4月13日
□今は昔で始まる今昔物語集に「池尾ノ禅珍内供ノ鼻の語」という話がある。
□京都の池尾に住む禅智内供という僧は非凡な教養の持ち主であり、経営の才にも長けて多くの弟子を抱えていたほどの人物だったが、そんな立派なこの僧には唯一の欠点があった。それは鼻だった。
□異様なほど大きくて醜い鼻だった。僧はいつもこれを気にかけてばかりいて、ときどき治療を試みては失敗することを繰り返してきた。あれほどの教養がありながら、鼻のことただ1点にこだわりすぎて、この僧は正しく判断をする分別をなくしてしまったのだ。弟子の一人は言う。《欠点を愛せばそれはもう欠点ではなくなるというのに。》
□この語が翻案の芥川龍之介の「鼻」では僧の鼻は治療されて普通の鼻になる点でこれとは大きく異なる。僧はせっかく鼻が小さくなっても、いぜんと顔が違うってことで、また笑われるのだった。他人というものは他人の不幸をとことん望んでいるものだと僧は悟るが、彼自身もまたいぜんの鼻に戻ることを望むようになる。
□今だにわからないのは、鼻が昔の鼻に戻ると、僧が《これでもう誰も笑うことはないにちがない》と喜ぶ最後の場面である。昔の鼻に戻るだけの話だろうし、あるいは彼が世間の目を気にするのをやめたというのなら、誰が笑おうとも俺は気にするまいと考えるはずであるが、ところが彼は「誰も笑うことはあるまい」と言うのである。
□初版ではないですが・・・