<2014年12月29日>
3月から「上越妙高」となる脇野田を、「くびき野5号」で後にします。
[信越本線 3375M 快速 くびき野5号 新井17:01→新潟19:29]
《脇野田 17:10発》
快速「くびき野」は特急「みのり」を格下げして生まれた列車です。その手ごろさと速さから人気は上々。登場当初の4両モノクラスから、6両グリーン車付(しかも指定席2両)と大幅にグレードが上がりました。
が、直江津~新井がJRが切り離されることから、「くびき野」は特急「しらゆき」に吸収されることが決定しました。車両も485系6両からE653系の4両編成に変更。末期の「みのり」が敬遠されていた(登場当初の「くびき野」が4両だった理由でもある)こともあり、利用者が再び離れてしまうのではないかと個人的に心配です。まあ、どちらかというと新幹線に接続して、「北越」(新潟~金沢)を代替するという面が大きいですが。
直接の代替としては、新潟~新井に無名の快速列車が2往復登場しますが、なぜか115系3両編成と大幅にグレードダウン。新潟~糸魚川で485系の快速が生まれるのが救いといえば救いでしょうか。
《直江津 17:26着》
直江津までは各駅に停まります。約15分で到着しました。
ここからは富山行きの普通列車に乗り換えます。
車両は413系。1年前(2014年3月)までは急行形の475系・457系が、さらに遡って5年前(2010年3月)までは、魔改造でおなじみ419系が乗り入れていました。
車両本数の関係で413系に代走の475・457系が入ることもあるようですが、あまり期待は出来ません。
とはいえ、代走はそれはそれで興味があります。今回北陸にやってきた理由の一つは、まさに475・457系だったのですから。
偶然にも100番台に遭遇。というより、このB11編成しかいません。
413系は国鉄末期に生まれた形式です。この頃、北陸ローカルは客車列車がメインであり、余剰となっていた急行電車で電車化を推し進めていました。しかし、急行形電車は2ドアな上、ドアが両端によっている構造、デッキと客室の仕切り扉にオールボックスシートと、ラッシュ時には向かない構造です。それ用の電車を製造すればいいじゃないかと思われるでしょうが、当時は財政難で製造する余裕もありませんでした。そこで生まれたのが、車体以外は流用して製造された413系です。
ところで、流用元には471系と473系がいます。100番台は473系を改造して作られています。
形式からもわかる通り、473系は471系のパワーアップ版として登場しました。しかし、473系はわずか1ユニットで製造が終わってしまいました。なぜなら、473系に抑速ブレーキをつけた475系の製造が始まってしまったからです。雪や勾配に強い抑速ブレーキは平坦地でも好まれ、わざわざ2形式作るのは面倒だとばかりに475系に統一されてしまいました。
かくして、473系→413系100番台は貴重な存在になってしまったのです。
B11編成の先頭も、よくみればデフォルトのクハ413ではなく、急行形レイアウトを残すクハ455形700番台(さらに言えばサハ455からの改造先頭車)という、まさに当たり目編成です。
わけわからんことになってるので整理しましょう。
(編成:金サワB11)←富山 クハ455-702(元サハ455-6)+モハ412-101(元モハ473-1)+クモハ413-101(元クモハ473-1) →直江津
413系の集大成とも言える編成です。
発車前に「はくたか18号」が到着。9両全てが北越急行車(8000番台)の赤で揃った美しい編成です。
東京―金沢の最速ルートをになっているだけあって、終日満席に近い「はくたか」。この時期は指定券が必須です。
前は683系、後ろは681系でした。まあ、揃うことはめったにないので、北越急行車で揃っただけありがたいのですが。
後を追うようにして、413系富山行きは17時33分、直江津を発車します。
[北陸本線 566M 直江津17:33→富山19:25]
《直江津 17:33発》
普通の乗客よりも青春18きっぷユーザーが多数を占める車内。服装や荷物が普通の旅行者と雰囲気が違うので、たずねなくてもわかります。
