田利家のことです。メニューは利家の食卓を現代風に再現したものとかかれています。

その中身がこちら。そろばんを持ち歩くほどの吝嗇家だったという利家。豪華というより、手間ひまをかけた料理が並んでいます。

おかずは練り物3種に胡麻豆腐。おくには昆布巻きと山菜あえ。

ご飯は白ご飯と炊き込みの2種類。現在ではあたりまえの精白米も、当時は殿様レベルでなければ食べれなかったものです。

食べ終わるころには親不知付近を通過。

「北越」の車内はガラガラ。指定席にしても空きすぎではありませんか。県境ゆえの移動の少なさを表しています。

そうこうしているうちに列車は新潟県へ。糸魚川で新幹線の高架と出会います。

糸魚川~梶屋敷でデッドセクションの洗礼を受けます。
旧式の485系は切り替え時に電気が消えます。JR化以後は補助電源を積んだ車両が主流になり、全く消灯しない(E531系など)か薄暗くなる(683系など)かのどちらか。消灯する車両は651系やE653系などごく一部となってしまいました。最も、第3セクター化後はこの区間は気動車になるのでデッドセクションすら感じられなくなる(※)のですが・・・・・・
(※電気機関車が引き続き牽引する貨物のためにデッドセクション自体は残される)

直江津までは1969年の新線複線化でほとんどがトンネルとなったため、わずかにシェルターから荒波が見えるのみとなります。

去年の夏帰省で降りた青海川付近。

柏崎を過ぎると車窓にも雪が目に付くようになります。
長岡からはラストスパート。

東三条で弥彦線の高架と合流。直接吊架方式の区間もある弥彦線ですが、三条市内は都市整備によって高架化されています。

新津でキハ110と出会うと終点はもうすぐ。

《新潟 14:19着》
金沢から3時間半。「北越」は313.5kmの道のりを走りぬけ、無事新潟にたどり着きました。表定速度83.6km/hはなかなかの俊足です。
本日はまだまだ北上します。次は約1時間後の「いなほ7号」です。
続く!
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