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金ピカ先生亡くなる



金ピカ先生が亡くなってた。その昔代ゼミの講師としてテレビに出てきたひとです。予備校講師のタレント化の先走りですね。彼がいて今のオサムがいるわけです。

金ピカなのに晩年は金欠だったらしい。

私は塾の思い出なんかないな。とはいえ、高校に入るとすぐ予備校に通い始めたけど。タレント講師とは無縁な予備校でしたね。予備校にしては珍しく、入学試験があり、さらに面接まであった。

まだ健在なのかなと、当時の英語科主任だった伊藤和夫先生の現在を調べてみたら亡くなってた。まあそうだろうな。当時すでに相当な爺さんだったもの。

名物講師ではないけれど、伊藤和夫は受験英語で最も著名な講師ではないかな。東大受験したひとならほぼ全員知っている。話がうまいわけではない。というか、授業は死ぬほど退屈だった。ただ伊藤の導くままに勉強すれば解けない問題はなくなるという信頼感があった。100点をとるための授業だった。

駿台予備学校の現状を調べてみると、なんかひどいですね。今はダメな講師を地雷講師と呼ぶらしいけど、いろいろ名前が挙がっている。まあでも受験だからな。成績が上がらないのを他人のせいにするダメな生徒らの遠吠えがほとんどでしょうけど。

私の頃のこの予備校はハズレがなかった。そういうイメージで入学して実際そうだった。東進とか代ゼミとかが怪しすぎて、ここを選んだわけです。

でも、ここでやってたことはほんと酷かったですね。内部試験が死ぬほど難しく、平均点が60点満点で5点以下という試験を定期的に受け続けた。こんな本番で出そうにない問題を解いて復習して、ほんとに大学受かるのか最後まで半信半疑だった。

試験の結果ごとにクラス替えが行われ、私はいつもぎりぎり一番上のクラスにいたんですが、このクラスでは周囲はみな余裕で合格していた。振り返ればほんと、なにが良かったのかよくわからない予備校でした。

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