発車時点ではボックス席を確保できず、やむなく能生に向かう老夫婦と共に過ごしました。
車窓は期待できないので、413系のモーターに耳を傾けます。
糸魚川の手前で直流から交流へ。デッドセクション通過中は真っ暗闇になります。
特急の後追いで発車したこともあり、566Mは終点の富山まで通過待ちはありません。
《魚津 19:00着》
降りた駅は魚津。
魚津は富山・高岡につぐ都市で、その大きさは特急の停車本数に現れています。この近辺では泊(朝日町)・入善(入善町)・黒部(黒部市)・滑川(滑川市)に分散して停車しますが、他が全体の半数以下なのに対して、魚津には「トワイライトエクスプレス」と「はくたか」1往復を除く全てが停車します。
そして、新幹線が停まらないため特急廃止の影響を大きく受ける場所でもあります。
新幹線開業で在来線特急が廃止になると、魚津からは富山経由で行くことになります。隣の黒部市には黒部宇奈月温泉駅が開業するため、特急が通らない影響が一番大きいのは魚津でしょう。高岡も新幹線駅が近いとはいえませんが、一応市内に新高岡駅ができます。
1面2線に中線をもつ魚津駅。
これまで、新幹線が通った場所は栄える反面、通らなかった場所の衰退を招くケースがありました。それは磐田と掛川であり、小牛田と古川(大崎市)でした。
北陸新幹線が、魚津駅のこの光景をどう変えるのか。それを本当の意味で知る者は、まだいません。
上り線ホームに移動します。青春18きっぷなら重複乗車も問題ではありません。
さて、魚津駅にきた真の理由は……
糸魚川行きの475系を捕まえるためです。
2014年3月改正で、急行形の運用は大きく減ってしまいました。運用範囲はそれまでの金沢~直江津から金沢~糸魚川に短縮。さらに本数まで削減され、東端の糸魚川に達するのは、この471Mだけとなってしまったのです。
6両編成=3両×2編成なのですが、生憎両方とも
先頭はA18編成、後ろはA07編成(写真はA07編成)。両方ともヘッドライトが原型のままです。といっても、北陸ではどこぞの黄色い支社と違ってシールドビーム改造されている編成の方が少ないです。ましてチク(以下略)
(編成:金サワA18+A07)←糸魚川 クモハ475-45+モハ474-45+クハ455-47+クモハ475-19+モハ474-19+クハ475-19 →金沢
後ろのA07編成は延命NB工事というものを受けており、デッキの仕切り扉が廃止されたため、冬は半自動扱いとなっています。ドア全開のA07編成の写真と比べると一目瞭然です。
両編成の単色化も、延命処置の一種と受け取ることが出来ます。まだ当分使うという意思表示の現れですから。
普通、こうした工事を請けた車両が最後まで残るものですが、A09編成のように延命工事を受けたのに廃車になる編成がいたり、A15編成のように単色も延命工事もしていないのに生き残っている編成がいたりとぐちゃぐちゃです。
471Mは魚津で「はくたか25号」を待ちます。
今度は683系8000番台を先頭にやってきました。不思議とスノーラビットの遭遇率が高い気がします。
実に10分も停車して、471Mは東に向かいます。
[北陸本線 471M 金沢17:38→糸魚川20:05]
《魚津 19:18発》
《黒部 19:24着》
隣駅の黒部でふとホームを見ると、なんと国鉄急行色のA19編成が!
「はくたか20号」の待ち合わせをしている関係で隣のホームとなり、思わず外に出て撮影してしまいました。
さっと出てさっと撮ってさっと乗って出発です。
《泊 19:40発》
平野の終わりを泊で迎え、列車は難所・親不知へ。といっても、トンネルを抜けるだけですが。
《糸魚川 20:05着》
終点・糸魚川に到着。
そこそこ乗っていたはずの車内はがらがらでした。
1番線(下り本線)に停車した471Mは回送となります。
駅名板をよく見てみると、シールで貼られていました。これをはがせば、現れるのは北陸本線(正確にはその一部)を受け持つえちごトキメキ鉄道の駅名板。既に3月の改正にあわせた準備がされているのです。
跨線橋から発車を見送りました。
ということで、本日の旅はここまで。
続く!
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