[留萌本線 4925D 深川11:05→増毛12:44]
《秩父別 11:18発》
予想はしていましたが大混雑です。
4925Dは2両編成ですが、後ろ1両は回送なので、実質単行であることに変わりありません。
そんなわけで、車内はともかく、デッキも身動きが取れない状態です。
ただ、整理券発行機の前に立つのだけはやめてほしいですね。はっきり言って邪魔です。途中駅の乗降が少ないといっても、私のように乗る人だっているんですから。
仕方ないので、次の下車駅まではデッキで立ちっぱなしで過ごすことに。
雪こそ降っていないものの、前面は曇ってほとんど何も見えません。
石狩沼田を出てからは天気が怪しくなりさらに視界が悪くなりました。
《峠下 11:40着》
何も見えぬまま峠下に到着。
ついに雪が吹きつけるようになり、運転士の後ろからしか前方が見えない状態になりました。
混み合うデッキ。
そんなこんなで、下車駅の大和田が近づいてきました。
《大和田 11:57着》
下車はやはり私一人。
多くの乗客を乗せて、列車は留萌方面へと向かいます。
[駅データ/大和田駅 Owada]
開業:1910年11月23日
構造:1面1線(かつては1面2線)
由来:大和田炭鉱(1905年~1959年)を開発した大和田荘七の名前にちなむ
本日3駅目は大和田駅です。深川から10駅目、留萌の一つ手前の駅です。
この駅も炭鉱開発を目的として設置された駅です。駅名は、大和田地区を開発した大和田荘七という人の名前に由来します。
この地域は1899年に最初の炭鉱が開発され、昭和30年代まで開発されていました。留萌港から遠くないこともあり、昭和初期まで留萌炭田の中心炭鉱となっていました(後に開発は羽幌炭鉱や昭和炭鉱に移った)。
ついでに、留萌炭田について軽く触れておきましょう。
留萌炭田は、旧天塩国と旧石狩国の国境に沿って、留萌市・沼田町・小平町・羽幌町と南北に細長く分布する炭田です。山の奥深いところにあるため、北海道の中でも開発は遅いほうでした。例を挙げれば、昭和炭鉱は1930年操業、羽幌炭鉱は1935年操業です。
留萌炭田の特徴は、硫黄が少なく煙が出にくいこと、そして豊富な埋蔵量です。昭和炭鉱だけでも2億トンあるといわれています。煙が出にくいことから家庭用(ストーブなど)として重宝されました。
しかし、炭田内に断層があったため坑を広げることができませんでした。おりしも時代は石炭から石油に変わり、留萌炭田の開発は1970年代で終了してしまいました。
高台の上に国道と大和田の住宅街があります。
炭鉱が盛んだったときは駅より西側(深川寄り)に市街地がありましたが、現在では駅より北側に集落があります。留萌市街地から遠くないので住宅は多いですが、高台の下にあることや市街地のはずれであることから、駅周辺だけを見ると寂しく見えます。
駅前の道路は留萌川に面して続いています。大和田の集落へは、この先300メートルほど歩く必要があります。
住宅地の裏手にあるとはいえ、駅から1分、集落から5分とは思えない光景です。
幌糠と同じ車掌車改造のダルマ駅舎です。
中も幌糠と同じですが、幌糠と比べるとあまり使われていないように思います。
深川より増毛のほうが近い(深川―大和田44.2km、大和田―増毛22.6km)ですが、留萌から先の駅は表示されていません。客の流れが留萌で分断されていることが分かります。
時刻表。
大和田は上り2本を除く15本が停車します。理由はよく分かりませんが、秩父別さえも通過する下り始発(4921D:大和田6:54発)が停車します。
4921Dは深川、石狩沼田、峠下、大和田、留萌、留萌からの各駅しか停まらない、留萌本線きっての快速列車。本州なら快速を名乗ってもおかしくないほどですが、わざわざ停めるということは高校生あたりでしょうか。
屋根すらもないホーム。島式ホームの旧上り線のみを使用しています。
留萌方面は左に大きくカーブしています。
駅が集落から離れている理由は炭鉱開発もありますが、交換設備もあったと思われます。ここより留萌側に駅を設置するには、カーブがきつすぎるからです。
この場所に駅があるのは、鉄道として必要だったからなのです。
きれいな弧を描くホーム。思わず見とれてしまうほどのカーブです。
留萌方面。かつて蒸気機関車が行き交っていたころは、どれだけすばらしい景色が見れたことでしょう。
残念ながら、次に乗る列車の時刻が近づいてきてしまいました。
かつて駅舎からホームに渡る構内踏切があった場所。一段低い場所で列車を待ち受けます。
12時22分。木の陰から、キハ54が現れました。
目の前を全長21メートルの大型気動車がゆっくりと通り過ぎていきます。
大和田駅から4928Dに乗り込んだところで、次回に続きます。
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